新発見! パリ時代の岡本太郎が描いた3作品

  • 文:Pen編集部
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左から、『作品A』『作品B』『作品C』。3作品すべて、推定 岡本太郎 1931-33? ユベール・ル ガールコレクション(パリ)

あの岡本太郎が空白の1931〜33年のパリ時代に描いたとされる未発表作品が、日本へ到着した。
「可能性は限りなく100%に近いと思います」ーー新たに発見された3作品が岡本作品であるという可能性について、美術史家の山下裕二さんは言う。

今回パリから到着した3作品は、おそらく岡本が自身の芸術を確立する以前の1931〜33年頃に描かれたものだと推測されている。岡本は1930年1月、18歳の時にパリへ渡った。自身の芸術について日々思い悩み悶々として過ごす中、偶然画廊で見たピカソの絵画に衝撃を受け、抽象絵画に目覚めたという。それ以降、1937年まで『サロン・デ・シュランデパンダン』展に出品し続けることとなる。
37年に初の作品集『OKAMOTO』を出版するが、掲載は34年以降の作品に限られており、それ以前の彼の作品については謎に包まれていた。40年、ナチスの侵攻により日本へと帰国した岡本。パリから持ち帰った作品は戦争ですべて消失し、パリ時代の作品については1点も存在していないと思われてきた。


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『作品A』 推定 岡本太郎 1931-33? ユベール・ル ガールコレクション(パリ)

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『作品B』 推定 岡本太郎 1931-33? ユベール・ル ガールコレクション(パリ)

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『作品C』 推定 岡本太郎 1931-33? ユベール・ル ガールコレクション(パリ)

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今回発見された作品は、なんとゴミ集積場から発見された。1993年、パリ市内にある歴史的なアトリエ集合体である「シテ・デ・フュザン」に住む画家が、前の居住者の残していった荷物の中にあった『作品C』をゴミ集積場へ廃棄。それを居住者であるデザイナーG氏が拾い、保管していた。94年、この画家が亡くなった際、『作品A』『作品B』をフランス政府が接収し、オークションにかけられた際にG氏が落札。『作品A』に”岡本太郎”という漢字の署名を発見したG氏は、3作品が岡本のものだと確信したという。

今回の『展覧会 岡本太郎』開催にあたり、主催者とG氏が協議を重ねてこの3作品が日本へと持ち込まれ、分析・鑑定を行った結果、岡本が描いたものである可能性が非常に高いという結論に達した。これは、空白の1931〜33年に描かれたものであるという可能性のある非常に貴重な絵画なのだ。

”岡本太郎”という漢字の署名は、いわゆるサインではない。「太郎の中では未完成だったのだろうと推測されます。だから日本に持ち帰らなかったのでしょう。そういう意味では、完成品というよりも、習作的なものだと思われます」と、山下さん。岡本太郎という画家の歴史に新たな衝撃を加えたこの発見。7月23日から大阪でスタートする『展覧会 岡本太郎』から、その作品と対峙したい。

『展覧会 岡本太郎』

【大阪展】2022年7月23日(土)〜10月2日(日) 大阪中之島美術館
【東京展】2022年10月18日(火)〜12月28日(水) 東京都美術館
【愛知展】2023年1月14日(土)〜3月14日(火) 愛知県美術館
https://taro2022.jp