華やかな建築物の陰に、都市機能を支える土木インフラがある。景観デザインを専門とする千葉工業大学の八馬智教授に、重要な裏方を挙げてもらった。
八馬 智●1969年、千葉県生まれ。専門は景観デザインや産業観光など。都市鑑賞者として土木の魅力を伝える活動を行っている。著書に『ヨーロッパのドボクを見に行こう』(自由国民社刊)がある。http://hachim.hateblo.jp
過密都市を象徴する、首都高のジャンクション
脆弱だった都心の自動車交通を整備するために、1950~60年代にかけて急ピッチで建造された首都高速道路。用地取得の関係から、江戸時代から利用されてきた運河の上空を中心に設けられた。江戸橋ジャンクション付近では、江戸の運河、明治の橋、昭和の高架橋という、超過密都市の歴史を象徴するようなインフラの集積を観察できる。直下から見上げられる箱崎ジャンクションは、多方向に高速道路が伸びるさまがダイナミックだ。
復興事業で次々と架けられた、隅田川の橋梁群。
隅田川には、写真の厩(うまや)橋をはじめ、個性的でバリエーション豊かな橋梁が数多く架けられている。それらの多くは、1923年の関東大震災により壊滅的な被害を受けた東京を、近代都市として生まれ変わらせる「帝都復興事業」の際につくられた。帝都復興院の土木技術者である太田圓三と田中豊の指揮の下、当時の新技術が惜しみなく投入され、架橋位置の地盤や景観などの特性を鑑み、それぞれ特色のある構造形式が選ばれている。
住宅密集地の火災を食い止める、巨大な防火壁。
東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅付近に位置する「都営白鬚(しらひげ)東団地」は、周辺の木造住宅密集地域で大規模火災が起こった際、隅田川沿いの広域避難場所である公園を守る防火壁の役目を担う。防火シャッターやスプリンクラー、放水銃などの消防設備を擁し、ここから写真右側の住宅地に向かって一斉に放水する想定で建造された。高層住棟が南北1.2kmにわたって並ぶさまは、まさに要塞のよう。災害リスクが高い地域ならではの防災拠点だ。
人工の渓谷に築かれた、インフラの「レイヤード」
交通インフラが時代ごとに積層していった様子がわかるのが、神田川が流れるJR御茶ノ水駅前の「人工渓谷」だ。江戸時代に掘られ運河として活用された神田川に始まり、明治に開通した中央線、昭和初期の総武線、関東大震災の震災復興時に建設された聖橋、戦後の地下鉄丸ノ内線などが幾層にも積み重なっている。さらには、地上から直接見ることはできないが、神田川の地下には、1969年に開通した地下鉄千代田線も通っている。
高速道路と公園が一体となった、前例のないデザイン
目黒区の「オーパス夢ひろば」は、一見すると巨大なコンクリート壁に囲まれた公園だ。だが壁の内部には高速道路が4層にわたってらせんを描いて通っており、約70mの高低差がある首都高速3号渋谷線の高架橋と中央環状線のトンネルを接続するジャンクションとしての機能を果たしている。さらには、その屋上には緑化された公園が設けられている。これまでにないジャンクションの形態として、2013年にグッドデザイン賞を受賞した。
大正時代から氾濫を防いできた、新旧の水門。
一級河川の荒川は、かつては北区志茂地点から隅田川となって東京湾に流れていた。だが、1910年に関東を襲った大水害を機に、都心部を避け東側に迂回させた「荒川放水路」が人工的につくられた。現在は放水路が本流となっており、隅田川は支流という位置づけ。その分岐点で水流をコントロールするのが、岩淵水門だ。写真は1982年竣工の現役の水門で、そこから約300ⅿのところに1924年竣工の旧水門が遺構として保存されている。
こちらの記事は、2019年Pen11/1号「TOKYO建築案内。」特集からの抜粋です。