ジャズ・ファンでなくても音楽ファンならば見逃せない映画が公開されます。「ジャズの帝王」の異名をとるトランペッター、マイルス・デイヴィスの人生を描いた『MILES AHEAD /マイルス・デイヴィス空白の5年間』です。
今年はマイルスの没後25年、生誕90周年にあたります。そこで満を持して公開されるのが、マイルスが70年代後半に音楽界から一時的に姿を消していた謎の時期を描いた『MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス空白の5年間』です。映画は約5年間といわれる空白時代のマイルスの姿を、史実とフィクションを交差させて描いています。「帝王」と呼ばれた天才ミュージシャンの孤独と狂気。この映画はその真実に迫った力作です。
監督・主演・脚本・製作を務めたのは、演技派俳優として知られる名優ドン・チードル。この作品が監督デビュー作となったチードルの演技は出色。彼はトランペットの特訓を積み、マイルスのルックス、キャラクター、仕草、話し方などを完璧なまでにコピーして自分のものにしています。また彼はマイルスが名作アルバム『カインド・オブ・ブルー』で使った音楽のモード奏法を映画の構造に持ち込んで、現在と過去が複雑に絡み合うアヴァンギャルドな構成で物語を展開しています。
物語は70年代後半。音楽活動を休止したマイルスの自宅にローリング・ストーン誌の記者デイヴ(ユアン・マクレガー)が訪ねてきます。しかし、当時のマイルスは体調不良でドラッグや酒に溺れ、別れた元妻フランシス・テイラー(エマヤツィ・コーリナルディ)との苦い記憶などに囚われ、肉体的にも精神的にも危機的な状況でした。やがてデイヴと行動をともにするなかで、マイルスは悪徳音楽プロデューサーに大事なマスターテープを盗まれたことを知り、怒りにかられた彼は危険な行動に打って出ます。その先に待っているのは何なのか……。
チードル監督は、錯綜するストーリーが展開するこの映画全編にマイルスの名曲の数々をちりばめ、エンディングにはマイルスの創造的な音楽性を受け継ぐミュージシャンたちによる豪華なライヴシーンを実現させています。
マイルスの人生を初めて映画化したこの作品にとって、音楽がいかに重要かは想像に難くありません。マイルスの甥であり、元バンドメイトでもあったヴィンス・ウィルバーン Jr. がドン・チードル監督に作曲家の候補として紹介したのは、数年前にグラミー賞を受賞している若手の注目株、ロバート・グラスパーでした。
ラップはもちろん、あらゆるジャンルの音楽を横断し、新世代を代表するミュージシャンともいえるグラスパーがこの映画の音楽に参加したことは重要なことです。それはサウンド・トラックに入っているグラスパーが作曲した新曲『ジュニアズ・ジャム』や『フランセッセンス』、そしてハービー・ハンコックやウェイン・ショーターなどマイルスと共演したベテランと若手が揃った『ワッツ・ロング・ウィズ・ザット?』などを聞くと分かります。彼はマイルスを回顧的には聞いていません。むしろ、アメリカの「いま」の状況を表現する現在の音楽として、2010年代を生きる者へインスピレーションを与える多様で豊かな源泉として、マイルスの音楽を聞いているのです。それは、『MILES AHEAD』からは少し離れますが、グラスパーのマイルス・デイヴィスへのトリビュート・アルバム『マイルス・デイヴィス&ロバート・グラスパー エヴリシング・イズ・ビューティフル』を聞くと分かります。
映画のなかでマイルスが記者のデイヴに向かって「ジャズという言葉は好きじゃない。ジャズって、呼ばないでくれ。意味のない言葉だよ」という印象的なシーンがあります。そして、マイルスはこう言うのです。
「人を型にはめようとしているようなもんだよ。俺の音楽をジャズと呼ばないでくれ。それは、ソーシャル・ミュージックなんだ」。それは、いつも新しいサウンドを求め続けたマイルス・デイヴィスらしい言葉でした。(赤坂英人)