日本でラジオ放送が始まったのは1925年。翌年にNHKの前身である社団法人日本放送協会が設立され、戦後1950年に民間ラジオ局の設置が認められるまでの間、唯一のラジオ放送局だった。
本書は、NHK内部の人間だった著者が、当時の関係者への丹念な取材とNHK放送文化研究所などに残された膨大な資料をもとに、ラジオとNHKの戦争責任に真正面から切り込んだノンフィクションだ。
まず明らかにされるのは満州事変の報道だ。発端となった南満州鉄道の爆破は日本軍が仕掛けたものだったが、ラジオも新聞もそれが中国軍の仕業だと報じたことは、いまではよく知られている。まさにフェイクニュースだ。以降、ラジオは軍や政府の意向を国民に浸透させる装置として作用するようになっていく。
軍や政府の意向を国民に浸透させる“装置”としてのラジオ
第二次世界大戦でサイパン島が陥落した時、ラジオは在留邦人が軍とともに戦い死んだと報じたが、事実とは異なる。邦人の半分はアメリカ軍の施設に収容されていたのだ。しかしそれを報じれば国民は戦意を喪失する。ラジオは、全邦人が玉砕したことにしたい軍の意向に従った。
本土への大規模空襲が迫っても報道姿勢は変わらない。伝えるのは危険の喚起や具体的な防護策ではなく、日本軍の強さと精神論ばかりだったことを著者は指摘する。さらに原爆被害について、新聞は報じたのにラジオは報じようとしなかった。
驚いたのは、敗戦の翌日に出た指示だ。逓信院(当時のラジオ放送の監督省庁)の会議の議事録には、敗戦は「国民全部ノ罪ト指導シヨウトイウコト」と記されていたという。軍や政府の責任を追及しないようにということだ。
誰に従うべきか? 暗黙のうちに理解する組織人
ところがそのすぐあとには180度転換し、GHQの指示のもと日本の軍国主義への批判番組の制作が始まった。しかし自由な報道が可能になったわけではない。アメリカが原爆を落としたことや原爆被害について触れることはできず、日本で米兵が起こす犯罪についても報道を控えた。
本書を読むと、放送現場のリアルが伝わってくる。権力による支配のもと、組織人は誰に従うべきかを暗黙のうちに理解し、目の前の仕事をこなすことを最優先する。権力の強さは変わっても、この状況はいまも続いているのかもしれない。