【閲覧注意】祝祭がはじまる...ヘルマン・ニッチュ最期の奇抜パフォーマンス、血と臓物が彩る

  • 文:青葉やまと

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血や動物の死骸、そして儀式的なパフォーマンスなどで話題を提供してきた芸術家のヘルマン・ニッチュが、今年4月に亡くなった。しかし、彼のパフォーマンスはまだ終わりを迎えていなかったようだ。

生前に立てた計画に基づき7月30日からの2日間、オーストリアにて「2デイ・プレイ」(2日間の演劇)」が開催された。90年代からニッチュが催してきた『オージース・アンド・ミステリーズ・シアター』シリーズの最終幕となる。

8月18日になって米カルチャー誌の『カルチャード』が詳細を報じるなどし、その意表を突く内容が明らかになってきた。本稿は残虐な描写を含むため、苦手な方は注意されたい。

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内臓をかき回し、血が滴る

催しはニッチュが暮らしたオーストリアの片田舎にそびえる、プリンツェンドルフ旧城の広場で2日間にわたり開催された。グロテスクな儀式が次々に実施され、狂気に満ちた祝祭を構成している。どのパフォーマンスも生贄を強く想起させる内容だ。

あるパフォーマンス・アートでは、目隠しをされ十字架にかけられた男性が床に寝かされ、その上から豚の血飛沫が注ぐものであった。壁に打ち付けられた豚の死体をパフォーマーたちが捌き、体内に肩まで手を突っ込んで血みどろになりながら、臓器を掻き回す内容のパフォーマンスだ。

別の一幕では、十字架にかけられた女性を白装束の男たちが運んだ。女性は全裸で縛られ、口から(おそらくは本人のものではなく上から塗られた)血を流しているというショッキングな光景だ。

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天高く放たれるトマトと臓物

2日目に行われた別のイベントでは、白服の参加者たちが動物の死体に詰められた内臓やトマトなどを取り出し、天高く投げる高さを競った。

パフォーマンスに用いられた血はペンキなどではなく、動物から採った本物の鮮血だ。地元の解体場から豚の血を集め、会場まで輸送している。数十名におよぶパフォーマーたちは全員白の上下に身を包んでおり、赤い飛沫とのコントラストが残酷性をいっそう強調している。

加速するオーケストラの音楽と教会の鐘で会場は次第に熱気に包まれ、参加者たちは不思議な感覚へと誘われたという。

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「嫌悪感と喜びが共存する高み」へ

実際に参加したというカルチャード誌の記者は、「錯乱から楽しみへと変わり、われわれは嫌悪感と喜びが混ざり合う奇妙な段階へと到達した。人々の喝采が聞こえ、私はそれを喜ばしく思った。没入できる真の興奮を感じた」と述べている。

記者は続ける。「自分が大声で笑っていることに気づき、それから泣き出した——ぐちゃぐちゃになった、醜い顔で。あえて結末は明かさないが、フィナーレはこれ以上ない優しさを運び、それは死と再生の感動的なメタファーであった。」

白装束の集団、明るい屋外での奇行、血と内臓にまみれた祝祭といった特徴は、アリ・アスター監督による1999年のホラー映画『ミッドサマー』を想起させる。

イベントの様子を現地でその目に焼き付けたというカルチャード誌の記者は、ひまわり畑を抜けてたどり着いた会場で、シュール・レアリズム的なファンタジー映画『ホーリー・マウンテン』、『ミッドサマー』、2017年のホラー映画『ゲット・アウト』を混ぜたような光景を目の当たりにしたと述べている。

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98年から続くシリーズの最終章

念の為申し添えると、ニッチュによるオリジナルのパフォーマンスは映画公開の20年以上前に実施されている。本シリーズ『オージース・アンド・ミステリーズ・シアター』の初演はニッチュの生前、1998年8月に7日間を費やして開催された。この催しのために1595ページにわたる楽譜が書き下ろされる大規模なものだった。

氏の死を悼んで再演された今回は、初日と2日目の興行を再現したものだ。短縮版とはいえ、3つのオーケストラを混成した約100名の楽団がおどろおどろしい重低音を奏で、ボランティアで参加した幾多のアーティストたちが前衛的で儀式めいたパフォーマンスを繰り広げる、ほかに例をみない内容となっている。

惜しむらくは、ニッチュ自身の姿が式典に欠けていたことだ。ニッチュのスタジオでアシスタントとして働いていたフロリアン・ナーラー氏は、英アート・ニュースペーパーに対し、「いつも壮大さを追い求める人物でした。決して満足することなく、上演中であってもまるでサッカーの監督のように演者を呼び止め、修正を加えていました」と振り返る。

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戦災での喪失感が原動力に

米アート情報サイト「アートネット」は、ニッチュが幼少期に経験した戦災とそれによる喪失体験が彼のアートの原点になったと説明している。60年代から取り組んできたパフォーミング・アートは当初理解されず、警察に逮捕されることもあったという。

著名になってからも常に論争の的となってきたニッチュのアートだが、次第にオーストリアを代表するアーティストの一人に数えられるようになった。最後までニッチュらしさを全開にした血まみれの祝祭が閉幕したことで、アートシリーズは参加者たちの胸に衝撃と不思議までの平穏を残しながら、ひとまずその歴史に終止符を打つこととなった。

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【写真】祝祭がはじまる...…ヘルマン・ニッチュ最期の奇抜パフォーマンス、血と臓物が彩る【閲覧注意】

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Photography © Hermann Nitsch GmbH, Foto FEYERL.

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Photography by Christian Schramm, © Hermann Nitsch GmbH.

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Photography © Hermann Nitsch GmbH, Foto FEYERL.

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Photography © Hermann Nitsch GmbH, Foto FEYERL.

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