5月13日に『シン・ウルトラマン』が公開されてから、早4週間。興行収入は約30億円を突破し(6月11日時点)、SNS上でもさまざまな解釈・考察合戦が繰り広げられたり、メフィラス(山本耕史)の「私の好きな言葉です」が流行したりと、一大ブームにまで成長している印象だ。6月10日からはMX4D、4DX、Dolby Cinemaでの上映も行われている。
筆者は公開前のタイミングでメインキャストたちにインタビューをさせていただき、その中で有岡大貴さんから「メインの撮影が2019年に実施された」と聞いて驚いた。つまり、単純計算で2年半ほどが再撮影や編集・CG処理などの“仕上げ”に費やされたことになる(最終的に本編が完成したのは、2022年の4月末だった)。これは、近年の日本映画においては異例のスケジュールともいえ、そういったエピソードからも本作の“ただ者でなさ”が伝わってくる。
筆者が『シン・ウルトラマン』の全貌を知ったのは公開日の5月13日。グランドシネマサンシャイン池袋でのIMAXレーザー/GT上映の場であり、一般の観客と同タイミングだった。「ウルトラマン」リアルタイム世代ではなく、幼少期にレンタルビデオで“後追い”した自分にとっては「こういう話だったのか!」と新鮮な衝撃を受け、童心にかえったかのごとく興奮に包まれた次第。ここからは、取材後記+作品の観賞レポートのような形をとりつつ【少々ネタバレあり】でつづっていきたい。
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鑑賞中に蘇ってきたキャスト陣の言葉
まずは、劇場を訪れた際の所感。日本でIMAXレーザー/GTのスクリーンがあるのはグランドシネマサンシャイン池袋と、109シネマズ大阪エキスポシティの2か所のみ。ものすごく単純に言えば、リッチな映像&音響で楽しみたい“ガチ勢”が詰めかける場なのだが、満員状態の客席には、一見しただけでも10代からシニア世代まで、幅広い年代の人々が座っていた。ちなみにパンフレットを購入したのだが、売店には長蛇の列ができており、記録集「デザインワークス」は即完売。早見あかりさんは「ウルトラマンにさほど詳しくない知人からも『いつ公開するの?』と聞かれ、その熱量がとても高い!」と語っていたが、超話題作の初日の熱気を肌で感じた。
そして肝心の本編だが、観賞中に各俳優陣の言葉が蘇ってくるという不思議な感覚に包まれた。ウルトラマンとザラブが夜の都心で戦うシーンで長澤まさみさんの苦労話を思い出したり、彼女の「私の役割は人間ドラマの部分。物語の感情を担うことが重要だと思いながら演じました」という発言の真意が判明したり。
また、斎藤工さんが語っていた「狭間」というテーマについても。インタビューでの「地球人と外星人の狭間にいるウルトラマンの立ち位置は、いまの時代に必要な概念・目線なのではないでしょうか。地球外生命体を僕ら人間は主観で見すぎてしまっている」という言葉は、ザラブやメフィラスだけでなくウルトラマンやゾーフィも含む“外星人”全体にまでかかっており、本作の中核をなしている。外星人という、外国人と同じロジックのネーミングも秀逸だ。
つまり、「相手から見てどうなのか」ということ。『シン・ウルトラマン』はまさに、人間同士、人間(地球人)とそれぞれの外星人、(地球人から見た)外星人とまた別の星の外星人(ウルトラマンとザラブ、メフィラス)、同じ星の種族間(ウルトラマンとゾーフィ)――それぞれの立場の主義・主張のぶつかり合いの連続だ。例えば、禍威獣をめぐる問題。本作は、禍威獣を“生物兵器”と位置づけ、現代日本に出現したらどうなるかをシミュレートしており、リアリティのある状況が次々に描かれる。
いわば政治ドラマとしての側面を強めることで、空想や浪漫といったフィクションをリアルに近づけていき、時事性も含めた“現在”を強化するわけだが、そこでフィーチャーされるのが「外交」というキーワードだ。
ちなみにこうしたリアルタイム感を強めることは、元々のコンテンツのファンだけに向けた懐古的な作品にならず、より間口の広がった「いまを生きる人々」との親和性を高める=さまざまな人が観やすくなることにつながっている。
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筆者が個人的に最も「やられたポイント」
冒頭こそ、日本と米国や諸外国の「外交問題」が描かれるものの、次第にその範囲が外星人を含めたより大きなスケールへと拡大していく。ザラブやメフィラスといった外星人の“介入”によって、日本は諸外国のみならず“諸外星”も相手にしていかねばならなくなるのだ。そこに、ウルトラマンの出現がさらなる混乱を引き起こしていく展開が重なる点が興味深い。
ウルトラマンを“武力”と考えれば、その“保有”あるいは占有、もしくは優先的に利用できる“契約”ができるかによって、諸外国に対するイニシアティブを得られるというわけだ(これは地球人より高度な技術力等を持つ外星人全般にも言える)。そして、“人間”という生命体に対して兵器としての価値を見出されてしまい、地球全体に新たな危機が訪れるという「外星から見たらどうか」な視点――ここが個人的に最も「やられた!」と感じたポイントだ。
端的に言えば、『マトリックス』の人間電池、『呪術廻戦』の「呪力(をもつ人間の総数)が兵力になり、多国間での争奪戦が始まる」などの展開とも共通するのだが、それを宇宙全体で、かつ『ウルトラマン』というコンテンツで展開させた点には恐れ入る。そこに、斎藤工さんが指摘した「狭間」、つまり神永が地球人と外星人のどちらでもあり、どちらでもないという“中間”の存在であるという設定が絡んでいくことで、「彼が何を“選ぶ”か」がドラマにおけるエモーションになっていくのが上手い。
『シン・ウルトラマン』のキャッチコピーは「空想と浪漫。そして、友情。」「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン。」だが、この言葉に込められたヒントが、後半に立ち上がってくるという仕掛けも施されている。映画を観終えた後にもう一度見ると「そういうことか!」と膝を打つ、見事なコピーだ。
そしてまた――筆者自身がそうだったように――キャストが語った言葉の奥行が、観賞後に一層広がっていく。ネタバレ厳禁の作品ゆえに、各々が言葉に忍ばせた真意を紐解いていく「後からわかる」読解の面白さが、『シン・ウルトラマン』体験後の最高のデザートとなったはずだ。