詩で“自分”を浮かび上がらせる、ラヒリの自伝的最新作

  • 文:瀧 晴巳(フリーライター)
Share:

【Penが選んだ、今月の読むべき1冊】
『思い出すこと』

01_思い出すこと書影.jpg
ジュンパ・ラヒリ 著 中嶋浩郎 訳 新潮社 ¥2,200

留学した友人が帰国したら、話し方まで変わっていたことがあった。新しい言語を獲得することは、新しい自分を獲得することなのかもしれない。

ジュンパ・ラヒリもまた言語にアイデンティティを見出そうとしたひとりだ。家の中では両親とベンガル語で話し、家の外では英語で話す。そのどちらにも馴染めなかった彼女はイタリア語に魅了される。『べつの言葉で』は、家族とイタリアに移住した彼女が苦心して新しい言語を身に付けるまでの記録であり、『わたしのいるところ』は初めてイタリア語で書いた小説だった。そして、この『思い出すこと』は初めてイタリア語で書いた詩集だ。しかし、ラヒリはこの詩はローマの家具付きアパートで見つけた「ネリーナのノート」に書かれていたとして、詩の編纂を知人で研究者のマッジョに託す。ネリーナもマッジョも、ラヒリが創作した人物。敢えて自分の詩ではないことにしたところに、本作の妙味がある。

読みながら思い起こしたのは、ポルトガルの詩人、フェルナンド・ペソアのことだ(本作にも一行だけ登場する)。翻訳を生業としていたペソアは、生きている間は無名だったが、死後、トランクの中から詩の草稿が見つかる。しかも、それは70もの人格を演じ分けながら紡がれたものだった。

ラヒリやペソアの「自分はどこにも所属していない」という感覚は現代的だ。人間が社会性を余儀なくされる以上、私たちはいくつもの人格を演じ分けながら生きている。ラヒリの場合、特徴的なのは失ったもの、通り過ぎたものが自分をつくってきたという感覚だ。

最もパーソナルな真実は、母語でない言葉で描かれた匿名の詩の中にある。記憶の断章の中にだけ、紛れもないたったひとりが浮かび上がる。

※この記事はPen 2023年11月号より再編集した記事です。