茶道は、道具をとても重要視する文化です。もてなしの時には、メインが床の間、茶を点てるための道具を飾る点前座がサブという形でコーディネートをします。誰がどのような道具を持っていたか。それをどう使うのかについて知っておくことは、茶会を開くために非常に大事なことです。今回は、道具の中でも「唐物」にまつわるお話。宗徧流11世家元、山田宗徧のナビゲーションでお送りします。
茶道では、茶道具と呼ばれる美術品のコーディネートのセンスを競います。高価なハイブランドで全身を固めても、ファッションセンスがいいと思われないように、高価なものだけを使うことは、あまり評価されません。
私が南宋に向き合うことになったのは、初代宗徧が、当時のほとんどの茶人が所持していた「唐物」という茶入れを所持していた様子がないということに気づき、これはどういう意味なのだろう? と考えるようになったことがきっかです。
茶道の稽古では、点前という、お客様の前で抹茶を点てるパフォーマンスの順番を覚え、許状という資格を取得していきます。その3段階目使われるのが、唐物茶入れ。中国から渡来したもので、名物は権力を示す威信財として使われるなど、非常に高価なものでした。点前の呼び方も、そのまま「唐物」です。
初代宗徧は、そんなハイブランドである唐物を買ったり使ったりすることを、いさぎよしとせずに(買えなかったのかもしれませんが)、独自の茶道具の世界を構築しました。
しかし道具として持っていないのにもかわらず、点前としては存在す、というのも不思議なものです。なぜ持っていなかったのか? 美意識なのか? 哲学なのか? そもそも唐物とはどのようなものなのか?
次々と湧く疑問を掘り下げていくうちに、唐物から見えた南宋文化が、想像以上に茶道や日本文化に影響を与えていることがわかってきました。
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今、唐物が再び注目されてきている
江戸時代以降、茶道が中国から影響を受けることはありませんでした。高度成長期以降は正座の風習が薄れるなどしたことで、どちらかというと西洋化する生活様式にどう対応するかが問われるようになりました。椅子式の茶道様式が生み出されたのも、この流れです。
しかし、2000年以降経済面でも急速に台頭してきた中国が、文化覇権において欧米と競うようになり、中国的な伝統、それも宋時代の美術などをモチーフにしながら現代美術、現代唐物を生み出すようになっています。現代美術を使った茶会を考える場合、現代唐物が選択の一つになリ得る状況が生まれてきたのです。
日本でも中国でも、伝統文化と言われる茶道、香道、華道、書道が南宋文化が和風化されてできたということを理解している人はほとんどいません。
茶道のような伝統の世界は、決められた枠組みへの疑問を持たずに、そのまま生かしていくことが処世術。しかし、中国共産党に異議を唱えてデモを続けた香港の若者のように批判的思考法に学びを受けたいと考えてしまう私は、疑問を持ち探求を始めてしまうのです。
本連載を始めたきっかけも、茶道について説明された読み物の中に、このような疑問に応える本がなかったから。現在主流の茶道のシステムがいつできたのか。利休とそのシステムはどうつながっているのか。いまの茶道の常識、見え方は正しいのか? 茶道とは何かを掘り下げたいと考えました。
米中のはざまで揺れ動かざるを得ない現代の我々が、キチンとした歴史観を持ち、毅然と対応するために、南宋と日本とのかかわりを今しばらく紐解くことにお付き合いください。
連載「茶道のルーツを探る」
茶道宗徧流 11世家元
1966年、鎌倉生まれ。上智大学在学中の21歳の若さで、父の去にともない宗徧流十一世家元を継承。同年南禅寺で得度を受け、幽々斎の号を授かり、1990年24歳で十一世宗徧を襲名。現代的な感性で現代美術や映像、都市文化への造詣が深く、ベルナルト・ベルトルッチやピナ・バウシュ、ロベルト・マッタの来日時には茶室に招き、交流を持つ。著書に「宗徧 イップクイカガ」 2000年レゾナンス 、破壊 の流儀 不確かな社会を生き抜く“したたかさ”を学ぶ (2010年アスキー新書)
1966年、鎌倉生まれ。上智大学在学中の21歳の若さで、父の去にともない宗徧流十一世家元を継承。同年南禅寺で得度を受け、幽々斎の号を授かり、1990年24歳で十一世宗徧を襲名。現代的な感性で現代美術や映像、都市文化への造詣が深く、ベルナルト・ベルトルッチやピナ・バウシュ、ロベルト・マッタの来日時には茶室に招き、交流を持つ。著書に「宗徧 イップクイカガ」 2000年レゾナンス 、破壊 の流儀 不確かな社会を生き抜く“したたかさ”を学ぶ (2010年アスキー新書)