『バズ・ライトイヤー』が14カ国で公開禁止。昨今のディズニー作品はポリコレが過ぎるのか

  • 文:中川真知子

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@uaemro
The official account of Media Regulatory Office - Ministry of Culture and Youth

「同性のキスシーンの何が問題なの? 」

ディズニー&ピクサーの最新作『バズ・ライトイヤー』が中東とアジアの14カ国で上映禁止になった、というニュースを受けて、小学校4年生の息子が言った言葉だ。

息子の言葉を聞いて、筆者は「最近のディズニーはやたらとLGBTQを絡めてくるからなぁ……」という言葉を飲み込んだ。ここ数年のエンターテインメント作品におけるLGBTQIA+コミュニティの描写は、確実に子どもの思考をニュートラルにしているのがわかり、意味のあることだと実感したからだ。

だが、昨今のディズニー作品は多様性を認めるきっかけになっている一方で、同性愛を法律で認めていない一部の国では上映禁止になったり、レーティングをあげたりといった対処がなされている。

『バズ・ライトイヤー』では、バズの相棒である女性に同性のパートナーがいて、軽くキスをするシーンが含まれていることが問題視され、結果的に14カ国で上映されないという。

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ディズニーはシーンのカットを拒否

主なマーケットのひとつである中国は、「同性のキスシーンをカットしてほしい」と頼んだが、ディズニー側はそれを拒否したそうだ。他の国に対しても同様の対応をしているため、上映禁止になった。

実は、ディズニーは過去にも同様のリクエストを拒否している。

2017年の大ヒット実写映画『美女と野獣』の公開時、マレーシアの検閲当局は、同作における同性愛を描いたシーンをカットした。マレーシアはイスラム教徒が多く同性愛は法律違反に当たるからだ。一方で、映画好きが多く、『美女と野獣』も公開前から話題になっていたために、マレーシアとしてはなんとしても上映したかったのかもしれない。だが、その行為がディズニーの逆鱗に触れた。ディズニーは、マレーシアでの『美女と野獣』の公開を無期限で見送ると発表したのだ。

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実はこのとき、筆者はマレーシアのクアラルンプールに住んでいた。『美女と野獣』の無期限延期を受けて、公開初日にシンガポールに飛んで、シンガポール市内の映画館で鑑賞した。数週間後、マレーシアは『美女と野獣』を「P13」指定にしてノーカットで上映している。(余談だがエルトン・ジョンの人生を描いた『ロケットマン』は性的なシーンが大幅にカットされて上映された)。

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ディズニーは差別的だった

昨今の多様性を認めた作品の数々や、シーンのカットを拒否する姿勢を見ると、差別に断固反対する企業に思える。だが、歴史を振り返ってみれば、ディズニーは長いこと白人至上主義で男性優位な作品を作り続けてきた。

1937年の『白雪姫』を皮切りに、プリンセスといえば肌が白くて可憐で美しく、王子様に見染められて結婚するのが幸せというイメージを作り続けてきた。

有色人種のプリンセスが初めて登場したのは『アラジン』(1992年)が初。ジャスミンは、女性が守られる側の性という固定概念も覆し、ディズニーの予想を反して世界中で大ヒットした。『アラジン』の成功で、自立したプリンセスの需要を再認識したディズニーは、プリンセスの描き方と設定を路線変更した。『ポカホンタス』や『ムーラン』といった独立心が強く、自らの手で運命を切り開くプリンセスも登場させるようになった。

だが、それで全てが変わったのではない。今年3月、米Variety誌は、ディズニーが傘下であるピクサーに対して、LGBTQIA+の表現を抑えたり削除したりするように指示していたと報じたのだ。

事業を拡大し、『スター・ウォーズ』シリーズやマーベル作品も手がけるディズニーの影響力はかつてとは比べものにならない。世間からは厳しい声が寄せられた結果、ディズニーは公式にLGBTQIA+のコミュニティをサポートするコメントをツイートした。

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ポリティカルコレクトが過ぎるわけではない

そんな昨今のディズニー作品は、1作に1+αの多様性描写をモットーに掲げているのではないか、と思うほどマイノリティへの配慮がされている。物語への関連性が低い場合、配慮が過剰に思えることもある。

だが、考えてみれば筆者の周りには常にマイノリティと言われる人たちがいた。多民族国家に住んでいたからではない。日本でも当たり前のように側にいる。「自分の周りにはいない」という人もいるかもしれないが、本当にそうだろうか。人は何もかもオープンにしながら生きているわけではない。

筆者の友人だけでも両手両足の指を使っても足りないくらいいるのだから、映画の中に当然のように登場していてもおかしくない。むしろ、登場していない方がおかしいと言えないだろうか。

ポリコレが過ぎるのではなく、やっと可視化されるようになったと考えるのが自然だ。そして、多様性を描くことが当然になった昨今の映画を見ている息子にとっては、「異性を好きになる人もいれば同性を好きになる人もいる世界」が当たり前の価値観なのだ。

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『バズ・ライトイヤー』に限らず、中東では『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』や『エターナルズ』も、同性カップルが描かれているという理由で上映禁止になっているが、ディズニーはシーンのカットには応じないという強い姿勢を貫いている。

昔から、「映画は社会を映す鏡」と言われてきた。昨今の多様性描写を含む作品の数々は、過剰なポリコレではなく、これまで曇っていた鏡がクリアになっただけだ。

6月はプライド月間ということもあり、作品の中で描かれる多様性について、普段以上に熱い議論が交わされるだろう。筆者は、かつてマレーシアに住んでいた映画好きのひとりとして、たとえ宗教が同性愛を禁止していたとしても、レーティングを変えて上映するなどして、国民に選択肢を与えてほしいと思う。

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