天才建築家ジオ・ポンティが描いた、65年前の幻のクルマ。

  • 写真:小野祐次
  • 文:大矢アキオ

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2018年9月にスイス・バーゼルで初開催された、デザインと建築をヴィンテージカーに融合させた新イベント「グランドバーゼル」。エントランスでビジターを迎えたのは、天才建築家ジオ・ポンティによるかわいらしい水色のクルマだった。20世紀のイタリアを代表する天才建築家は当時、未来のクルマを見据えていたのだろうか?

ジオ・ポンティ/建築家・インダストリアルデザイナー 1891年イタリア、ミラノ生まれ。ミラノ工科大学卒業後、リチャード・ジノリとコラボレート。1927年に建築事務所を開設し建築デザイン誌『ドムス』も創刊した。56年「パラッツォ・ピレッリ」を設計。「金のコンパス賞」発案など多大な足跡を残した。79年没。

設計図だけではなく、量産まで模索していた。

ジオ・ポンティは、工業デザイナーとしてもその手腕を発揮した。名作となった椅子「スーパーレッジーラ」など数々の傑作デザインを残すが、その才能は、クルマにも向けられた。彼によるビルや家具と同じダイヤモンド形のモチーフを採用した「リネア・ディアマンテ」の設計は1953年のものだ。

設計図を描くだけでなく、クルマの量産をも視野に入れていた。その機構にはアルファロメオ初の普及モデル「1900」を選択。ボディは軽量構造で有名なカロッツェリア「トゥーリング」に白羽の矢を立てた。さらにフィアット社での生産まで模索していた。しかし戦後モータリゼーションの真っただ中のフィアットは、大衆車の生産に追われており、“ポンティのクルマ”は実現しなかった。

今回のグランドバーゼルではこの幻の車両を再現するプロジェクトが立ち上げられた。実際に担当したのはフィアット・クライスラーの「F

CAヘリテージ」である。主導したロベルト・ジョリートは、ポンティの孫と研究をスタートした。

現存する資料はきわめて限られていた。だがそこから得られるディテールをひたすら忠実に再現していった。たとえば側面窓は一見フラットだが、じつは微妙な2次元曲面が与えられている。「一点一点スケッチを確認するたび、私たちは次の作業に導かれていった」とジョリートは回想する。

結果として完成したモックアップは「アート、デザインそして建築の視点からクルマを再発見する」というグランドバーゼルの趣旨にふさわしい作品となった。

ポンティによる「リネア・ディアマンテ」。リアドアより後ろを急速にすぼめることで生まれた独特のリフレクションに注目。右は傑作デザインの椅子「スーパーレッジーラ」。

狭い全幅と広いガラス面積からは、ミニマムな投影面積上に明るいグリーンハウスを創出しようとしたポンティの意図を感じる。前後バンパーには、衝撃を吸収するため、ピレリ社の協力を得たゴムとスプリングを用いている。

設計図から再現したドアノブにもダイヤモンド形が反映されている。

ロベルト・ジョリート/FCAヘリテージ代表 ローマ工芸高等学院を卒業後、1989年にフィアット・スタイリングセンターに入社。98年ユニークな3+3座のミニバン「ムルティプラ」や、2007年に発売された大ヒット作、現行「フィアット500」は彼の手によるもの。

20年先のスタンダードを、既に見据えていた先進性。

のちにポンティがパラッツォ・ピレッリやカッシーナの椅子で用いるモチーフである六角のダイヤモンド形が最もわかる図。後席足元を中心に前後は、ほぼシンメトリックである。

スラントノーズによる前方視界の確保も提案している。ハッチバックや可倒式リアシートなど大手メーカーが70年代に量産車で採用する要素も、いち早く取り込んでいる。

オーヴァル(楕円)形や、観音開き式リアゲートも模索したことがわかる。設計者がボディ製作元として考えていた「トゥーリング」の存在が右上の文字で確認できる。

こちらの記事は、Vマガジン Vol.01「グランドバーゼル&ペブルビーチ徹底取材 ヴィンテージカーの新潮流。」特集からの抜粋です。気になった方、ぜひチェックしてみてください。アマゾンで購入はこちらから。