天才アーティスト・バスキアを想起させる、オンリーワンのペイントが施されたカバーオール

  • 文:小暮昌弘(LOST & FOUND)
  • 写真:宇田川 淳
  • スタイリング:井藤成一

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ジャケットのモデル名は「COVERALL JACKET WITH PAINT」。定番チノクロスシリーズのカバーオールジャケットに手作業でペイントを施したモデル。生地はバイオストーンウォッシュによる製品洗いが施されているので、ソフトで着やすい。パンツは同素材の「CUT OFF TROUSERS WITH PAINT」。超定番のロングパンツの裾をカットオフした9分丈のモデル。カットオフした裾はほつれ難いようにダブルステッチが入っている。ジャケット¥36,300、パンツ¥23,100/ともにマスター&コー

「大人の名品図鑑」バスキア編 #1

アンディ・ウォーホル、キース・ヘリングと並んで20世紀を代表するアーティスト、ジャン=ミシェル・バスキア。わずか10年の間に3,000点のドローイングと1,000点の絵画作品を残し、27歳の若さで波瀾万丈の人生を閉じた。今回はそんな天才アーティストが愛した名品の話だ。

2022年5月、元ZOZO TOWNの代表で実業家の前澤友作氏所有の絵画がオークションにかけられ、落札された。その作品はバスキアが描いたもので、落札価格は8,500万ドル(約109億円)。2016年にニューヨークのオークションで前澤氏が落札した際は5,700万ドル(当時のレートで約62億円)で、6年で約1.75倍の価格にアップしたことになる。「アナス・ミラビリス(驚異の年)」(82年)と呼ばれるこの作品は、幅5メートルの大作。画面の中央にはツノのある顔が描かれているが、一説には、これはバスキア本人の顔と言われる。

バスキア。本名ジャン=ミシェル・バスキアは1960年、ニューヨーク・ブルックリンに生まれる。父ジェラルドはハイチ出身の会計士。母マチルダはブルックリン生まれだったが、両親はプエルトリコ人。子どものころから母と一緒に絵を描き、ブルックリン美術館やメトロポリタン美術館、MOMA(ニューヨーク近代美術館)に通っていたバスキアは、7歳のとき自動車事故に遭い、脾臓を摘出する大怪我を負う。入院中、母親から差し入れられたのはヘンリー・グレイが書いた『GRAY’S ANATOMY(人体の解剖学)』という医学書だった。この本が後に彼がクラリネット奏者として参加したバンドの名前『グレイ』に繋がり、『アルトサックス』(86年)など、多くの作品に影響を与える。

高校に入学したバスキアはアル・ディオスと出会い意気投合、ふたりで「SAMO©️(セイモ)」と名乗り、ニューヨークのダウンタウンの壁にスプレーを使ってグラフィティ=落書きを描いた。「SAMO©️」とは「Same Old Shit(代わり映えしない取るに足らないもの)」の意味で、ふたりが生み出した架空のキャラクター。独特の書体で社会風刺やウィットに溢れる言葉や文章を壁に描き、瞬く間にニューヨークのカルチャーシーンで話題となる。やがて「SAMO©️」の正体がバスキアとアルのふたりだと分かると、彼らは地元でもスター的な存在に。しかし学校に馴染めなかったバスキアは高校を中退し、自宅を出て友人宅を泊まり歩きながら、自作のポストカードやTシャツなどを売って暮らすようになる。そのうちに「SAMO©️」の活動も終了してしまう。

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バスキアが製作した“服”とは?

そんなバスキアがアーティストとして注目を集めるようになったのは、80年6月に開催されたグループ展『タイムズ・スクエア・ショウ』でのこと。この展覧会で作品を発表した彼は、翌年2月の『ニューヨーク/ニューウェイヴ』で絶賛され、瞬く間にアート界の寵児となり、やがて彼は20世紀で最も重要なアーティストのひとりとして世界中で認められるようになる。

バスキアのドキュメンタリー作品は何本かあるが、『バスキア、10代最後のとき』(2017年)はタイトル通り、彼の10代にスポットが当てられた作品だ。いまからは考えられないことだが、70年代末のニューヨークは荒廃し、市の財政は連邦政府から支援を受けないと債務不履行に陥るほどの危機に瀕していた。金持ちの白人たちはそんな街を恐れて郊外に移り住んだが、荒れ放題の街には暴力とドラッグがはびこり、無法地帯のようになってしまった。そんな時代、あるいはそんな街に触発されたバスキアは、自分の気持ちを発散するかのように壁や建物にグラフィティを描いた。

「ジャン(バスキア)は知的だった。何かを判断するとき、基盤があった。自分の哲学を持っていた」。当時のバスキアをこう表現するのはファッションデザイナーのパトリシア・フィールド。映画『プラダを着た悪魔』(06年)やテレビドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』シリーズの衣装を担当したことでも知られる人物だ。バスキアは「SAMO©️」をやめた後、新たなる展開として、アップサイクルの服にペイントを施した作品を制作し、「MAN MADE」という名前を付けたとフィールドは語る。彼女のブティックでも紙製のジャンプスーツなどを注文し、店のウインドゥに作品を展示をしたこともあったという。

「彼は7点ほど持ち込んできた。男物ジャケット、タイプライター、椅子など。値段を聞くと1万ドルとか2万ドルなんていうから、ちょっと高すぎるわと言ったのよ」

展示が終わるとその作品はバスキアに返却されたが、アパートの大家が持ち物を処分してしまったとも語る。検索すると「MAN MADE」と書かれた服がいくつか出てくるので、一部は残っているのかもしれない。この映画のDVD版の表紙でバスキアが着用しているコートも、裾の部分にペイントが入っている。これもその当時の作品なのだろうか。

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唯一無二のペイントアイテム

彼が製作していた服、あるいは彼が着ていた服を彷彿させるコレクションをもつブランドがある。マスター&コーという日本生まれのブランドだ。「流行に流されず、それぞれの人にとって唯一のものになる製品をつくること」をブランドのコンセプトにしている。しかもジャパンメイドにこだわって、手を尽くした材料と日本の職人たちの技を駆使したものづくりを行う。さらに、どの服も、エイジレス、ジェンダーレス、シーズンレスのアイテムばかり。自由で新しく、しかも現代にも見事にマッチしているブランドだ。

今回紹介する「WITH PAINT」シリーズは、ブランドの定番的なアイテムに一つひとつ自由にハンドスプラッシュ、つまり手書きでペイントを施している。ワークジャケット、パンツ、Tシャツなどが揃う。ペイントの入り方はそれぞれ違い、同じものは1つとしてない。まさにアート作品のようだ。それは、バスキアの唯一無二の作風に通じるだろう。

バスキアのような天才画家になるのは容易いことではないが、これ一枚でアーティスト気分を味わえることは確実。そんな魅力を持ったアーティスティックなスタンダートアイテムだ。

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ブランド名はジャケットの襟の裏側に入っているが、ペイントしたようなデザイン。マスター&コーは「流行に流されず、それぞれの人にとって唯一のものになる製品をつくること」をコンセプトにしている。

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映画『バスキア』(96年)で、バスキアを演じたジェフリー・ライトがはいていたチノパンを連想させるカーキのパンツと、同素材のジャケットの組み合わせ。素材は従来よりも軽くて柔らかい高密度チノクロスを使用し、バイオストーンウォッシュを施すことで、起毛したような感覚が生まれ、はきやすい。パンツはアメリカ軍使用の「41カーキ」をもとにコーディネートの幅が広げられるようにサスペンダーボタンを付けるなど、進化させている。もちろんどちらもペイント入り。ジャケット¥28,600、パンツ¥23,100/ともにマスター&コー
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「WITH PAINT」シリーズは素材の色によって、入るペイントの色づかいが異なる。例えばネイビーは白だけ。カーキは赤と白、それに黄色が加わる。手作業でペイントするので、入り方もそれぞれ違う。まさにアート作品のような出来栄え。

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「WITH PAINT」シリーズにはバスキアと仲が良く、作品も一緒に描いたウォーホル愛用のバスクシャツも用意されている。手作業でハンドスプラッシュのペイントを施した後、製品洗いをかけ、さらに天日干しを施し、柔らかな感触に仕上げている。ペイントが施されていないモデルも用意されている。各¥20,900/マスター&コー

問い合わせ先/マッハ55リミテッド TEL:03-5846-9535

https://mach55.com

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