「時代の一歩先を読み、敵をつくらない生き方に共感」山崎怜奈が蒲生氏郷への愛を語る

  • 写真:筒井義昭
  • スタイリング:川野さわこ 
  • ヘア&メイク:田中康世(nous)
  • 編集&文:久保寺潤子

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12月28日発売のPen最新号「戦国武将のすべて」では、戦国武将たちの知られざる姿を解き明かしつつ、映画『THE LEGEND & BUTTERFLY』、大河ドラマ『どうする家康』など、話題の大作の魅力をひも解く。さらに戦国時代を舞台にした人気漫画・ゲームなどの裏側や制作秘話に加え、軍師の働きや名城の見どころ、天下分け目の合戦模様や大名の組織運営まで、あらゆる角度から戦国武将たちの姿に迫る。

本記事では、その中から歴史好きとして知られる山崎怜奈のインタビュー記事を抜粋・再編集して掲載する。

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歴女として知られる元乃木坂46の山崎怜奈にとって、敬愛する蒲生氏郷(がもううじさと)とはどのような存在なのか?

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「戦国武将って生死を分ける戦いに勇ましく挑んでいく印象が強いけれど、誰もが好き好んで戦っていたわけじゃないと思うんです」

そう話す山崎さん自身、アイドル時代から人と競争するのが苦手だったという。

「歴史上には戦わずして勝っている人もたくさんいます。蒲生氏郷は織田信長や豊臣秀吉といったビッグネームに囲まれながら、敵対関係をつくらずに成功した人。十代でその存在を知ってから、戦国武将の印象が変わりましたね」

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蒲生氏郷●1556〜1595年。近江の六角氏の重臣一族から織田家、豊臣家の家臣、東北一の大大名へと出世。「利発なる戦国武将」と称される一方、利休七哲の顔をもつ文化人でもあった。©Yogi Black/Alamy/amanaimages

蒲生氏郷は1556年、近江国(現在の滋賀県)の日野城主・蒲生賢秀(かたひで)の嫡男として生まれた。蒲生家は近江を治める六角氏に仕えた名軍だったが信長の侵攻により六角氏が没落すると、賢秀は織田家に臣従し、氏郷を人質として差し出した。

「蒲生家は国衆といって、いわば独立国家の領主のような存在。氏郷は長男として背負うものも大きかったんでしょうけど、自分の身を守ること、家を存続させることをいつも考えていた人だと思います。当時の人質は、家臣に裏切らせないための担保のようなもの。氏郷は信長のもと、わずか15歳で社会人デビューするんです」

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14歳になった氏郷は、賢秀に従い初陣で参戦した大河内城(おおかわちじょう)の戦いで、敵の幹部の首を取って帰還。頭脳明晰で剣術にも秀でた氏郷の才能を見抜いた信長は、次女を娶らせ娘婿として迎え入れる。

「信長が婿に迎えるというのは相当な信頼がないと難しいと思うのですが、氏郷はそれだけの実力を備えていたということですよね」

智将として活躍した氏郷は、時代を読むセンスにも長けていた。1582年に起きた「本能寺の変」以降、その機転が発揮される。

「信長が亡くなった時、氏郷は27歳。自分を認めてくれた人がいなくなって路頭に迷いそうなものですが、この時既に氏郷は秀吉側についていたんです。これは、妻が秀吉の跡継ぎとされていた秀勝(信長の四男で、秀吉の養子)と同母の兄妹だったことも大きかったのだと思います」

「本能寺の変」では信長の家族を日野の中野城にかくまった氏郷だが、「山崎の戦い」で秀吉が明智光秀を討つと秀吉に臣従し、羽柴軍の勝利に貢献する。

「織田家が落ちる直前に秀吉側につくという嗅覚がすごい。当時の勢力図を冷静に見ながら、織田家に反感を買わず羽柴家にもメリットになるような自分の立ち回り方を考えていたのでは。信長の後釜を狙ったり、秀吉に立ち向かわないところが、彼らしいですよね」

秀吉が家康と対峙した「小牧・長久手の戦い」で武功を上げた氏郷は、伊勢松ヶ島に12万石の領地をもらい受け、秀吉直臣のなかではトップレベルの地位を確立する。そんな氏郷のもう一つの側面を物語るのがキリシタンと茶人としての側面だ。

「氏郷は『利休七哲』(千利休が信頼する7人の高弟)のうちの一人です。彼らの多くはキリシタンで、先進的な文化を導入したと言われています。利休は政治家としての一面もあって、戦国のフィクサーのような存在。その利休が氏郷を高く評価していたことは興味深いですね。利休の周りにはさまざまな情報が入ってきたでしょうから、氏郷はそれを耳にしながら、客観的な視点で自分の家を大きくしていったんだと思います」

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山崎さんが所有する『蒲生氏郷伝説』(サンライズ出版)。氏郷の生地、滋賀県日野町の教育委員会に勤める著者が、伝説の根拠と真相に迫る。史料の少ない氏郷にまつわるエピソードが満載。

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1590年、氏郷は秀吉から奥州の会津に領国を移され、35歳の若さで約40万石の大名へと出世を果たす。さらに翌年には2万石となり、徳川家康、毛利輝元、羽柴秀保に次ぐ4番目の石高を誇った。「こんな有名人の中に名を連ねるなんて、すごいですよね。会津に栄転した氏郷は、街の繁栄に尽力します。街づくりにあたっては、交通網が発達していて商業が盛んだった生まれ故郷の日野を参考にしたようです」

氏郷は晩年、会津で優れた内政手腕を発揮した。鶴ヶ城(のちの若松城)の改修では、近江国から引き連れた技術者によって野面積みの天守台と7層の天守閣をつくり、街の区画整備を行い、城下町に楽市楽座を導入。漆器や木綿など地場産業の発展にも尽力した。

「晩年は会津のために働いた氏郷ですが、生まれ故郷の日野でも人気は健在です。私が氏郷ファンであることを知った日野町の『蒲生氏郷公顕彰会』の方が、熱心に資料を送ってくださったんですが、いまも地元に愛されているのが、氏郷の人格を物語ってますよね」

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自宅の書棚に並ぶ歴史本の一角。「歴史を学ぶ面白さは、教科書ではわからなかった尊敬できる人物に出会えること」と話す。蒲生氏郷のほかに好きな歴史上の人物は、坂本龍馬と渋沢栄一。

のちに朝鮮出兵の野望を抱いた秀吉に応じ、氏郷も九州まで出陣したが、1595年、病に倒れ40歳の若さでこの世を去った。

「氏郷ってあんまり欠点が見当たらないんです。一生を追っていくと、一つひとつの選択が冷静で、物事を客観的に見ている。信長と秀吉というビッグネームを渡り歩いた背景には、緻密な計算をしながら人とコミュニケーションをとってきたことが予想されます。これほど有能なら裏切りを恐れて殺されてもおかしくない状況なのに、どうしてこんなに器用に立ち回れるのかと勉強になります」

氏郷のように「他人視点」をもつことが現代を生きる上でも参考になる、と山崎さんは続ける。「人間って他者からの承認欲求で動いている生き物ですよね。私も他人から、いい人って思われたい。氏郷が時代の一歩先を読んでいたのは、トップになりたいからではなく、敵をつくりたくなかったのでは?人に尽くすことで貯蓄してきた好感度を、絶妙なタイミングで信用に変えている。ずる賢いとも言えますが、そんな蒲生氏郷が私は大好きです」

山崎怜奈

2013年から22年まで乃木坂46のメンバーとして活動。大の歴史好きで、19年、ひかりTVチャンネルにて歴史上の偉人を深掘りする番組を担当。20年、慶應義塾大学卒業。現在東京FM「山崎怜奈の誰かに話したかったこと。」でラジオパーソナリティを務める。

pen1228_re.jpg Pen最新号の表紙は、映画『レジェンド&バタフライ』で織田信長を演じる木村拓哉の【通常版】と、原哲夫による『花の慶次』の【特装版】の2パターン。

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