朝のコーヒーは欠かせない、という人も多いだろうが自分もそのひとりだ。疲れている時はなおさら。アートフェアウィークで久しぶりに大多数の人と交流したからかもしれない。
9月9日~9月12日の期間、ニューヨークではいくつかのアートフェアが開催された。(正確にはVIP Openingも入れると9月8日スタートとなるが)
The Armory Show, Independent, Art on Paper。この内自身も作品を出しているArmoryと、少し足を伸ばしてIndependentも回ってきた。
今年の5月には一足早くFrieze NYが観客を入れてのフェアを再開していたが、出展しているギャラリーの数は60ほど、大半がアメリカ国内のギャラリーだった。
今回のArmoryはいつもの200には及ばないが150近いギャラリーが出展しており、VIPラウンジもオープンしお酒も出していたのだから2020年のアートフェアはすべてがオンラインだけだったことを考えると、アートシーンの復活を感じた。
The Armory Showの会場はコンベンションセンターであるJavits Center。ここはコロナ禍真っただ中の2020年3月から5月には野戦病院となり、その後はついこの間の7月までは軍が出動しての大規模ワクチンセンターとなっていた。
そんなことを思い出しながら、入口ではワクチンパスポートとIDのチェックを受けて入場。会場内は多くの人で賑わっていた。やはり自らの目で作品を見ること、作品が生み出すエネルギーを感じられることを楽しんでいるようであったが、ただ噛み合わせの悪さを少し感じたのは正直なところ。
コロナという全世界的な異常事態を経験し、人々が求めるものに変化が生まれているのは当然のことで、ギャラリーが見せたい(=売りたい)ものと人が見たい(=求める)ものに少し温度差があるようだ。コロナ禍のアートの役割や、ポストコロナのアートマーケットについては多くの有識者の方が書かれていると思うので、僕がいまここで書くことではない。
昨年以降、よく聞かれるのは「コロナになってなにか変化はありましたか?」という質問だ。
そもそもアーティストは常に逆境にある。生命を維持するためにアートは絶対に必要かと言われるとそうではない。必要でないものだから、アートワールドにいる者はさまざまなアプローチで人間の欲に訴えかけて動機付けをするのだ。だからアーティストは人間の欲にとてもダイレクトに振り回されるし、踏みつけられる。
コロナは世界的に多くの人が同時に苦境に立たされるという、これまでにない出来事ではあったが、アーティストにとってその非日常はある意味これまでと変わらない日常であると思う。
Armoryの会場を回っていてふと目についた作品があった。
ニューヨークのGrand Central Stationを撮影した1920年代の作品だが、50年代にMoMAで展示されたことが記録に残っていること以外は不明。作者も不明という。
その作品を眺めながらアートにおける作家性とはなんなのかをふと考えた。作品そのものに価値があるのだとしたら(この場合のMoMAという権威付けは一旦置いておいたとして)、作家が必要とされているのは、賞賛と批評の対象として作家像を求める鑑賞者であり、批評家であり、メディアであり、多くの作家本人は作家像を求められることに辟易しているのではないだろうか。作家はその作家像から自由になりたくてつくり続けるのかもしれない。
10月にはFrieze London, 12月にはArt Basel Miamiと一旦バルブが開かれたアートシーンはまたものすごい勢いで流れていくだろう。
アーティスト
1976年、岐阜県出身。ブルックリンを拠点に活動 。上智大学卒業後 2002 年渡米。全米主要都市、日本、ドバイ、上海、香港、台北、ルクセンブルグなどのギャラ リー、美術館、大学施設にて展覧会を多数開催。2020 年、JR 新宿駅東口広場のアートスペースを監修、中心に7m の巨大 彫刻を制作する。
1976年、岐阜県出身。ブルックリンを拠点に活動 。上智大学卒業後 2002 年渡米。全米主要都市、日本、ドバイ、上海、香港、台北、ルクセンブルグなどのギャラ リー、美術館、大学施設にて展覧会を多数開催。2020 年、JR 新宿駅東口広場のアートスペースを監修、中心に7m の巨大 彫刻を制作する。