読書では、本を手に取ってページをめくる触覚と視覚による刺激があり、それによって読者は記述されている情報以上のものを受け取ります。この刺激は本のデザインや、使われている素材、印刷の再現度などが組み合わさって構成されていますが、その中でも印象を大きく変えるのが紙です。紙は触覚に作用し、また印刷の再現性にも影響するので、制作者が最もシビアに検討する要素のひとつでしょう。

写真を主とするアートブックの制作にあたっては、オリジナルプリントの再現を追求する刊行物もあります。もちろん、アートブックのクオリティにおいては重要なポイントのひとつですが、再現性に固執してしまった結果、ブックデザインと紙の選択に乖離が生じてしまっているケースも散見されます。写真は光によって、印刷は4種類のインクの掛け合わせで、と両者の表現方法が異なるため、印刷で完璧にオリジナルの写真を再現することはできません。それを受け止め、本は本としてあるべき形を追求することができた時に、一冊の本がオリジナルプリントの複製ではなく、アートブックへと昇華されるのではないでしょうか。

「本としての表現を追求する」という意識は、さまざまな点で自由を与えてくれます。先に挙げた紙を選ぶ時にも、場合によっては再現性を追求する必要がなくなり、作品のコンセプトを体現できるものであればどんな紙でも選択することが可能になります。そんな一例として、写真と印刷の違いを意識してつくられた、ドイツの写真家トーマス・ルフの展覧会カタログに注目してみましょう。

現代写真を代表するひとりであるトーマス・ルフは、写真の定義を拡張するような作品を発表し続けています。ひとりの作家が発表しているとは思えないほどバリエーションに富んでいるのも特徴で、過去の作品集では作品のコンセプトと親和性のある紙を効果的に用いてきました。たとえば、インターネットから収集した画像を意図的に劣化させ、解像度の不足している荒れた画像を作品としたjpegシリーズの写真集では、あえて再現力に優れた高級なアート紙を使用、「図像」と「作品」のギャップを意識させるような紙が選ばれています。

今回紹介する本は、ウィーンとドイツを巡回した展覧会に合わせて制作された図録です。手がけたのは2人のスイスのデザイナーで、端正な佇まいのハードカバーの表紙とは対照的に、本文には新聞用紙が用いられました。報道の象徴でもある新聞の紙を用いることは、写真には「真実が写っている」と一般的に認識されていることの暗喩にも受け取れます。しかし、この本の紙には現実に起きていることとは距離のある「芸術写真」が印刷されています。それによって、「写真は現実を正確に複写したものではない」ということを常に意識してきたトーマス・ルフの、写真に対する考え方が表されているように感じるのです。

用いられる紙に対する意識の違いひとつで表現の幅が広がるアートブックの一例として、ルフのこの図録は象徴的です。掲載された写真が単なる複製ではないことを意識する、それだけで紙選びにとどまらず、表紙のデザインやサイズ、本を構成する要素すべてへの捉え方が変わります。固定概念を捨てることで、今日におけるアートブックの可能性をさらに掘り下げるためのヒントが得られるのではないでしょうか。