熟練編集者の物欲クロニクル
「L.L.ビーン」を知ったのは1970年代のことです。当時のL.L.ビーンは、アメリカ東部メイン州フリーポートにしかショップがなく、日本では並行輸入品が麻布の某ショップにたまに並ぶぐらい。インターネットもない時代ですから、入手するには、メイン州まで行くか、カタログでアメリカまで注文しなければなりません。アメリカに気軽に行けるはずもないので、残るは通信販売という方法しかありません。しかし、カタログの入手も大変です。大きな郵便局で「国際返信用切手」なるものを購入し、本社にカタログの送付をお願いする手紙を。数カ月してカタログが届きますが、その中から欲しいモノを探すのが困難。カタログに載っているのは「見たことがないもの」ばかりで、解説は全部英語。お金の支払いにも大きな壁が立ちはだかります。クレジットカードも浸透していない時代ですから、銀行で海外送金用の小切手をつくる必要があります。(子どもには)高額な手数料を払って小切手を作製、アメリカまで書留を。航空便でも数週間、船便なら数カ月、ようやく日本に荷物到着のハガキが家に届きます。指定の郵便局まで出向き、窓口で関税を支払い、やっと注文した商品を手にすることができるのです。クリックひとつで宅配されるいまからは想像もできないくらい、手間暇とお金がかかりました。
100年を超える歴史、創業者は生粋のハンター
L.L.ビーンの創業は1912年です。創業者の名前は、レオン・レオンウッド・ビーン、ブランド名の「L.L.」は彼のイニシャルです。彼はハンティングが趣味で、いまでも人気の「メイン・ハンティング・シューズ」を考案、ハンティング愛好家にカタログを郵送し、ビジネスをスタートさせ、やがて全米中にその名が広まり、ヘミングウェイやベーブ・ルースまでが顧客となりました。カタログを前に悩んだ私が注文したのは、ハンティング向けにつくられた「フィールドコート」です。1924年に誕生したL.L.ビーンの中では名品といわれる商品です。本当はメイン・ハンティング・シューズが欲しかったのですが、靴はサイズがあります。アメリカまで返品なんてできないと、洋服にしたのです。
その道のプロが考え抜いたデザインとディテール
アメリカから送られてきたダンボール箱を開けると、フィールドコートは注文票や最新のカタログと一緒にビニール袋で封印されていました。取り出すと、コットン100%のダック素材で、「ゴワゴワ」とした感じの肌触りです。すぐには馴染まない素材の硬さに、武骨な“アメリカ”を感じたのをよく覚えています。このコートは素材だけでなく、デザインも独創的でした。ポケットはハンドウォーマーと一体化した機能的なもの。襟や袖口などの内側にコーデュロイの素材が使われています。裏側には獲物を入れるためのゴム引きの生地がフックで吊るされています。背中に開口部があり、ここから袋状の生地に向かって射止めた獲物を投げ入れる仕掛けです。ポケット内部には散弾銃のカートリッジ入れが付いていました。すべてのディテールは「ハンティング」のために考え抜かれたもので、デザインのためのデザインなどまったく見当たりません。まさにヘビーデューティー=質実剛健な服でした。私はハンティングをするために購入したわけではありませんが、そういったプロっぽい服を普段着として着たくて、アメリカまで注文したのです。
メイン州の旗艦店は365日、24時間オープン!
私がメイン州の旗艦店を訪れることができたのは、それから20数年後。年間365日、24時間営業を続ける旗艦店は、ホームセンターのような建物が数棟もある巨大な店構え。店内に人工の小川が流れ、釣竿を振っても誰にも迷惑をかけないほどの天井の高さ。深夜取材をしていると、カウンターに古い靴のソール修理を頼んでいる初老の男性がいました。いまだに愛用の品を持った顧客が訪れているのです。言うまでもなくメイン州は雄大な自然を抱え、ハンティングやフィッシングは単なるスポーツではなく、人々の生活の一部です。ある意味、L.L.ビーンに並ぶ商品は道具と同じで、この場所で生まれるべくして生まれたものばかり。だからフィールドコートをはじめとするL.L.ビーンの商品には“用の美”ともいえる実用的な美しさがあると、私は勝手に思っています。私が夢中になった「メイド・イン・アメリカ」の服は、実はそんなものばかり。しかも当時は入手困難な商品ばかり。だから、そういった服に対する物欲が人より少しだけ強いのかもしれません。