【Intensity. Driven.】アストンマーティンである理由Vol.2 「サーキットに帰ってきた、伝統のブランド」

  • 文:サトータケシ

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ポール・リカールのデモ走行でドライブしたのはセバスチャン・ベッテル。助手席には元F1ドライバーのジョニー・ハーバートが乗り込んだ。

戦う姿勢をくずさない、英国のスポーツカーメーカー

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2022年シーズンのF1を戦うアストンマーティン・アラムコ・コグニザント・フォーミュラワン・チームのAM22。フランスGPでは、1913年の創業当時のロゴをノーズに装着、Vol.1で紹介した新しいロゴをボディサイドに配置した。

2022年7月21日、F1フランスGPの舞台となったポール・リカール・サーキットで、なんとも粋なデモ走行が行われた。アストンマーティンF1が、グランプリ100周年を記念して当時のマシンを走らせたのだ。

ドライブしたのはアストンマーティンF1のエースドライバーにして、4度のワールドチャンピオンを獲得したセバスチャン・ベッテル。100年前は、助手席にはメカニックが座ったけれど、今回は元F1ドライバーのジョニー・ハーバートが乗り込んだ。ベッテルもハーバートも、当時のジェントルマンの服装だったことが、なんとも洒落ていた。

ベッテルがドライブしたマシンは、アストンマーティンの創業者であるライオネル・マーティンが、ジェントルマンドライバーのルイ・ズボロウスキー伯爵の依頼で製作したもの。当初はマン島で行われるTT(ツーリスト・トロフィー)というレースに出走するためのマシンで、TT1と名付けられた。けれどもTTには間に合わなかったため、1922年7月15日のフランスGPでデビューすることになったという。ちなみにTT1はそのカラーリングから「グリーン・ピー(green pea=さやえんどう)」の愛称で親しまれた。

現在のF1を見渡しても、100年前からグランプリに参加していたのはアストンマーティンだけ。いかにこのブランドが、古くからモータースポーツ活動を熱心に行い、そこで技術を磨いてきたのかがわかる。

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100年前、1922年のフランスGPを戦ったアストンマーティンTT1とTT2 。排気量1486ccのエンジンは最高出力55馬力を発生した。手動ポンプで燃料を送るために、助手席にはメカニックが乗り込んだ。

アストンマーティンは1913年の創業当時から、コンペティションで競うためのマシンを開発する“戦う自動車メーカー”だった。そもそもこのブランド名は、第1号車が英国中南部のアストン・クリントンという村で行われたヒルクライムレースで、前出のライオネル・マーティンが活躍したことに由来する。

アストンマーティンの技術力がどれだけ進んでいたかを示す逸話として、第二次大戦前の1936年に開発された2リッター・スピードモデルが、1946年にベルギーで開催されたスポーツカー・グランプリで優勝したという記録が残っている。ライバルより、少なくとも10年は進んでいたのだ。

第二次大戦後にアストンマーティンの経営を担ったデイヴィッド・ブラウンもモータースポーツ活動に力を入れ、スポーツカー選手権とF1グランプリを戦った。

59年にはアストンマーティンDBR1がルマン24時間レースで総合優勝を飾り、同年、その発展型ともいうべきアストンマーティンDBR4がF1にデビュー。60年シーズンにはアストンマーティンDBR5へと進化を果たした。

そして2021年、DBR5から60年ぶりに、アストンマーティンがF1の舞台に帰って来た。しかも元世界王者のベッテルがハンドルを握るとあって、このニュースはまたたく間に全世界に拡散された。F1を戦うマシンの開発で得た技術や、サーキットでの極限の経験が、アストンマーティンの最新モデルに生かされていることは言うまでもない。

そしてこの秋、2023年シーズンのアストンマーティンF1のドライバーを、2度の世界王者に輝いたスペインの英雄、フェルナンド・アロンソが務めると発表された。F1でのアストンマーティンの戦いは、さらに加速するはずだ。

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1959年に英国シルバーストーンサーキットで開催された、F1ルールに基づくBRDCインターナショナル・トロフィーを走るアストンマーティンDBR4。

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1960年のブリティッシュGPでのアストンマーティンDBR5の勇姿。