千鳥と『水曜どうでしょう』に意外な共通点!? お笑い界で千鳥が天下を取れた理由とは

  • 文:福田フクスケ
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吉本興業公式HPより

「東京にハマってない」から脱却した、千鳥の歩み

長らく大御所芸人によるMC・冠番組の占有状態が続き、下の世代が詰まっていた群雄割拠のお笑いの世界。そんな中、今もっとも天下獲りに近い立場にいるのが千鳥ではないだろうか。

道のりは順風満帆ではなかった。関西ではレギュラー11本を抱え、すでにその名を轟かせていた千鳥が、そのほとんどを降板して東京進出を果たしたのが2012年。しかし、鳴り物入りで始まった『ピカルの定理』が早期終了するなど今一つ活躍の場に恵まれず、いわゆる「東京にハマってない」時期が続いていた。ノブが「ノブ小池」に改名するという迷走を見せたのもこの頃だ。

2014年には、『アメトーーク!』で「帰ろか…千鳥」という企画が放送される。彼らの「実力はあるのにブレイクしきれない」絶妙な立ち位置をいじった名企画だった。当時の千鳥は、ちょうど2年前くらいのかまいたち、そして現在のダイアンのようなスタンスだったのだ。

しかし、やがてテレビ埼玉で関東初の冠番組『いろはに千鳥』が始まったり、日本テレビ系『笑神様は突然に…』の“島シリーズ”に起用されたりするにつれ、東京でもメキメキと「最強ロケ芸人」としての面目躍如を果たしていく。『アメトーーク!』の年末恒例企画「アメトーーク流行語大賞」に、ノブの「クセがすごい」が選ばれた2016年末は、完全に潮目が変わったときだろう。

ちなみに、「好きなお笑い芸人」を聞かれたとき、「お笑いのことわかってる」と思われたい一般人が答える、メジャーすぎずマニアックすぎない“ちょうどいい旬の芸人”の、この時期における模範解答がちょうど「千鳥」だったように思う。

そこからの彼らの活躍ぶりは、みなさんご存知の通り。今やテレビで見ない日はないといって過言ではない状況だ。だが、最近はあまりに多くの番組に出すぎていて供給過多になっている感があり、このままでは急激に飽きられたり、彼ら自身が疲弊してしまったりするのではないか心配になる。

というのも、筆者は『いろはに千鳥』や『相席食堂』、『テレビ千鳥』に出ているときのような2人の姿だけを、もっともっと見ていたいからだ。誰がやっても入れ替え可能なゴールデン帯のバラエティ番組のMCをやりすぎて、彼らに摩耗してほしくないのである。

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千鳥に抱く“地元で一番おもろい友達”への親近感

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『いろはに千鳥』公式HPより

千鳥がもっともおもしろく輝くとき。それは「何がおもろいか/おもんないか」という基準やルールを自分たちでジャッジし、2人の間だけで通じ合う言語や感覚で盛り上がっているときだ。

『いろはに千鳥』では、ロケ先で出会ったモノや人を正直に「おもんない」「ダセぇ!」といじり、1日6本録りを強いるスタッフの企画や段取りの悪さをなじって笑いを誘う。『相席食堂』では、ロケ番組におけるタレントの手腕やコメントにメタ視点からツッコミを入れ、本人が意図していないところに勝手におかしさを見出していく。

また『テレビ千鳥』には、「芸人ポーカー」や「一周だけバイキング」のように、他の番組でやっても成立する強度を持った名企画も存在するが、むしろ千鳥らしさが堪能できるのは、大都会の路地裏でフルーツを探す「フルーツ千鳥」や、食べたいものを極限まで我慢する「我慢めし」のような企画だ。一見、撮れ高やゴール設定の見えない企画を、手探りと力づくでふざけ倒して笑いに変えていくのが、彼らの真骨頂である。

千鳥のおもしろさは、“地元で一番おもろい友達”のグループに混ぜてもらって話を聞いている感覚に近い。それは、彼らの間だけで成立する文脈やノリを持ったホモソーシャルな空間に、自分も入れてもらえたという親近感だ。

そこに、視聴者に配慮したわかりやすさやサービス精神は要らない。むしろ、視聴者のことを置いてきぼりにして、2人が全力でふざけ楽しんでいる姿を“覗かせてもらっている”ことが、私たちには楽しいのである。

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千鳥と『水曜どうでしょう』の意外な共通点

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『水曜どうでしょう』公式YouTubeより

「視聴者である私が、画面の中の彼らと友達になれたような楽しさ」というこの感覚を、筆者はかつて北海道テレビ(HTB)の『水曜どうでしょう』に感じていた。

この番組が、北海道ローカルから口コミで熱狂的な人気を博し、大泉洋という存在を全国区に押し上げた伝説的番組になった理由は、ひとつには小学生のように無邪気な男子コミュニティのわちゃわちゃ感にあったと思う。

この「小学生のような」というところがポイントで、『水曜どうでしょう』には、製作陣の狙いであえて下ネタや恋愛話が出てこない。だから、この時代のバラエティ番組にありがちな、女性をコンパニオン的な添え物として出演させたり、女性経験や女体をネタにして男同士が盛り上がったりするような構図が、徹底して回避されているのだ。

いわば、ホモソーシャルの無害な“いい部分”だけを抽出した理想のボーイズクラブへの参加を、女性もテレビを通じて擬似体験できたのである。

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彼らは“無害なホモソーシャル”の体現者

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Finn Hafemann-istock

一方で、千鳥の“地元の友達感覚”にも、実はそれと似た性質がある。『水曜どうでしょう』に比べると2人の女性観や、特に大悟のスケベキャラにはかなり危うい部分はあるものの、少なくとも小学生レベルのくだらないネタでふざけ倒しているときの彼らは、性別や年齢を問わず参加させてくれる“無害なホモソーシャル”の体現者だ。だからこそ、千鳥はここまでの人気と地位を獲得できたのではないだろうか。

“地元の友達感覚”とは、言ってしまえば「内輪ノリ」だ。「内輪ノリ」という言葉は、ある作品や芸を評するときに、あまり良くない意味で批判的に使われることが多いが、それはあまりに一面的な見方であると思う。

なぜなら、人気者やスターとは、「内輪ノリ」の通用する範囲を限りなく広げ、世間をその輪に巻き込むことを許された人のことだからだ。もっと言えば、大衆の多くがその「内輪」の中に自分も入れてもらえたように錯覚させてくれる人のことを売れっ子というのである。

そもそも千鳥の漫才は、観客や視聴者に理解を求めないものが多い。「おぬし」や「空いてる店は空いてるけど閉まってる店は閉まってる」を繰り返すネタなどは、彼ら自身が一番楽しんでいるように見える。そうしてすっかり自分たちの「内輪」に世間を巻き込むことに成功した彼らは、これからも躍進を続けるに違いないのだ。

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【執筆者】福田フクスケ

フリーランスの編集&ライター。週刊SPA!の編集を経て、現在は書籍編集。構成・編集協力した本に、田中俊之・山田ルイ53世『中年男ルネッサンス』(イースト新書)、プチ鹿島『芸人式新聞の読み方』(幻冬舎)、松尾スズキ『現代、野蛮人入門』(角川SSC新書)など。ご依頼は fukusuke611@gmail.com まで