「大人の名品図鑑」バスキア編 #3
アンディ・ウォーホル、キース・ヘリングと並んで20世紀を代表するアーティスト、ジャン=ミシェル・バスキア。わずか10年の間に3,000点のドローイングと1,000点の絵画作品を残し、27歳の若さで波瀾万丈の人生を閉じた。今回はそんな天才アーティストが愛した名品の話だ。
「まず彼は作品で有名になり——
有名になることで有名になり——
悪名で有名になった」
映画『バスキアのすべて』(10年)の冒頭で、アートの評論家リチャード・マーシャルはバスキアをこう語る。最後の「悪名」はどういう意味かは定かではないが、80年、ニューヨークの『タイムズ・スクエア・ショウ』でアート界にデビューしたバスキアは、82年にはニューヨークで初の個展を開催するなど、瞬く間にアート界の寵児となり、巨額の富を手にした。
この映画によれば、83年くらいからバスキアの作品は高騰、彼の作品は1枚5,000ドルから30,000ドルの価値を持つようになった。10代ころ、家を出たバスキアは路上生活者になって、ナイトクラブの床に落ちていた小銭を拾っていた。無一文から突然億万長者になったようなものだ。
「彼と夕食に出かけ、(作品を描いている)ロフトに戻った。そのときの彼の服はアルマーニのスーツだった。作品が気になって、(バスキアは)アトリエで作品に手を入れ始めた。アルマーニのままでね」
この映画でとあるアートコレクター夫妻は当時のバスキアをこう語る。
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作品制作の時にも着ていたアルマーニのスーツ
『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』は『ニューヨーク・タイムズ』紙の毎週日曜日に別冊として挿入されるサンデーマガジンで、創刊は1896年と、まさに老舗の雑誌だ。85年2月、この『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』で、バスキアは表紙を飾る。そのときの話が雑誌『THE RAKE』の17年3月号に掲載されている。書いたのはBenedict Browneという人物。
彼はバスキアが同誌の表紙を飾ったのは芸術史にとっては新たなる1ページ、当時のアフリカ系アメリカ人(原文のまま。本当はハイチ系アメリカ人)にとっては前代未聞の偉業だと讃える。
「赤い肘掛いすに座る彼は、靴下や靴の概念を拒絶しながら、遠くを見るようなまなざしでカメラに向いているが、その瞳は空虚さや困惑、苦悩に満ちた精神を想像させる。まるで誰も知らない秘密を知っているかのようだ。絵筆を握ったバスキアは、ゆったりとしたダークチャコール色のピンストライプ柄スーツを纏っている。お気に入りのブランドはジョルジオ アルマーニだった」と表紙のバスキアのスタイルを解説する。ジョルジオ アルマーニのスーツを着ても、足元は裸足というところはいかにもバスキア。
さらに「バスキアが日々の装いにどれだけこだわっていたかは定かでないが、収入が増えると、いつもアルマーニを纏うようになった。彼にとってアルマーニは強力な自己表現手段であり、それを身に着けたまま一日中絵を描き続け、夜になるとニューヨークの騒がしいクラブシーンへと姿を消した」とも書く。これは映画でのアートコレクターの発言とも一致する。
88年4月、まるでアンディ・ウォーホルの後を追うように薬物の過剰摂取でバスキアは亡くなるが、彼のロフトにあったクローゼットにはジョルジオ アルマーニの服でいっぱいで、そのなかのスーツの一部には固まった絵の具の薄い層が残されていたとBrowneは書いている。ジョルジオ アルマーニにスーツを纏って、バスキアはどの作品を描いていたのだろうか。
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アルマーニが生んだ革命的な「ソフトスーツ」
80年代を駆け抜けたバスキアにとってアルマーニのスーツはいわば成功の証だったが、ジョルジオ アルマーニにとっても80年代は重要な時代だった。
創業者ジョルジオ・アルマーニがジョルジオ アルマーニ社を設立したのは、1975年。彼がデザインした「ソフトスーツ」は、伝統的なスーツやジャケットを一度解体し、再構築して生まれた革命的なモデル。それまでの甲冑のようなイメージの固いジャケットを一変させた。自由でファッショナブルで、着やすい。これこそがアルマーニがデザインしたスーツの特徴だ。世界中の男性だけでなく、あらゆる社会分野で活躍し出した80年代の女性、特にエグゼブティブクラスの女性たちからも圧倒的な支持を受けた。そのきっかけとなったのが、映画『アメリカン・ジゴロ』(80年)。この作品でジョルジオ アルマーニのスーツ見事に着こなしたリチャード・ギアはその後、一挙にスターダムを駆け登っていった。
『ジョルジオ・アルマーニ 帝王の美学』(レナータ・モルホ著 日本経済新聞出版社)のなかで、アルマーニは「仕事をしている人のための服をつくるのが好きなんだ。俳優や女優も働く人間だし、スター云々は関係ない。僕は何がなんでも自分のセンスを押しつける独裁者にはなりたくない。モードは人を隷属させるものじゃない。服を着るという行為は、純粋な楽しみであり安らぎなんだ。自分らしさや自信を得るための、ひとつの方法に過ぎない」と語る。
バスキアは、このブランドのスーツに宿る自由な空気をを好んだのではないだろうか。
バスキアがどのスーツを選んだかは定かではないが、同ブランドが06年からスタートさせた「メイド トゥ メジャー(MTM)」のサービスを利用すれば、80年代のコレクションを連想させるアンコン仕立てのジャケットなどを含めた“アルマーニスタイル”のスーツやジャケットを自分サイズで仕立てることができる。
もちろんオーダーは日本からできる。日本のショップでサイズゲージのサンプルを着用しながら、最大で約40箇所を採寸。生地やモデル、ディテールなどを選び、そのデータがイタリアに送られ、イタリアの自社工場で縫製した後、約2ヶ月後には完成。日本の店舗で最終調整が行われ、オーダーした人に手渡される。世界中にひとつだけの特別なスーツ。それはバスキアの存在にも、作品にも通じるだろう。
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問い合わせ先/ジョルジオ アルマーニ ジャパン TEL:03-6274-7070
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