「ジェニファー・ローレンスがビーサンで登場…」カンヌ国際映画祭から女性の“靴問題”を改めて考える

  • 文:中川真知子
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ジェニファーの魅力は自分がセレブだと自覚していないところにある。

ジェニファー・ローレンスがカンヌ映画祭において、ドレスにヒールではなくビーチサンダルで現れたことが話題を呼んでいる。

ヒールはそもそも騎馬隊の男性のために生まれたと言われている。そして、その歩きにくさから、歩かなくてもいい裕福層のものだった。

このようなヒールの歴史的事実を知り、筆者はとても納得し、同時に腹が立った。そもそも男性が馬に乗るために開発された、歩行には適さないヒールを、フォーマルなドレスコードに入れているのだろうか。日本では、2019年に#Kutoo運動が始まり、苦痛を伴う特定の種類の靴の着用を義務付ける企業や社会通念に対して声を上げたが、海外ではそれ以前からヒールからの解放を訴えるムーブメントが起こっていた。

本記事では、カンヌ国際映画祭での一幕を紹介しつつ、ジェニファー・ローレンスがビーチサンダルを選んだ意図を深読みしていく。ヒールの歴史も振り返った上で、改めて#Kutooについて考えていきたい。

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裸足からビーチサンダルへ

ここ数年、カンヌ国際映画祭の女性参加者のヒール着用のドレスコードについて議論が起こっている。ことの始まりは、2015年にはフラットシューズで参加した女性が参加を断られた、という報告だった。よく年の2016年、ジュリア・ロバーツはレッドカーペットでヒールを脱ぎ捨てて裸足で階段を登った。それに倣うように、カンヌというフォーマルな場で裸足になる女優が見掛けられるようになった。

裸足での参加は、カンヌ国際映画祭に暗に存在されると言われているドレスコード(公式はヒールの高さに関する規定はないと発表している)に対抗するものだと言われているが、今年はジェニファー・ローレンスがビーチサンダルを履いてきたことによって、新たなステージを迎えつつあるように感じた。

というのも、ゴム製のサンダルは、裸足よりもカジュアルな意味合いが強く、レッドカーペットの途中でヒールを脱ぎ捨て裸足になって抗議を体現するよりも、「快適さの追求」や「選択の自由」、さらに「文化の受け入れ」や「寛容」を主張しているようにも受け止められたからだ。

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ビーチサンダルには「復興」や「他文化受け入れ」の意味?

飾らないキャラクターで知られるジェニファー・ローレンスは、最も親しみが持てるセレブと言われている。

地に足ついた彼女が庶民的なビーチサンダルを選んだのは自然に思われるが、筆者はもう少し深い意味があったのではないかと推測する。

こう考えるのも、レッドカーペットで着用するドレスやアイテムは、多くの人が関わり、ドレスやアクセサリーに込められた歴史やメッセージなどを吟味しながら選ばれるからだ。ヌードカラーではなく、あえて目立つ黒っぽいビーチサンダルを選んだのは、注目してほしかったからに他ならないだろう。

そこでビーチサンダルについて掘り下げてみたい。あの形状のルーツは、紀元前4000年ごろの古代エジプトまで遡ると言われている。ところが、ジェニファー・ローレンスが履いた現代的なゴム性のビーチサンダルの起源は日本なのだ。第二次世界大戦後の日本に、GHPはレイ・パスティンというアメリカ人を来日させた。復興の一助を命ぜられたパスティンは、日本の草履に注目し、海外向けにしたいと考えたという。このアイディアに協力したのが、兵庫県の内外ゴム株式会社。紆余曲折を経て、外国人でも履きやすいゴム草履が完成し、「ビーチウオーク」として海を渡った。ハワイでは1ヶ月で10万足以上売れる大ヒットを記録したのだ。かつての敵国同士が戦後の復興のために手を組んだことは感慨深い。

ここまでのことを加味したとすると、ジェニファー・ローレンスのビーチサンダルは、女性にのみ歩きにくく体への不調すら招くヒールの着用を暗黙の了解で押し付けるカンヌへの反抗だけでなく、快適さの追求や実用性、選択の自由、協力といったメッセージも含まれると考えられるかもしれない。

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そもそもヒールは男性用だった

ヒールの歴史は中世のペルシャの騎馬隊から始まっている。騎馬隊は、馬具の“あぶみ”に靴を固定させ、安定して弓矢を放つようにかかとが高くなった靴を使っていたのだ。それがヨーロッパに渡って広まった。冒頭でも書いたが、ヒールは男性のために作られたものなのである。

その後、ヒールはルイ14世の愛用品として富の象徴とステータスを変えていく。かかとが高く実用的でないヒールは、整備された場所を歩き、働かなくても生活できるくらいに裕福な人のみが履くことを許されたからだ。

17世紀になると、男性っぽさを取り入れたい女性がヒールを履くようになった。徐々にヒールがフェミニンなシルエットになっていったのは、18世紀。この頃から、男性用ヒールのかかとは太くなって安定し、女性用ヒールのかかとはカーブを描くデザインに差別化されていく。ただ、女性の間でヒールが定着していたわけではない。

今のように、ヒールが女性のものと認識されるようになったのは19世紀後半だ。きっかけは、ポルノ写真の女性がハイヒールを履いていたからだった。ヒールはドレッシーな場だけでなく、職場でも義務化されるケースが多々あるが、ヒールが性的魅力を助ける意味合いとして使われていた過去を鑑みるなら、女性に強制することに違和感を覚えずにはいられないだろう。

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実用的でない靴が義務付けられることへの疑問と現在のトレンド

ドレスコードが設けられるのは悪いことではない。だが、映画祭のように長時間立ちっぱなしで階段を上り下りするような場で、膝や関節を痛めたり、強い腰痛を引き起こしたりするヒールを履くように半ば強制することは疑問視されても仕方がないだろう。それに、長期間にわたってヒールの靴を履いた結果、外反母趾になったりたこができているセレブは少なくない。ヒールを履きたい人がいる一方で、身体的苦痛を強いるルールに異を唱える人が出てきたのは必然だ。

それに、今はヒールを履く=オシャレという価値観が薄れ、快適さを求めてスニーカーやフラットシューズを選択する人たちも増えてきている。現に、レッドカーペットではヒールを履いていても、日常ではフラットシューズを愛用しているセレブは多い。例えば、タイラ・バンクスは、2010年に大きなたこがいくつもできた足を嘲笑された際に「ヒールを長いこと履いていたことでできたものだ。たまには足を休ませてあげなければ」とコメントし、常にヒールばかり履いているわけではないことを匂わしている。

それに、ここ5年ほどはファッション誌などでもフラットシューズを合わせたセレブの装いが人気を集めている。ヒールがトレードマークだったヴィクトリア・ベッカムも、このトレンドにいち早く乗じてスタイリッシュなフラットファッションを披露したひとりだ。

それに、2022年からは、ノー・シューズという、足と一体化したように見えるミニマルなデザインが各種ブランドから展開されており、ヒールと女性を関連づけるステレオタイプからの脱却をにおわせている。ちなみに、このノー・シューズは、今年のカンヌでイザベル・ユペールが履いており、こちらも古い体制を続けるカンヌへの揶揄的なメッセージだろうと推測するものも多い。

TPOに合わせてドレスコードを定めることは、決して悪いことではなく、参加者にとっても服装で悩まなくて済むというメリットがある。それに、カンヌのレッドカーペットにしても、セレブ全員がヒールを嫌がっているわけではないことも覚えておきたい。

しかし、ヒールが実用的なデザインではないことや、健康を害する可能性があるとわかっている限り、義務化や強制はされるのではなく、着用は個人の選択に任されるべきだろう。

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ビーチサンダルでレッドカーペットに現れたジェニファー・ローレンス。

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カンヌに裸足で登場したジュリア・ロバーツ

 

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