日本の鉄道はどのように描かれていた? 美術との関係からたどる『鉄道と美術の150年』が開催中

  • 文・写真:はろるど

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左:石井鶴三『電車』(1936年、東京藝術大学)、右:木村荘八『新宿駅』(1935年、個人蔵)1914年に建てられた東京駅の歴史を感じる煉瓦壁の展示室に並んでいる。

1872年に新橋ー横浜にて開業し、今年150周年を迎えた日本の鉄道。実はその年、初めて「美術」という言葉が翻訳語として登場したことはあまり知られていない。鉄道は多くの絵師や画家のモチーフになっただけでなく、鉄道網の発達によって美術家たちの行動範囲を広げ、創作意欲をかき立ていった。また戦後は駅や電車内にてパフォーマンスが行われたり、作品そのものが展示されるなど、意外にも関係は深い。そうした鉄道と美術の150年の歴史をたどる展覧会が、東京ステーションギャラリーにて開かれている。

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新橋と横浜間の開業時の様子を描いた、歌川広重(三代)の『東京汐留鉄道御開業祭礼図』(1892年、鉄道博物館)などが展示されている。

明治初期、まず鉄道を取り上げたのは錦絵だった。大衆が興味を持ちそうなニュースを報じることで売り上げを伸ばしていた錦絵は、新奇で華やかな鉄道を格好の題材として取り扱う。一方で日本画と洋画において鉄道がモチーフとされたのは、東海道線が全線開通し、東京美術学校が開校した1889年以降のことになる。都路華香は一等車から三等車に乗る人々を巻子の形式にした『汽車図巻』を制作し、赤松麒作は『夜汽車』にて明け方の夜行列車内で起きる乗客を描いている。この他、不染鉄の『山海図絵』や長谷川利行の『汽罐車庫』といった「鉄道絵画」の名品も目立っていて、満鉄の特急「あじあ」号をテキスタイルにした山鹿清華の『驀進』などの珍しい作品も見どころだ。

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右は山鹿清華の「驀進』(1944年)。特急「あじあ」が猛スピードで走る光景を表現している。染織としては非常に珍しいモチーフで、戦時下でなければ生まれ得なかった作品とも言える。

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村井督侍「山手線のフェスティバル」ドキュメンタリー写真 1962年(プリント 1998年) 東京ステーションギャラリー

戦後ではドローイングや写真に注目したい。佐藤照雄は戦後、10年間にわたり、空襲などで家を失った人々が上野駅の地下道にて寝泊まりする様子をスケッチ。また富山治夫は1960年代、人がぎゅうぎゅうに詰め込まれた通勤列車を撮影し、大野源二郎は東北各地から多くの人々が上京した集団就職の光景を写真に収めるなど、当時の世相を鮮やかに切り取っている。1962年に高松次郎や中西夏之らが山手線内でゲリラ的にパフォーマンスを行った「山手線事件」のドキュメンタリー写真も、鉄道と美術を物語る上で重要な作品と言える。戦後は明らかに鉄道を題材とした作品が減っていくが、その関係はより多面的で複雑になっていくのだ。

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左から本城直季『new tokyo station』(2012年)、『small planet tokyo station』(2004年)ともに東京ステーションギャラリー 大判カメラのあおりの手法を用いて、上空から都市を俯瞰した写真。東京駅がまるでミニチュアのように見える。

ラストの現代美術では横尾忠則をはじめ、元田久治や本城直季、パラモデルなどが登場。また渋谷駅構内の壁画『明日の神話』に付け足すように設置され、のちに撤去されて物議を醸したchim↑pomの福島第一原子力発電所の事故を題材にした作品も展示されている。全国約40ヶ所から集められた作品は150点。約5年前から企画や準備が行われ、一点一点に付いた詳細なキャプションからしても相当に力が入っていることが分かる。日本の近代化を反映しつつも、変化する時代に応じてさまざまな様相を呈した鉄道と美術。そのスリリングでかつ一筋縄ではいかない関係を丹念に読み解いた、『鉄道と美術の150年』展を見逃さないようにしたい。

『鉄道と美術の150年』
開催期間:2022年10月8日(土)〜2023年1月9日(月・祝)
開催場所:東京ステーションギャラリー
東京都千代田区丸の内1-9-1
TEL:03-3212-2485
開館時間:10時~18時 ※金曜は20時まで、入館は閉館の30分前まで
休館日:月、10月11日、12月29日〜1月1日 ※10月10日、1月2日、1月9日は開館
入場料:一般¥1,400(税込)
www.ejrcf.or.jp/gallery