素晴らしきジャズコンピを聴き、南アフリカに想いを馳せる

  • 文:石戸 諭

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『Indaba Is』 Various Brownswood Recordings ¥2,200(税込、国内流通仕様盤)

本当なら今年の夏は、ケープタウンで過ごそうと思っていた。それもこれも『Indaba is』に出会ったためだ。南アフリカジャズシーンを牽引するミュージシャンたちが、一堂に会した素晴らしいコンピレーションアルバムであり、僕が2020年に聴いたアルバムの中で最良の驚きが詰まっていた。

僕は音楽、ジャズシーンを専門とするライターではないので、出会いの経緯というのは極めて凡庸である。たまたま、ストリーミングサービスで目にして、ブルーを基調にしたジャケットが良かったので聴いてみたというものにすぎない。ぐいっとのめり込んでしまったのは、1曲目を飾ったボカニー・ダイアーの「Ke Nako」もまたジャケット同様にとても良かったからだ。

「Ke Nako」は英語では「It’s time」、その時がやってきたといった意味になる。2010年の南アフリカワールドカップでも大会スローガンにも使われた言葉だ。そう、まさに2020年という「その時」を選んでやってきたアルバムである。彼らも新型コロナ禍に巻き込まれ、音楽業界の関係者も亡くなったという。それでも完成させることを選び、ズール語やコサ語で「会議」を意味する「Indaba」をアルバムのタイトルに選んだ。

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南アフリカジャズシーンとアパルトヘイト(人種隔離政策)は大きな関わりがある。ロバート・ロスによる『南アフリカの歴史』は1948年に法制化されたアパルトヘイトが、1994年に廃止されてから数年を描いたところで終わっている。後半を読むだけでも、決して十分とは言えないが南アフリカで起きた格差と貧困、そして暴力が横行した悲劇の歴史、そして抵抗運動の概要を知ることはできた。これだけの歴史があれば、過去を精算するのも簡単なことではない。だが文化は着実に育った。ネルソン・マンデラが大統領に就任して以降、花開いたポスト・アパルトヘイト時代の文化、その一つにジャズシーンが位置づく。

ミュージシャンたちは社会と摩擦しながら、強い音楽を生み出す。『Indaba is』の国内流通仕様盤に挟み込まれた小さなブックレットのなかで、このアルバムのキーパーソンにして、南アフリカジャズシーンを代表するミュージシャンとして注目されているタンディ・ントゥリは、こんなことを語っている。

《ジョージ・フロイドが殺害された悲劇の後、ブラック・ライブズ・マターは世界中で反響を起こし、<Brownwood>に集ったメンバーは、これを機会に自分を見つめ直すことにした。この決断は、私にとって重大な影響をもたらした。社会の中の糾弾するべきものごとに自分たちが加担していないか省みることなく、ただどこかを指さして「あそこに偏見がある」と告げるのはあまりにも簡単だ。そう気づけたことに私は感謝したい!》

アパルトヘイトと戦った先人たちへの深い思いと歴史への敬意、そして新型コロナ禍、BLMという大きな波に向き合いながら、しかし彼らが演奏していたのは8曲ともどこかに希望を宿すものになっている。それは彼女が語るところの祖先たちが守ってきたかけがえのない価値、「大いなる利益のために力を合わせる」ことによって生み出されているのかもしれない。

やっぱりどこかで南アフリカには行ってみたい。まだ未聴という人のためにリンクを貼っておいた。クリックした瞬間が「Ke Nako」である。

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【執筆者】石戸 諭
ノンフィクションライター。1984年生まれ、東京都出身。立命館大学卒業後、毎日新聞などを経て2018 年に独立。ニューズウィーク日本版特集「百田尚樹現象」で、2020年の「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞」を受賞。文藝春秋「自粛警察の正体」でPEPジャーナリズム大賞(2021年)を受賞。著書に『ニュースの未来』(光文社新書)、『ルポ 百田尚樹現象――愛国ポピュリズムの現在地』(小学館、2020年6月)など。