鮪尽くしのコースと駿河湾に浮かぶ満月。ふたつの贅をじっくり堪能できる宿「月と鮪 石上」を知っているか

  • 写真:齋藤誠一 文:岡野孝次

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「月と鮪 石上」にあしらえられた「満月のダイニング」。丸窓越しの月光をテーブルが鈍く反射することで、ムーンロードのように見える造りだ。

背後には静岡市と焼津市の境に位置する標高470mの満観峰、前面には駿河湾を臨み、昔から風光明媚な場所として知られる焼津市小浜エリア。この場所で60余年の歴史を誇る料理旅館「鮪の御宿 石上」が、7月1日に「月と鮪 石上」として生まれ変わった。

もとより常連、また一見からも評価が高い焼津のミナミマグロをメインにした料理は、ミシュラン一つ星に輝く東京・代々木上原「sio」オーナーシェフ・鳥羽周作の監修で、さらにブラッシュアップ。加えて宿泊客を感動させているのが、宿の新たな顔「満月のダイニング」の存在だ。凛とした佇まいで、駿河湾と対峙する丸窓。それは昼には輝く海を映し、夜には穏やかな月の光を迎え入れる役割を果たす。満月や中秋の名月の折には、まさしくフルムーンを拝みながら、ミナミマグロのコースに舌鼓を打つことができるのだ。

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「月と鮪 石上」の入り口。暖簾に描かれているのは宿の新しいロゴ。ふたつの円の真ん中に、魚のシルエット(鮪)が浮かび上がる。

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リニューアルを手がけた「B1D」の宮内義孝と今泉絵里花の提案で生まれた、山に面したラウンジ。以前はこの場所も客室だった。

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海だけでなく、山の景色も楽しめる宿

この「満月のダイニング」を含め、「月と鮪 石上」の建築におけるリニューアルを手がけたのが、「B1D」の宮内義孝と今泉絵里花。もともと宮内がこの宿の客だったのが、その縁である。

ふたりが施した工夫はこの宿の随所に見られる。たとえば「満月のダイニング」の木製テーブルには、「うづくり仕上げ」が施されている。木材表面を何度もこすって木目に凹凸をつけ、年輪を浮かび上がらせることで、丸窓の外の海の波面がテーブルにも続くように見せる仕掛けだ。

さらにもうひとつ、宮内と今泉が新たに提案するのが、山の景色と対峙すること。南側の壮大な駿河湾に目を奪われがちだが、北を見やれば、ここ焼津市小浜には緑豊かな満観峰もある。その山を眺めながらゆっくりできるようにと、「満月のダイニング」とは逆向きに面したラウンジを設けたのだ。

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ラウンジには、佐賀の「レグナテック」と「平田椅子製作所」が立ち上げたブランド「ARIAKE」のソファーなどが配されている。

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リニューアル前から使われていた重厚感ある調度品が並ぶダイニング「青月」。

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「満月のダイニング」に置かれた椅子は徳島の「宮崎椅子製作所」による「PePe arm chair」。椅子の座面をニューヨークから取り寄せてつくった特注品。

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1階受付の待合にある本棚。「博報堂ケトル」系列の「本屋B&B」が「魚」「骨董」「建築」などをテーマに選書した。

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「月」の美景にどっぷり浸れる仕掛け

そして宿のサインなどデザイン全般を担ったのが、「博報堂デザイン」だ。これは宮内と旧知の仲である博報堂ケトルの皆川壮一郎(今回のリニューアルのクリエイティブ・ディレクター)を介しての縁である。

1日5組限定、すなわち5つしかない部屋には「月ノ眉」「弓張月」「小望月」「寝待月」「下弦月」と、月の満ち欠けの呼び名にもとづいた部屋名が付されている。

「実は『鮪』という漢字のなかにも、『月』が隠れています。とにかくこの宿の自慢である鮪、そして海に現れるムーンロード(月の道)を楽しんでいただきたい。そんな思いで、宿の名前を『月と鮪 石上』とすることを提案し、部屋の呼び名も月にちなんだものにしました」(皆川)。

宿のロゴも「『空の月』と『海の月』、ふたつの丸が重なった部分に図形化された魚のシルエット(鮪)が浮かび上がる」(「博報堂デザイン」柿﨑裕生)という発想から生まれたもので、デザインの細部にまで「月」と「鮪」の相関性が貫かれている。

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青と赤の染めが、トイレの「男」「女」を表す、ナチュラルなサイン。

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「小望月」「寝待月」など、部屋を示すサインもさりげない大きさだ。

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「弓張月」には、グラフィックデザイナーの原研哉が岐阜の「飛騨産業株式会社」とともに手がけたチェア「SUWARI」がある。

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夜に外から「月と鮪 石上」2階の「満月のダイニング」を眺めると、そこにもうひとつ月があるように見える。

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ミナミマグロの美味を味わい尽くす

実際に「月と鮪 石上」に泊まってみると、海の景色と同じくらい、山の景色に圧倒される。また客室にはあえてテレビが置かれていないために、宿泊客は自然と向き合うしかないが、逆にその静寂の時間が、なんと贅沢なことなのだろうと思えてくる。

夕食はもちろん、「満月のダイニング」で。ちょうど陽が落ちる時間で、食事が進むうちに、丸窓から月の光が差し始める。

スープから始まる焼津の鮪尽くしのコース(全12品)は幾度となく山場が訪れ、驚きと美味の連続だ。「握り」の中トロにミナミマグロのピュアな脂の旨みを感じ、「お造り」では血合い下(ちあいした)や天身(てんみ)など、その部位の多彩さに唸らされる。「お煮付け」や「(皮ハダをすくって食べる)ご飯」では、地元の契約農家がつくる「縁結び」を食べる手が止まらなくなるのだ。女将である石上智子のサービスも心地よく、最後は料理担当の石上将士・翼兄弟が点てる抹茶で、今宵の宴を締めくくる。

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さっと浸けた鮪のヅケにビーツの酢漬けと黄身酢を合わせて、最中仕立てに。焼津の地酒「磯自慢」をグイグイ進める味わい。

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握りはミナミマグロの中トロは赤身かと思うほど、脂の後味がさっぱり。それでいて、旨味はしっかりしている。

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お造りは、奥から時計回りに、天身(中心部に近くの背骨の周りにある身)、血合い下(腹と背の身の間にある赤黒い身)、大トロ。

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「炙り」は、赤身(奥)と大トロ(手前)。煮切り醤油でいただく。あしらいも美しい。

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「お煮付け」は、血合い(奥)とカマ(手前)。先々代から受け継いだ秘伝のタレで仕上げている。酒とご飯も進める味わい。

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「ご飯」と一緒に供される、鮪の皮ハダ。食べたい分だけすくって、ご飯にのせる。

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白飯は土鍋で炊いた静岡米「縁結び」。皮ハダから取った鮪は、べっこう玉と一緒に。白飯の上で溶けた脂の旨みがたまらない。

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最後は石上兄弟の薄茶を。料理を担当するふたりはリニューアルに際して「sio」に赴き、鳥羽からアドバイスを受けたという。

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時間・季節ごとに変わる丸窓からの眺め

宿の温泉にゆっくり浸かったら、シモンズ社製のベッドで心地よい眠りに就く。そして目覚めた翌朝、こちらも鮪をふんだんに使った御膳で1日のスタートを切る。

鮪の鉢の幽庵焼きだけでも白飯が平らげられるのに、なんと中落ちまで付く。これで鮪丼まで楽しめてしまうのだ。出汁を取った鮪節の自家製ふりかけや、近隣の静岡・用宗港から届いた釜揚げシラスなど。この一膳に海の恵みがたっぷり詰まっていて、それだけでご飯が3杯は進む。

チェックアウトは10時半なので、朝食後にもう一度ベッドでごろごろしたり、海沿いを歩いたり。最後、宿を去る前に「満月のダイニング」の丸窓を見れば、夏陽が差そうとしている。さまざまな時間や季節の景色を移す、この丸窓と出合いに。「月と鮪 石上」は四季ごとに訪ねたくなる宿なのだ。

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焼津港の朝焼け。天気がいいと富士山も拝める。

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朝食は切り干し大根と厚揚げがたっぷり入った味噌汁や玉子焼き。女将自家製のぬか漬けもおいしい。

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10時過ぎの「満月のダイニング」の丸窓。時間ごと、季節ごとにさまざまな景色が眺められる。

「月と鮪 石上」

住所:静岡県焼津市小浜1047
TEL:054-627-1636
全5室
¥33,000〜(1室2名利用時)
※税・サービス料込み、夕・朝食付
アクセス:JR東海道線焼津駅からクルマで約10分
https://www.magurono-oyado-ishigami.net

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