「大人の名品図鑑」スニーカー編 #11
スニーカーブームが続くなか、2021年10月にはマイケル・ジョーダンが現役時代に履いたシューズが史上最高額の約150万ドルで落札された。まだまだスニーカーにまつわる話題は尽きない。今回は好評だったスニーカー編の第二弾をお届けする。
日本でビジネス書大賞2018を受賞した『シュードッグ』(東洋経済新報社)は、ナイキ創業者フィル・ナイトの自叙伝だが、オニツカタイガーの名前がよく出てくる。
1938年にアメリカのオレゴン州で生まれたナイトは、スタンフォード大学経営大学院で学位を取得する。その時に彼が書いた論文は、「日本のカメラがドイツのカメラにしたことを、日本のスポーツシューズはドイツのスポーツシューズにできるのか?」というもの。彼は当時多くの選手が使っていたドイツ製のアディダスのシューズと、アディダスよりもずっと安価だった日本製のシューズが、性能では対等のレベルにあると見ていた。1962年、世界一周の旅に出たナイトは東京に滞在中、オニツカタイガーの本社がある神戸へ向かう。そこでオニツカタイガーの靴と工場を見たナイトは、すぐに鬼塚株式会社と靴の輸入契約を結ぶ。つまりナイキの創業は、遡ればオニツカタイガーのシューズの輸入から始まっているわけだ。このきっかけがなかったら、ナイキの登場は相当遅れていたのではないだろうか。
オニツカタイガーが創業されたのは1949年。創業からわずか10数年で、世界的なスポーツシューズと肩を並べる評価を受けるまでになったのである。ナイトが日本製のオニツカタイガーを賞賛したように、オニツカタイガーのシューズを履いた、日本と深いつながりをもつミュージシャンがいる。あのフレディ・マーキュリーだ。
---fadeinPager---
フレディが愛用したのは「レスリングシューズ」
いうまでもなく、フレディ・マーキュリーは「クイーン」のフロントマン。「クイーン」は、イギリスでブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、オーディションで加わったジョン・ディーコンの4人で結成されたロックバンド。73年にファーストアルバム『戦慄の王女』をリリースし、4枚目のアルバム『オペラ座の夜』からシングルカットされた「ボヘミアン・ラプソディ」が世界的なヒットに。フレディが亡くなった後、同名の映画が2018年に公開され世界的なヒットとなったことは記憶に新しい。
実はデビュー当時、本国のイギリスやアメリカでは「クイーン」の評判はそれほど高くはなかった。そんな彼らをいち早く発見し、応援したのは日本のファンだった。3枚目のアルバム『シアー・ハート・アタック』からシングルカットされた「キラー・クイーン」は、日本で大ヒット。そんな熱心なファンに応えるかのように早くから来日を果たし、フレディはお忍びで日本にやってきたこともあったという。彼は日本の伝統工芸品や美術品などを収集し、ロンドンの自宅には日本間や庭園まであった。
そんなフレディが履いていたのは、オニツカタイガーのレスリング用のシューズ。ソールが薄いので、ステージでステップを踏んだり踊ったりするのに適していたのだろう。彼はほかのブランドのレスリングシューズも履いていたが、どれも似たデザイン。レスリングシューズのハイカットで細身のデザインは、タイトなパンツを好むフレディのスタイルをよりエレガントに見せる。
フレディが履いたレスリングシューズを彷彿とさせ、街履き、あるいはファッション的に履けるようにアップデートされたモデルがある。「メキシコ 66 SD MR」というハイカットモデルで、創業者の鬼塚喜八郎生誕100周年を記念して製作された。オニツカタイガーの名品でロングセラーを続ける「メキシコ 66」をアップデートしたモデル。ローカットモデルとはまったく異なる雰囲気をもっている。天然皮革を使ったアッパーが足を包み込むような履き心地で、フレディが活躍していた時代にもしこのモデルがあったら、必ずやフレディはこのシューズを選んでいただろう。
---fadeinPager---
問い合わせ先/オニツカタイガー ジャパン お客様相談室 TEL:0120-504-630
https://www.onitsukatiger.com/jp/ja-jp
---fadeinPager---