元は漁師のワークウェア。 「アランセーター」の歴史を振り返る

  • 文:小暮昌弘(LOST & FOUND)
  • 写真:宇田川 淳
  • スタイリング:井藤成一

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「A2:A SWEATER IS LOVE.」と名付けられたモデル。アラン諸島最高のハンドニッターと称される故モーリン・ニ・ドゥンネルが遺した「21世紀最高のアランセーター」をマシンメイドで再現した。30種類の異なる編み柄で構成され、360度違った表情を見せる。通常アランセーターの糸は粗野な風合いのウールを使用しているものが多く、肌を刺すような感覚を覚えることがあるが、このモデルは手編みのような粗野な風合いを残しながらもカシミヤのような肌触りを併せ持つ。¥57,200/THISISASWEATER.

「大人の名品図鑑」ニット編 #1

ニットウェアは秋冬のスタイリングに彩りを与えてくれるアイテムだ。長く着用でき、着れば着るほど愛着が増すのが、ニットウェアの大きな魅力だろう。モノを大事にしようとするエコな時代、今後はニットウェアがさらに注目されることは必至だ。一度手に取ったら最後、虜になってしまうような世界のニット名品を集めてみた。

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「アランセーター」をご存知だろうか? 身頃や袖に縄編みの柄が浮き出すように入った生成りのセーターで、『華麗なる賭け』(68年)では、スティーブ・マックイーンがサンドバギーを操るときに、『ある愛の詩』(70年)ではライアン・オニールが冬のセントラルパークのアイスリンクで着用するなど、多くの人の記憶に留めるセーター。日本でも60〜70年代に「フィッシャーマンセーター」と呼ばれ、アイビー&トラッドスタイルには欠かせないアイテムとして人気を博したセーターだ。

アランセーターが生まれたのはアイルランドのアラン諸島。アイルランドはグレート・ブリテン島の西に位置する国で、アイルランド西岸ゴルウェイ湾の沖合に位置する3つの有人島を総称してアラン諸島と呼ぶ。西からイニシモア、イニシマン、イニシア。「イニシ」はゲール語で島を意味し、イニシモアは「大きな島」という意味だそう。大きいと言われてもこの島の大きさは東西わずか12キロ、南北4キロしかなく、人口は800人ぐらいと聞く。

日本から見ればまさに“西の果て”という場所で生まれたのがニットウェアの名品であるアランセーターだ。その誕生は20世紀初頭という説が有力。諸説あるが、アラン諸島に建設された漁業基地に出入りしていたスコットランド人家族が持ち込んだ「ガンジーセーター」がベースとなって生まれたという。彼らが持ち込んだガンジーセーターは英仏海峡のガンジー島で生まれたセーターで、肩や胸に縄編みの紋様が入った濃紺色のセーターで、18〜19世紀ごろから漁師たちがユニフォームのように着用するようになった肉厚のニットウェア。それがアラン諸島に伝えられ、もともと手先が器用で編み物を得意としていた島の女性たちが、自分たちが着るニットウェアとしてこのアランセーターを編むようになったものらしい。

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「アランセーター」を見れば身元がわかる?

アランセーターにはトラッド好きなら忘れられない逸話がある。「アランセーターの編み柄には漁の安全と豊漁を願う祈りが込められている。編み柄は家紋のごとくそれぞれが異なり、不幸にも漁で遭難した人が岸に打ち上げられると、その編み柄を見ただけでその身元がわかる」というものだ。なんとも悲しく美しい物語ではないか。しかしこの説はどうも間違いらしい。

確かに編み柄に使われている紋様は、「ケーブル(漁師の網)」「トレリス(石垣)」「ハニカム(蜂の巣)」など、多くはこの地の自然を題材にしたものではあるが、紋様は編み手それぞれが「自分で工夫して色々な編み柄を編んでいる」ということが『ハリスツイードとアランセーター』(長谷川喜美著 万来社)に書かれている。くだんの逸話はアイルランドの作家、ジョン・ミリントン・シングの戯曲『海に騎りゆく者たち』に登場する遭難者が履いていた手編みのソックスが元ネタ。ソックスがセーターに置き換えられるなど、大きく脚色され、セーターを販売したい人のある種のセールストークとなり、世に広まったらしい。

いろいろな記事でこの話を書いているのは『アイルランド/アランセーターの伝説』(繊研新聞社)を著し、静岡でテーラーを営む野沢弥一郎だ。さらに野沢は当時のアラン島で漁師が着ていたセーターはそもそも白ではなく、濃紺のものだったと書く。アラン諸島には「男の子は悪魔にさらわれる」という言い伝えがあり、男児も女児もワンピースのような赤い服を着せられていた。男児は12歳になって初めて男らしい格好ができるが、「堅信礼(コンファメーション)」と呼ばれる儀式を迎える息子のために「晴れ着」として母親が編んだのが白いセーターだったと野沢は書いている。

その子ども用の白いセーターをアラン諸島に住む女性が大人のサイズで編むことを思い立ち、その後はデザインやサイズなどの標準化が図られ、製品として販売できるようになり、アランセーターはアイルランド製の輸出品として世界中に広まった。しかしアランセーターが、清廉な白でなかったらこれほどまでに世界中で人気を集めるセーターにならなかったかもしれないとも野沢は述べている。

前述のように日本で白いアランセーターが流行したのは60〜70年代だが、それにも特別な物語がある。日本での流行より10年以上前に、フランスのデザイナー、クリスチャン・ディオールがアランセーターに注目し、自身のコレクションで取り上げる。そのセーターを着ていたのが、レーシングドライバーで実業家、後に歌手欧陽菲菲と結婚した式場壮吉。式場が着る白いセーターを見たVANの創業者・石津謙介が一眼で気に入り、自社で同じようなセーターを売り出し、大ヒットになった。「フィッシャーマンセーター」という名前は和製英語で、誰が命名したかはわかっていない。勝手な想像だが案外、アイデアマンの石津謙介が命名したのかもしれない。

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「アラン諸島最高の編み手」の技術を再現

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製品に付いた織りネームのデザインも独特だ。「THISISASWEATER.」のブランド名の下には上下逆さまに「これはセーターです。」と日本語で書かれている。セーターにかける米富繊維の熱い思いが感じられる。

そんな多彩な物語があるアランセーターの中で今回紹介するのは「THISISASWEATER.」というブランドのセーター。なんとこのセーターは日本製だ。山形県山辺町で1952年に創業された米富繊維のオリジナルブランドで、「セーターとは何か?」を問うようなエターナルなコレクションを揃える。実はこのセーターの製作にはアランセーターの伝道師ともいうべき前述の野沢がかかわっている。

このセーターの見本となったのは、アラン諸島最高の編み手で、ローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世に献上されたセーターを編んだ故モーリン・ニ・ドゥンネルが野沢のために特別に編んでくれたもの。前身頃、後身頃、左右の袖など、それぞれが違う30種類の編み柄を備えたこの世の中にたった一枚しかないセーターで、野沢は「21世紀最高のアランセーター」と絶賛する。米富繊維ではこのブランドで最高のアランセーターを製作するために野沢の元を訪れた。

「一枚しかないこのセーターが多くの人に着てもらえたらいい。マシンニットで複製できたら素晴らしい」という野沢からの提案を受け、製作をスタートする。しかし世界一の編み手による逸品が簡単に再現できるわけはない。何度もサンプルをつくり、試行錯誤を重ね、老舗ニットファクトリーの職人技を駆使して生まれたのが今回の一枚だ。マシンメイドでもその雰囲気、迫力は本場で制作されたアランセーターに負けない。これを名品と呼ばずにしてなんと呼ぶのだろうか。それほどの完成度を誇るアランセーターだ。

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手編みに思えるように仕上げられたアラン諸島に伝わる紋様。左右非対称、30種類の柄が精緻に編み込まれている。これが機械で編まれたとは驚きだ。

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同じブランドの「A1:A SWEATER IS ORDINARY.」と名付けられたモデル。シンプルで上質、しかも飽きのこない5ゲージの天竺編みのクルーネックセーター。「セーターとは何か?」という問いに真正面から向き合い、その名の通り、「究極のふつう」のセーターに仕上げた。素材はウール80%×カシミヤ20%で、柔らかさの中にカシミヤ独特のヌメリ感が感じられる肌触り。ユニセックスのサイズ展開で、全7色。各¥28,600/THISISASWEATER.

問い合わせ先/YONETOMI SENI TEL:023-664-8166

https://shop.yonetomistore.jp

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