「静かで普通の生活を求めた」ティナ・ターナーが、アメリカ国籍を捨てた理由

  • 文:山川真智子

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(ツイッターのティナ・ターナー公式サイトからの死去のお知らせ)

「ロックンロールの女王」と呼ばれたアメリカ人歌手、ティナ・ターナーが5月24日に83歳で亡くなった。ロック、R&B、ポップスのスーパースターとして活躍した彼女は、当時ボーイフレンドだった夫と暮らすため1990年代半ばにスイスに移住。2013年には米国籍を放棄してスイスに住み続け、安住の地にアメリカを選ぶことはなかった。

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DVに苦しんだアメリカ時代 離婚後のソロ再出発でスターに

ティナ・ターナーは、テネシー州出身。1960年代からアイク・ターナーとのデュオ、「アイク&ティナ・ターナー」として活躍したが、夫でもあったアイクのアルコールや薬物の乱用と執拗な暴力に苦しめられていた。アイクとの離婚が成立し、1977年からはソロとして再出発。その後ヒット曲を次々と出し、世界的なスターとなった。

晩年は、様々な疾患を患っていたとされ、2018年には夫から腎臓移植を受けていた。5月24日にスイスのチューリッヒ郊外の自宅で亡くなり、知らせを聞いた多くの著名人が、追悼メッセージを出している。

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欧州が熱狂!マドンナをしのぐスーパースターだった

「アメリカン・アイコン」という表現も使われるティナ・ターナーだが、実はその人気は欧州のほうが高かったという。1997年のCNNのインタビューで、ティナはアメリカを去った理由として、ボーイフレンドの存在以外に、欧州が自分のキャリアに多大なサポートをしてくれ、成功をもたらしてくれたからだとしている。

「アメリカでだってスーパースターなのに?」と言う司会のラリー・キングに、「マドンナほどじゃないもの。でも欧州ではマドンナと同じぐらいビッグなの。私のほうがローリング・ストーンズよりビッグな国だってあるのよ」と答えている。

CBS『60ミニッツ』の1997年のインタビューで、司会者が「あなたが欧州でこれほどの大スターだなんて知らなかった」と言うと、「そうよ。アメリカでは誰もそのことを知らないけど」と答えていた。当時の15カ月にわたるワールドツアーでは、欧州だけで1億ドルを稼ぎ出していたという。

絶大な人気を誇ったティナ・ターナー死去のニュースには、欧州の多くのメディアや団体が反応した。

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もうアメリカには戻らない…プライバシーが守られるスイスを第二の故郷に 

前出のCBSのインタビューで、「自分はどのぐらいアメリカ人であると思うか」という問いに対し、「アメリカ人ではあるが、心の中ではもうアメリカに戻ることはないと思っている」とティナは答えていた。実際に、2013年に長年のパートナーだった音楽プロデューサーと結婚し、アメリカのパスポートを手放してスイスの市民権を得ている。

APによれば、近隣の人々は、ティナを見つめたり、サインを求めたり、写真を取ることもなかった。多くのスイス人は、この地で彼女がメディアのスポットライトから逃れることができること、普通の生活を送れることに誇りを感じていたという。ティナ自身も、プライバシーを尊重しお互いを気遣うというのがスイスの文化だと生前話し、満足していたようだ。

「ロックンロールの女王」のアメリカでの日々は苦しいものだったが、その後の欧州での成功、そしてスイスでの安らいだ生活は、人生においてかけがえのないものだったに違いない。

(オバマ元大統領もロックンロールの女王を追悼)

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(ミック・ジャガーの感謝の言葉。ティナはソロとして再出発した際、ローリング・ストーンズのツアーの前座を務めた)

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(ブライアン・アダムからティナへお別れの言葉。2人はデュエット曲もリリースしていた)

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インタビューに答えるティナ。欧州はアメリカより自分の音楽を支持してくれていると話した.

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(CBSのインタビュー。アメリカは成功が長く続かない国だが、欧州は違うと話した)

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(エッフェル塔公式サイトが、写真家ピーター・リンドバーグが撮ったティナの写真を投稿)

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(英陸軍音楽隊のウェールズ衛兵隊もティナへのトリビュートを披露)

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(ロンドンのベストセラー地下鉄本の作者たちが出した、地下鉄構内の追悼メッセージ)

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(フランス、リベラシオン紙の一面)

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