【Penが選んだ、今月の音楽】
『C.P.E. バッハ:ヴュルテンベルク・ソナタ集』
ジャズの世界におけるリビングレジェンドのひとり、御年78のキース・ジャレット。大変残念ながら、数年前から半身不随になってしまいリハビリを続けているというが、現状はピアニストとしてリタイア状態だ。
若い頃にはジャズの帝王マイルス・デイヴィスのバンドに参加。ファンキーでありながら不協和音も大胆に駆使したエレクトリックピアノでロックフェスを沸かせたこともある。だが今日のイメージを決定づけたのは、ジャズスタンダードを新鮮に蘇らせたピアノトリオと、完全即興によるピアノソロだ。これらはジャズの歴史においても特筆すべき録音として、永く聴き継がれていくに違いない。
だがもうひとつ、キースの業績として評価されるべきはクラシック音楽との関わりだ。実は作曲家として、クラシックの演奏家が楽譜通りに演奏することを前提にした作品も手がけており、それらはECMレコードから発表されている(1枚だけなら『ブリッジ・オブ・ライト』を推したい)。さらにピアニストとしてクラシックの伝統的なレパートリーも録音。最も有名なのはJ.S.バッハの演奏で、4年前にも1987年の秘蔵ライブ録音がリリースされ話題となった。
今回は94年の未発表録音からバッハの次男、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハのソナタ集だ。彼は父J.S.バッハとベートーヴェンの間をつなぐ歴史的に重要な存在なのだが、作品が演奏される機会はまだ少ない。建築的で論理性の高い父に対し、息子の音楽は非常にセンシティブ。繊細に揺らぎ続ける感情をこれほど自然に表現したジャレットのような演奏は稀有で、現代のピアノによる決定盤となるだろう。J.S.バッハほど窮屈ではなく、ベートーヴェンほど感情を爆発させない。その塩梅が現代に心地よくフィットする。
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※この記事はPen 2023年8月号より再編集した記事です。