「中断された伝統を再開するために、私は人物像をもう一度、発明しなければならない」
決意を抱いて、1980年代にキャリアをスタートしたドイツの彫刻家、シュテファン・バルケンホール。木彫作品とレリーフ、高さ2m近くあるブロンズ彫刻1点を含む最新作17点を集めた個展が、小山登美夫ギャラリーで開催されています。日本では2005年に大阪の国立国際美術館と東京オペラシティ・アートギャラリーで開催された『シュテファン・バルケンホール:木の彫刻とレリーフ』展が話題となりました。小山登美夫ギャラリーでの個展は、今回で3度目を迎えます。
1972年、15歳だったバルケンホールは、国際美術展『ドクメンタ 5』の『Realism』展で多くの具象絵画や彫刻を目にし、強く惹かれたそうです。そして76年にナム・ジュン・パイクやシグマー・ポルケが教鞭を執っていたハンブルグ造形大学に入学すると、ミニマルな彫刻作品で評価を得ていたウルリッヒ・リュックリームに師事しました。具象彫刻に余白を残したミニマルな表現を融合したバルケンホールのスタイルは、この時の影響もあるのかもしれません。しかしながら彼は、当時の美術教育の潮流に対して反発があったことを、はにかみながら語ってくれました。
「70年代のアートスクールでは、具象的なモチーフを表現する造形芸術はほとんど禁じられているような状況でした。現代アーティストとして活動するなら、人物や動物をモチーフにしたオールドファッションな具象表現など志すべきではないと。しかしアーティストというのは、禁じられるとそちらに惹かれるものです。それに私は、前衛やモダンが絶対的な価値をもっているという考えも好きではなかった。アーティストであれば自由に表現して、自分で自分のルールをつくり、自分の言語を創出すべきです」
「ミスター・エヴリマン」の所以とは。
人物をモチーフにした粗く削られた表面が印象的な作品が並びますが、どこか普通のようでいて独特、気づいた時にはその表情や佇まいから目が離せなくなるのはなぜでしょうか。作家本人が「ミスター・エヴリマン(Mr. Everyman)」と名付けたそのモチーフに、秘密が隠されています。
「ニュートラルな表情で、社会性やファッションの意味とは無縁な、誰でも着られる白いシャツと黒いパンツを身につけている。私の彫刻は、鏡のようであり、鑑賞者が自己を投影するスクリーンのようだと言われることがあります。誰もが送る日常の一瞬を凍らせたような、鑑賞者のあらゆる想像を受け入れるような表情が、そういう批評を生み出すのかもしれません。政治や社会的なメッセージとは一切無縁で、街の広場に置かれた偉い人の彫像のようなモニュメンタルな意味性をもたず、純粋に肉体的な存在感があって、パーソナルな知覚を再認識できるような作品を心がけています。私が考える彫刻とは、そういうものなのです」
ギャラリーに足を踏み入れると、入口のすぐ脇にはブロンズの巨大な作品が展示されています。ギョッとさせるような存在感がありながら、一方でその目を見ると穏やかに遠くを見やっていて威圧感とは無縁です。平面表現でありながら、受ける光や角度によって印象を変えるレリーフが壁に並び、奥の展示室に向かうと、一本の木から台座ごと彫り出した立像が並びます。顔に表情を浮かべることもなく、無感情で、あるいはうっすらと目には笑みを浮かべているのか、見つめれば見つめるほど「あなたはなにを思っているの?」と、答えのない問いが浮かんできます。作品を前にして自分の世界に入っていく体験ができることこそが、バルケンホール作品に惹きつけられる理由です。
「彫刻が現実になにをもたらすか。そこで大事なのは、空間との関係だと言えます。小さな作品でも巨大な立像よりも存在感を放つかもしれませんし、鑑賞者の気分やその日の明るさによってもイメージが変わってきます。私は自分を過労タイプだと思いますが、作品と世界のそうした関係に興味があるので、作業を続けずにいられないのかもしれません」
すべての作品を「腹を痛めて産んだ自分の子どものよう」だと語るバルケンホール。ギャラリーで実物を前にすると、さまざまな感情や想像、記憶が、自分の中に湧き起こるはずです。
シュテファン・バルケンホール展
開催期間:2019年9月7日(土)〜10月5日(土)
開催場所:小山登美夫ギャラリー
東京都港区六本木6-5-24 complex665ビル 2F
開場時間:11時〜19時
休廊日:日、月、祝日
会期中入場無料
http://tomiokoyamagallery.com