柏餅の「意外なルーツ」、知っていますか?

  • 写真:上田佳代子
  • 文:森脇慶子 

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餅を柏の葉で包むことには、どんな意味が込められているのか?

食べることについて、いま多くの人がいったん立ち止まり、あらためて向き合っている。現代日本の食文化の基本が形作られたといわれるのが江戸時代。いまや海外でも愛される寿司や天ぷらだけではない、季節ごとの食材や行事と結びついた江戸の食文化や料理について知れば、食事の時間がもっと楽しく、幸せなひと時になるはず。「フィガロジャポン」の連載「今宵もグルマンド」をはじめ、多くのグルメ記事を執筆するフードライターの森脇慶子が、奥深い江戸の食の世界をナビゲート!


もともと柏餅の餡は塩味だった!?


粽(ちまき)と並んで端午(たんご)の節句に欠かせない和菓子といえば柏餅。
餡を挟んだ平たい餅を柏の葉で挟んだ編笠状のフォルムは、日本人にとってすっかりおなじみのルックスだ。この柏餅、実は生まれも育ちも将軍家のお膝元、江戸の町だったことをご存知だろうか。 


いつ頃生まれたかについては諸説あるものの、一般には9代将軍徳川家重から10代将軍家治の頃(18世紀中頃)といわれている。ちなみに、1718年(享保3年)に刊行された日本初のお菓子のレシピ本『古今名物御前菓子秘伝抄』によれば、当時、柏餅の餡は何と塩餡だったとか! 煮て潰した小豆に砂糖ではなく塩を加えていたという。 


塩味の柏餅なんて現代では想像できないけれど、砂糖がまだまだ貴重品だったこの時代、高級な砂糖はとても使えなかったのだろう。塩餡と並んで味噌餡の柏餅もこの頃からあったようだ。それが文化文政の時代(19世紀初頭)になると国産の砂糖が出回りはじめ、砂糖餡の柏餅が江戸を中心に作られるようになる。


柏の葉は、古来より神饌(しんせん)を盛る器にも使われてきた神聖な葉。秋に枯れても新芽の出る春まで葉が落ちないことから子孫繁栄シンボル的な木と信じられており、家系存続を第一に考える武家にとっては縁起のよいものだった。これが柏の葉が用いられた理由のようだ。また、柏の葉には抗菌作用もあり、保存目的もあったのだろう。 


いっぽう、当時は贈答用としての役割もあったようで“大小で配って歩く柏餅”と川柳にも謳われている。『南総里見八犬伝』の著者として知られる滝沢馬琴も、孫の初節句の際に、200〜300個もの柏餅を和菓子屋に注文し、周りに配ったとの記録が『曲亭馬琴日記』に記されている。

 

※この記事はmadamefigaro.jp「江戸の食」からの転載です。