パンデミック文学から学べること──コロナ禍をどう生きるか

  • 文:チェルシー・へイス
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パンデミック文学から学べること──コロナ禍をどう生きるか

ペスト時代の『デカメロン』の第8話を主題にしたボッティチェリの作品 LEEMAGE-CORBIS/GETTY IMAGES

<古典から現代小説まで「疫病による人類の危機」は定番テーマ――世界が新型コロナに揺れる今、これらの作品から読み取るべき教訓>

ホメロスの叙事詩『イリアス』やジョバンニ・ボッカッチョの『デカメロン』から、スティーブン・キングの『ザ・スタンド』やリン・マーの『セブランス(断絶)』まで、欧米の文学にはパンデミック(感染症の世界的大流行)にまつわる一連の作品群がある。激情の後に来るカタルシス(浄化)を語るものもあれば、公衆衛生の危機に向き合う人々の姿勢を批判的に描いた作品もある。

世界規模で新型コロナウイルスが猛威を振るう今、私たちはどう生きればいいのか。これら「パンデミック文学」に、そのヒントが見つかるかもしれない。危機に瀕した際の人々の行動を理解し、外国人や患者・感染者への差別をなくす一助にもなるだろう。

ケンブリッジ大学のメアリー・ビアード教授(古典文学)は、古代ギリシャの詩人ホメロスの『イリアス』で、トロイに攻め込んだギリシャ軍の陣営に疫病が発生する場面に注目する。それはギリシャ軍の総大将アガメムノンが、アポロンの祭司の娘を戦利品として愛人にしたことへの神罰だった。

アメリカ人の古典研究者ダニエル・ブリックマンも「この疫病がその後の出来事につながる。もっと重要なのは物語の核心である倫理観を語っていることだ」と考える。つまり『イリアス』における疫病は、登場人物の思慮に欠ける行動がもたらす結果を象徴しているということだ。

新型コロナウイルスは、経済システムを覆し、教育機関をオンライン授業にシフトさせるなど、既存の社会の在り方を揺さぶっている。過去に起きた同様の危機がどう乗り越えられたかを知り、その先によりよい社会をどう築くかを考える上で、手引となりそうな作品を紹介しよう。

非力な組織の姿を描く

ボッカッチョの『デカメロン』(1353年)が伝えるのは、暗黒時代における物語の力強さだ。ペストから逃れた男女10人が、フィレンツェ郊外の村でモラルや愛、性的な駆け引き、貿易や権力について語り合う。

100話構成のこの作品から分かるのは、ルネサンス初期の人々が物語という形式を用いて社会や人間関係を論じていたことだ。物語の聞き手(=読者)は、疫病が奪った日常生活を立て直す方法を嫌でも考えさせられる。

メアリー・シェリーの『最後のひとり』(1826年)は終末の後の「日常」がテーマだ。恐怖の感染症により人類が死滅した未来のイギリスで、唯一の生存者ライオネル・バーニーの毎日が描かれる。作者が強調するのは、他者との絆の大切さだ。小説はバーニーが犬と一緒にさまよう場面で終わる(ペットが危機にある人間に安らぎを与えることを思い出させる)。疫病に対して全く非力な組織への批判は厳しく、革命の夢想や生き残った集団の内部抗争への視線も皮肉に満ちている。

エドガー・アラン・ポーの短編「赤死病の仮面」(1842年)にも、感染症に敗れる利己的な権力者が登場する。赤死病にかかると体中から出血して死に至るのだが、領主は臣下を引き連れて城の奥に引き籠もる。城外の人々の苦しみをよそに彼らは饗宴にふけり、あるとき仮面舞踏会を開く。宴が終わる頃、人間の姿を装った「赤死病」が招待客に紛れているのが発覚。死に神は領主の命を奪い、臣下たちも次々に倒れていく。

キングの作品は現代に重なる HODDER&STOUGHTON

20世紀になるとアルベール・カミュの『ペスト』(1947年)やスティーブン・キングの『ザ・スタンド』(1978年)が、隔離による孤立感や、感染の封じ込めもパニックの沈静化もできない政府など感染症の社会的な側面に焦点を当てた。『ペスト』では主人公の暮らすアルジェリアのオランの街全体が感染拡大防止のために封鎖される。そして初めて、市民たちは人間同士の触れ合いと関係の大切さに気付く。

非力な組織の姿を描く

『ザ・スタンド』では、遺伝子操作で生まれた殺人ウイルス「プロジェクト・ブルー」が米軍基地から漏れ出し、恐ろしい光景が広がっていく。キングは3月9日にツイッターで、新型コロナウイルスはプロジェクト・ブルーほど恐ろしい敵ではないから冷静に対応してほしいと呼び掛けた。

南アフリカの作家デオン・マイヤーの『熱病』(2016年)でも、人間が殺人兵器として造り出したウイルスのために世界が滅びかけ、辛うじて生き残った人間の集団が資源を求めて争う。

一方、中国系アメリカ人作家リン・マーの『セブランス』(2018年)はゾンビものをひねった作品。「シェン熱」に感染した人は、それまでに身に付けた習慣を死ぬまで繰り返すことになる。主人公のキャンディス・チェンは、崩壊へと向かうニューヨークの日々をブログにつづるが、やがて生存者の一団に加わり、ゾンビを忌み嫌う彼らの思想や行動に染まっていく。

最後に、いわゆる「先住民未来派」の作品群がある。自らも北米先住民であるグレース・ディロンの提唱した概念で、先住民や有色人種の作家による未来小説を指す。N・K・ジェミシンの「ブロークン・アース」3部作、クレア・コールマンの『テラ・ヌリウス』などだ。

彼らは植民地主義や入植者のもたらした疫病に、現在の地獄絵の遠因を見る。かつて植民地の悲哀を味わった土地の作家にとって、生き地獄は既に自分か祖先が見たものであり、その同胞たちは(比喩的にも文字どおりの意味でも)パンデミックの犠牲となってきた。

こうした作品にもカタルシスはあるが、いや応なくパンデミックのリアリティーが影を落とす。今は私たちにも、先の見えない隔離生活が待ち構えている。それをリアルに体験したとき、私たちはどんな物語を紡ぐのだろう。

文:チェルシー・へイス


The Conversation

Chelsea Haith, DPhil Candidate in Contemporary English Literature, University of Oxford

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.

<本誌2020年4月7日号掲載>