初めてアピチャッポン・ウィラーセタクンという、思わず声に出して読みたくなるタイ人監督の名前を知ったのは、2002年のこと。東京フィルメックスのコンペティション部門に出品された『ブリスフリー・ユアーズ』を観た時の衝撃は忘れることができません。森の中に身体ごと持って行かれるような、それまで味わったことのない豊かで不穏な感覚。それをまた感じたくて、翌々年に同じ映画祭での『トロピカル・マラディ』の上映にも足を運びました。中島敦の『山月記』が引用され、舞台となっているのは再び魅惑的な森の中。
そして『ブンミおじさんの森』はついに日本でも劇場公開されています。死んだ妻がひょっこりと当たり前のように食卓に現われたり、行方不明になっていた息子が赤い目を光らせる毛むくじゃらの謎の生き物になって現われたり……。人間と植物と動物、この世とあの世の境界線がゆったりとしたリズムで溶け合う瞬間を、皮膚感覚で慈しむことができるこの作品は、カンヌ国際画祭で審査委員長のティム・バートンに絶賛され、最高賞のパルム・ドールに輝きました。今年の初めには日本でも特集上映が行われ、アピチャッポンが生みだす土着的でありながら洗練された世界は、ますます中毒者を増やしているようです。
最新作の『光りの墓』の舞台となっているのは、監督の故郷でもあるタイ東北部イサーン。かつて学校だったという病院に横たわっているのは、原因不明の眠り病にかかった兵士たちです。光の色を変えられる蛍光灯のような機械に照らされ、眠り続ける男たち。病室を訪れた中年女性のジェンは、過去の記憶を見ることができる若い女性と知り合い、この場所がかつて王様の墓であったことに気付きます。
これまでの監督の作品のように、ここには明確な境界線は存在しません。睡眠と覚醒、過去と現在、そのすべてが引きのワンショットの中で当然のように手をつなぎ、呼応しています。王様の魂が兵士の生気を吸い取っているというエピソードからは昨今のタイの政情への嘆きが感じられますが、そうしたメッセージをあくまでも幻想的な映像で紡ぎ出すのが、監督の美学なのでしょう。記憶を理屈で物語化するのではなく、記憶の感覚そのものを映像化した『光りの墓』。監督が「目覚めている夢、一見夢のようである現実」だと語る世界に手招きされてたゆたう最新作を、ぜひ映画館で体験してください。(細谷美香)
© Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015)
『光りの墓』
原題/Cemetery of Splendour
監督/アピチャッポン・ウィラーセタクン
出演/ジェンジラー・ポンパット・ワイドナー、バンロップ・ロームノーイ、ジャリンパッタラー・ルアンラムほか
2015年 タイ・イギリス・フランス・ドイツ・マレーシア合作映画 2時間2分
配給/ムヴィオラ
3月26日よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開。
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