熟練編集者の物欲クロニクル
アメリカに初めて行ったのは1978年。サンフランシスコから入り、カーメル、ヨセミテ、サンタバーバラなど西海岸の各都市を回って、最終目的地がロサンゼルスという行程でした。サンフランシスコは、古風で坂の多い街として知られています。街の中心には、当時、素敵なメンズショップが揃っていました。「ブルックス ブラザーズ」「J.プレス」など東部にあるショップの支店や、シアトル発のアウトドアブランド「エディ・バウアー」もありました。観光名所ユニオンスクエアから延びるポスト・ストリート150番地に大きな店を構えていたのが「ケーブルカー・クロージャーズ」というメンズショップです。店名に「ケーブルカー」とありますが、デザイナーにして著述家のアラン・フラッサーが書いた『男の服装学』(平凡社刊)には、「1939年、イギリス製品を売るサンフランシスコ唯一の店として発足」と書かれています。インテリアはいかにも伝統あるメンズショップといった重厚でウッディな店づくり。中にはアメリカ製の「サウスウィック」のスーツと一緒に、「バーバリー」などの英国製コート、帽子も英国の老舗の製品ばかりで、帽子のサイズを調整する器具もガラスケースの上に載っていたことを覚えています。訪れたのは夏でしたが、サンフランシスコは寒く、この店かエディ・バウアーのどちらかでレンガ色のセーターを買ってチャイナタウンまで出かけた記憶があります。もうそのセーターは手元になく、どちらで購入したか確かめようもありませんが。
27年後のニューヨークで知った、名店のいま。
その後、何度かサンフランシスコを訪れましたが、ポスト・ストリートをクルマで通った時に店が発見できず、なくなってしまったのかとずっと思っていました。2005年に訪米した折に、マンハッタンでいまだにネクタイをつくっている「ベントレー」というメーカーを取材しました。自社ブランド以外に、アメリカや日本のショップのネクタイを相手先ブランドで製造している会社で、その工場の中でケーブルカー・クロージャーズと書かれた織りネームをたまたま発見したのです。聞けば、以前の場所から移転したが、まだサンフランシスコで店をやっているとのことです。それならば、ぜひともその店を取材してみたいと翌年の2006年春、再びサンフランシスコに向かいました。
実は、サープラスウエアでスタートした店だった。
2006年に訪れた時、ケーブルカー・クロージャーズのショップがあったのは、サンフランシスコのブッシュ・ストリート200番地です。以前のポスト・ストリートから何度か移転し、2002年からこの場所に移ってきたと聞きました。ちなみに、この記事を書くためにウェブサイトをチェックしましたら、店の住所がサター・ストリート110番地と書かれていました。また移転されたのでしょうね、きっと。それはともかく、2006年に訪れた時には、ひさびさの日本からの取材ということで、創業者で社長のチャールズ・ピブニックさんが私たちを歓待してくれて、店内を案内しながら、いろいろな話を聞かせてくれました。彼はもともと服を売った経験はなかったそうですが、軍隊からの放出品であるサープラスウエアを売る店としてケーブルカー・クロージャーズを1946年にスタートさせました。1949年にこの店のサファリタイプの服が新聞のコラムに掲載されて大ヒット、全米に知られる店となったそうです。1972年、英国製品を売る「ロバート・カーク」という老舗メンズショップを買収し、店も英国製品を売る店にシフトしていったのだそうです。取材時には、ウィンドウにケーブルカー・クロージャーズとロバート・カークの2つの名前が描かれていました。
名優スティーブ・マックイーンも愛したショップ
実は、ケーブルカー・クロージャーズはスティーブ・マックイーンのファンにもよく知られる店です。彼はプライベートで英国の「バラクータ」のG-9モデルを愛用していましたが、どうもそのブルゾンをこの店で購入したらしいのです。店で試着する彼の写真も見た記憶があります。サンフランシスコを舞台にした映画『ブリット』が公開されたのが1968年ですから、たぶんその頃訪れていたのでしょうね。取材した時にもG-9モデルはまだ売られていて、ほかにも「サウスウィック」や「フィルソン」などのアメリカ製の服と、世界最古の帽子店である「ジェームスロック&カンパニー」のハット、「ケント」のブラシやセーター、パジャマも英国製。超高級銃砲メーカーとしても知られる英国の名門「ホーランド&ホーランド」のサファリジャケットまで並んでいます。英国製を中心としたその品揃えはまったく変わっていないのです。昔からの在庫品と思われる製品まで店頭に並んでいて、まさにトラッドの博物館といった趣に心が躍りました。四半世紀ぶりに訪れたこの店でピブニックさんに選んでもらったのは、前の年、マンハッタンで縫っているのを見たシルクのクレストタイです。ほどよいネクタイ幅、シルク地も厚手で、縫製もていねいです。見た目以上に素晴らしいのはとても締めやすいことです。一度でノットがきれいに整い、えくぼ=ディンプルも自然にできます。長くトラッドアイテムを扱ってきた伝統の技が薫ります。ネイビーの色も渋めでジャケットからスーツまで、いろいろな上着に似合います。刺繍は、もちろんこの街の名物ケーブルカーがモチーフ。締めると、サンフランシスコの冷たい潮風を思い出します。