ブラッド・ピットが『テルマ&ルイーズ』で被った、アメリカンなスタイルに不可欠のテンガロンハット

  • 文:小暮昌弘(LOST & FOUND)
  • 写真:宇田川 淳
  • スタイリング:井藤成一

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商品名は「GUS」。高いクラウンと広いブリムが特徴。飾りを細くすることでよりクラウンの高さが強調されるデザイン。素材はShantung Panama 。テンガロンハットの王道のシルエットで19世紀後半に流行した形。カウボーイは身長が低い人も多かったので、自分を大きく見せようとテンガロンハットを被り、その大きさで本人の収入がわかるほど、ハットにお金をかけた。¥33,000/ステットソン

「大人の名品図鑑」ブラッド・ピット編 #5

80年代末にデビューし、以来第一線で活躍し続ける映画俳優ブラッド・ピット。美しい顔立ち、大人の色気を感じさせるその演技は“最後のハリウッドスター”と称され、プライベートで身に着けるアイテムは日本のメディアでも話題になるほど、ファッションにも敏感だ。今回は、そんな彼が数々の作品の中で披露した名品にフォーカスを当てる。ポッドキャスト版を聴く(Spotify/Apple

ブラピの愛称で知られるブラッド・ピットが生まれたのは1963年12月18日。場所はアメリカ南部オクラホマ州ショーニーという町だ。父ビルはトラック運転手、母ジェーンは学校でカウンセラーとして働いていた。本名はウィリアム・ブラッド・ピットだが、名前を継いだ父と区別するために周りからミドルネームのブラッドで呼ばれるようになった。

少年時代からスポーツ万能、成績優秀で、礼儀正しい少年だったと多くの人に記憶されている。ルックスも周囲の人から「古代ローマの彫像にそっくり」と指摘されるほどで、女子生徒のアイドル的な存在だったと聞く。

高校に入ると演劇部に所属し演技に目覚めるが、彼が特に好きだったのはミュージカル。音楽好きだったことが影響していたのかもしれない。高校卒業後はミズーリ大学へ。アートも好きだったので、卒業後は広告のアートディレクターか建築家になろうと思っていた。ところが卒業まであと2週間、2単位を残すのみとなった1986年、自分で何かを表現する職につきたいと愛車ダットソンに荷物を詰めてカリフォルニアに向かう。

最初はミュージシャンになろうとも思ったが、すぐにプロへの道は壁が高いと気づき、俳優に方向転換する。まずは新聞広告に掲載される「エキストラ募集」に応募し、わずか数秒の出演で少額のギャラを得る毎日だったらしい。『ブラッド・ピット 変貌する誘惑のブロンド』(ブライアン・J ・ロブ著 シンコー・ミュージック)によれば、ロサンゼルスで彼が最初に得た仕事はメキシコ料理風のファスト・フード店「エル・ポヨ・ロコ」で。「黄色の羽毛で出来たコスチュームを着込んでサンセット通りとラ・ブリーア・ブールバードの交差点で踊り、店に訪れた客を出迎えた」と書かれている。

その後、有名な演劇コーチのもとで演劇の基礎からみっちり教え込まれたブラッド・ピットは、87年にNBCのTVドラマ『アナザー・ワールド』にゲスト出演、CBSの人気ドラマ『ダラス』にも4話に渡って出演するなど、初期はTVを中心に活躍していた。ようやく映画の主役を得たのが88年の『リック』。太陽光線を浴びると死に至る奇病を患った青年を演じたが、この作品の撮影が行われたのは当時のユーゴスラビア。完成前に内戦が起こり、撮影したフィルムが行方不明になり一時お蔵入りになったという、いわくつきの作品だ。

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キャリアの原点となった『テルマ&ルイーズ』

ブラッド・ピットが広く知られるきっかけとなった作品が、91年の『テルマ&ルイーズ』だ。『エイリアン』(79年)、『ブレードランナー』(82年)などで有名なイギリス出身のリドリー・スコットが監督した作品で、主演はスーザン・サランドン(ルイーズ)とジーナ・デイヴィス(テルマ)。この2人の女性のいわばロードムービーという作品だが、第64回アカデミー賞では6部門にノミネートされ、見事脚本賞を獲得している。

ブラッド・ピットがこの作品で演じたのは逃避行を続ける2人、特にテルマに絡むヒッチハイカーのJ.D.という役だ。途中、彼が逃走資金を盗んで逃げてしまったことで2人は窮地に陥り、大きく人生を変えていくことになる。ブラピはこの作品でわずか10分程度の出演だったが、多くの人に強烈な印象を残した。『美しき反逆者 ブラッド・ピット』(SCREEN特別編集 近代映画社)にはブラピ本人がこの作品を「本当の意味でのキャリアの原点」と語ったとある。

話を『テルマ&ルイーズ』に戻そう。ブラピが演じたJ.D.は、ジーンズに白Tシャツとウエスタンシャツというアメリカンなスタイル。そして頭にはいつも生成りのテンガロンハットを被っていた。作品の舞台になったアメリカ南部は砂漠なども多く、広大な土地で暮らす人たちにとってはこうしたハットは必需品なのだろう。

ましてや劇中のようにオープンカラーでハイウェイを疾走するとき、強い日差しから身を守ることにも繋がる。作品の中でテルマとルイーズが立ち寄る酒場でも、ダンスを踊るほとんどの男女がテンガロンハットを被っていた。それほどテンガロンハットは、アメリカ南部の生活に馴染んだアイテムだったとみて間違いないだろう。ちなみにエンディング近くになると、ルイーズもJ.D.と同じようなハットを被っている。

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テンガロンハットの代名詞、ステットソン

テンガロンハットの老舗で知られるブランドが、1865年創業のステットソンだ。ステットソンは、『大人の名品図鑑 ジョニー・デップ編』でもデップが個人的に愛用しているハットブランドとして紹介したが、ニュージャージー出身のジョン・パタソン・ステットソンが、フィラデルフィアで姉から借りたわずか60ドルを元手に帽子の製造を始めのが、この老舗の始まり。69年に出会ったカウボーイに乞われて販売したテンガロンハットのデザインを再現し、それを「ボス・オブ・ザ・プレインズ(平原の大将)」と命名し販売すると、このハットが大ヒット、アメリカのシンボル的なブランドへと成長を遂げることになった。

セオドア・ルーズベルト、フーバー、ジョンソンなどの歴代のアメリカ大統領にも愛用された名品だ。映画に登場した夏用のテンガロンハットは、アメリカではハイウェイをパトロールする警官たちがよく愛用していたことでも知られる。また昔、某煙草ブランドの広告に登場するカウボーイたちもこの帽子を被っていた。

現在ではテンガロンハット以外にも多くの種類のハットを生産しているが、冬用のフェルト素材のハットも含めてテンガロンハットは、ステットソンを代表する製品としていまでもテキサス州の工場で生産され、輸出になかなか対応できないほど、アメリカでは人気だと聞く。ブラピのようなアメリカンな伊達男を気取ろうと思えば、このテンガロンハットの存在を忘れてはならない。

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帽子の内側にはステットソンの歴史を物語るような洒落たイラストを使ったプリントが貼られている。

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映画に登場したテンガロンハットはペーパー素材と思われるが、湿気などの関係から日本ではShantung Panamaが人気で、高級感もある。フィラデルフィアから移転したテキサス州の工場で生産されたモデルだ。

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商品名は「SANTA FE」。ウェススタンハットをアウトドア向けのデザインに落とし込んだモデル。素材はVented Shantung。通気性を持つように「透かし編み」という手法で編まれており、あご紐を付けるなど実用性も高い。商品名の通り、ニューメキシコの文化を取り入れたハット飾りにも特徴がある。¥12,000/ステットソン
 

問い合わせ先/ステットソンジャパン TEL:03-5614-5890

https://www.stetsonhats.jp

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