英国の歌曲史を継ぐ、ビターな味わいに酔う

  • 文:小室敬幸(音楽ライター)
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【Penが選んだ、今月の音楽】
『ザ フォリィ オブ ディザイア』

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イアン・ボストリッジは1964年、イギリス生まれの歌手。ウィーン・コンツェルトハウス、ニューヨークのカーネギー・ホールなどで活動。録音分野でも多くの賞を獲得し、グラミー賞には計15回ノミネートされた。2004年に大英帝国勲章のひとつであるCBE勲章を受勲。 © Stephanie Berger

2013年にグラミー賞のベストR&Bアルバム部門を獲得してから誰もが認めるように、現代ジャズのシーン最前線をいくピアニストがロバート・グラスパーであることに異論はない。しかしながら、ある意味ではグラスパー以上に幅広い音楽を聴かせてきたのがブラッド・メルドーである。90年代には伝統的なピアノトリオ編成へ、ロックの楽曲や複雑極まりない変拍子をもち込むなどして頭角を現した。

その後の多彩なアルバムは紹介しきれないが、たとえば19年にグラミー賞を得た『ファインディング・ガブリエル』は聖書を題材にしてトランプ前大統領を批判する内容で、シンセサウンドを前面に押し出していた。並行して18年にはアルバム『アフター・バッハ』をリリース、22年の来日では自作のピアノ協奏曲を披露するなどクラシック音楽寄りの作品も多数発表している。

オペラ歌手と共演するアルバムは3枚目。今回の相方は詩と音楽を知性的に解釈して、説得力高い歌を聴かせるイアン・ボストリッジだ。彼のために書いた新作は全11曲で約47分と大作。英語圏のブレイク、イェーツ、シェイクスピア、オーデン、カミングス、そしてドイツからはブレヒトとゲーテといったさまざまな時代から欲望をテーマに詩が選ばれ、題名の通りその「Folly( 愚かさ)」が描かれるというわけだ。耽美的に美しい楽曲もあるが、なかにはカミングスのように、詩の内容を初期ロックンロールの衝動と結びつけたユニークな歌も含まれている。にもかかわらず歌曲集全体の印象はB.ブリテン以降の英国の歌曲史を継ぐようなビターな味わいに満ちており、端的にいえばクラシック音楽の歴史を更新するような作品に仕上がった。余白に数曲収録されたスタンダードも素晴らしく、まずはこちらから聴くのもいい。

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ブラッド・メルドー、イアン・ボストリッジ ペンタトーン PTC-5187035 ¥3,090

※この記事はPen 2023年10月号より再編集した記事です。