隈研吾×服部真二 グランドセイコーの新たな聖地で、時計づくりの未来を語ろう。

  • 写真:宇田川淳
  • 文:篠田哲生

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グランドセイコーを専門に手がける工房が、岩手県雫石に誕生した。建物の設計を手がけた建築家の隈研吾と、セイコーホールディングスの服部真二グループCEOがこの地で対談。グランドセイコースタジオ 雫石について、そして日本のものづくりの未来についてを語った。

セイコーホールディングス代表取締役会長 兼 グループCEO 兼 グループCCOの服部真二(右)と、建築家の隈研吾(左)。「グランドセイコースタジオ 雫石」の2階にあるラウンジスペースにて。

2020年に誕生60周年を迎えた「グランドセイコー」。その節目にふさわしいプロジェクトとして、2つの“聖地”が生まれた。一つはグローバルブランドへと突き進む“販売拠点の聖地”として、パリのヴァンドーム広場に完成した「グランドセイコーブティック」。そしてもう一つ、“機械式腕時計製造の聖地”となるのが、岩手県雫石に完成した「グランドセイコースタジオ 雫石」である。セイコーホールディングス代表取締役会長の服部真二と、ヴァンドーム広場のブティックと「グランドセイコースタジオ 雫石」の両方を手がけた建築家の隈研吾に話を聞いた。


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グランドセイコーには、ふさわしい場所が必要となっていた。

入口から「グランドセイコースタジオ 雫石」を見る。ぐっと跳ね上がった屋根が特徴だ。

1970年、岩手県雫石町に設立された「盛岡セイコー工業」は現在、セイコーにおける高級機械式腕時計の重要な製造拠点である。ここにはムーブメントパーツを製造し、仕上げ、組み立てるというマニュファクチュールとしての機能が集まっている。さらに2004年にはグランドセイコーを中心とした高級機械式モデルを製造するために「雫石高級時計工房」がスタート。時計づくりの様子を見学できるようになっており、国内外からのジャーナリストや時計愛好家からも好評だった。

そして、2020年に完成したのが、この「グランドセイコースタジオ 雫石」。グランドセイコーに特化した組み立て工房であり、敷地内で製造されたパーツがここに運ばれ、ムーブメントの組み立てやケーシング、クオリティチェックなどを経て全世界へと出荷される。同時に、見学者のためのコースやセミナールーム、ラウンジも完備しており、グランドセイコーのものづくりの思想を世界へと発信する場所となるのだ。

服部真二。セイコーホールディングス代表取締役会長 兼 グループCEO 兼 グループCCO。1953年東京都生まれ。84年に精工舎に入社し、2012年より現職、20年よりグループCCOを兼務。セイコーウオッチでは2003年社長就任、17年より会長兼CEOに。音楽やスポーツに対する造詣も深い。

「2020年はグランドセイコーの誕生60周年となります。2010年のバーゼルワールドで、グランドセイコーを世界ブランドへと導くと宣言し、2017年にはブランドとして独立。デザイン領域を広げるとともに、海外展開を本格化させました。10年前はグランドセイコーの海外拠点はほとんどありませんでしたが、今では世界各地にブティックがあります。そして2020年には、パリのヴァンドーム広場にブティックをオープンさせました。いよいよ“世界のグランドセイコー”となりつつあるタイミングだからこそ、次は“腕時計製造の聖地”が必要ではないかと考えたのです」と語るのは、セイコーグループを率いる服部真二。

「グランドセイコーのブランドフィロソフィーである『The Nature of Time』のNatureには“自然”という意味がありますが、日本人は自然の移り変わりを敏感にとらえる感性があります。さらにNatureには“本質”という意味もある。グランドセイコーは実用時計の最高峰を目指し、視認性や耐久性、精度を磨いてきました。つまりグランドセイコーは“時計の本質”を追求してきました。そしてこの美しい森に囲まれたグランドセイコースタジオ 雫石は、まさに『The Nature of Time』を具現化しているのです」と、その意義を語った。

隈研吾。建築家、1954年神奈川県出身。1990年に隈研吾建築都市設計事務所を設立。近年の代表作に、新国立競技場や高輪ゲートウェイ駅がある。

「グランドセイコーのブランドフィロソフィである『The Nature of Time』は、僕が建築で表現したいことと同じでした。時間を超えた永遠の価値を意識しているからこそ、すんなりと受け入れられました。プランを立てるためにこの場所を視察しましたが、岩手山がこれほど近く、そして綺麗に見えるとは驚きでした。これは他にはない条件ですから、絶対にプランに取り入れたい。全てはそこから始まりました」と語るのは、いまやグローバルブランドとなったグランドセイコーの世界観を建築によって体現する建築家の隈研吾。

「大きなチャレンジだったのは、木造でありながら精密な時計を組み立てるためにクリーンルーム(清浄な空気が保たれている部屋)をつくることでした。工場イコール四角い箱というイメージがありますが、四角い箱はどこにでもあるもので、周囲の環境とは関係ない。しかしここには美しい自然がある。周囲を囲む森に配慮し、岩手山に配慮する、屋根のある建物をつくりたかった。屋根というのは、周囲の環境との関係からデザインされるものだからです。木造で屋根のある建物は、住宅など生活空間に用いられることが多い。それを工場という生産施設に用いることは、いままでにないチャレンジだったのです」

広いクリーンルームを支える構造体となっている廊下部分。見学者の通路でもあり、外と中を緩やかに繋ぐ役目も果たしている。
リズムよく柱を立てる構造になっている「グランドセイコースタジオ 雫石」。この模型は2階のラウンジに展示されている。

“木造でクリーンルームをつくる”という隈研吾の挑戦とは、どういうことか。そもそも木造は強度が劣るので、どうしても梁などの水平材を取り入れる必要がある。しかし水平材は埃がたまりやすいので、清浄な空気を保つ必要があるクリーンルームには不向きだ。従来の組み立て工場のクリーンルームが頑丈な鉄骨造やRC造でつくられているのは、強度を出すための梁などの水平材が不要であるからであり、木造でクリーンルームをつくるというのは例を見ないことだ。

ではどうやってこの難問をクリアしたのか。その解決方法はクリーンルームを挟むように配置した二つの廊下にあった。廊下部分に建物の重さを支える構造を集中させることで、クリーンルーム内に小屋梁をつくらない構造を実現し、2つの廊下は岩手山側を見学者の通路とし、裏側の廊下をスタッフ用とすることで理想的な動線も確保した。

木造でクリーンルームをつくるという前代未聞の試みは、数々の木造建築を手がけてきた隈研吾の知識と経験によって、こうして成功へと導かれたのだ。

この工房が、ものづくりの場の新しいモデルとなる。

国内外で数多くのプロジェクトを進める隈研吾。パリのヴァンドーム広場にオープンしたグランドセイコーブティックも彼の仕事だ。

建築的にも、これまでにはないチャレンジを行った「グランドセイコースタジオ 雫石」だが、ここが多くの時計技術者が働く職場でもあることも忘れてはいない。

「ここで作業する時計技術者への配慮も考えています。時計の組み立てはとても細かい作業ですから、優しい空間で仕事をしてもらいたい。例えば作業時に、ちょっと外を見れば岩手山が見えて気分転換になりますし、クリーンルームの中にも木の柱がある。まるでリビングのような空間であり、自然を感じつつ守られている。そんな工場は世界でここしかないでしょう。20世紀までは、働く人を箱の中に詰めこんでおけばよいという考えでした。しかしこれからの働く空間には、質も問われていくでしょう。どういう素材で作られているか。どういう光の質があるか。どういう自然を感じることができるか。それが新しい指標となるでしょう。そしてグランドセイコースタジオ 雫石が、新しいモデルになると思います」

奥羽山脈北部に位置する岩手山は、標高2038mの活火山。山頂近くは地熱の影響で雪が解け始めるのが早く、山頂の雪が解けると春が訪れるといわれている。
雄大な岩手山に対して屋根の一部が大きく跳ね上がっている。

岩手県のシンボルである岩手山は、地元民の誇りである。そのため「グランドセイコースタジオ 雫石」では、岩手山の見え方にもこだわっている。エントランスから見学者用の廊下にかけた屋根は、ぐっと跳ね上げるようにデザインされており、岩手山や空、周囲の自然と建物を繋げようとしている。

「セイコーはこの雫石という場所で、地元のコミュニティと密接な関係を築いてきました。それはすなわち、セイコーが積み重ねてきた時間の価値でもあります。このグランドセイコースタジオ 雫石は、積み重ねてきた時間の延長線上につくりました。この建物によってさらにコミュニティが深まっていく。それは誇るべきことだと思います。この地にあること、そしてこの自然環境の中にあること。周囲の森や岩手山も含めて一つの作品なのです」と隈は語る。

グランドセイコー生誕60周年に誕生した、ものづくりの聖地。

グランドセイコーの誕生60周年であると当時に、創業者服部金太郎の生誕160周年という節目でもある2020年に、大きなプロジェクトを実現させた服部真二。

雫石で高級時計をつくること。それは必然だったと服部は考える。

「もともと盛岡や雫石は伝統工芸が盛んで、技能者が多い地域でした。1970年に盛岡セイコーを設立したのは、そういった時計づくりに適した人材と文化があったからです。そして伝統的な時計の生産地になったからこそ、ここに“あこがれの場所”をつくりたかった。ここで働きたいという技術者を育てていきたいのです。これまでの工場は、生産現場でしかありませんでした。しかし『グランドセイコースタジオ 雫石』は、セイコーのものづくりの視点から世界に発信する場所となる。そしてグランドセイコーの歴史を語るなら、ものづくりの匠たちにもスポットを当てるべきですし、岩手県の工芸文化についても世界に知ってもらいたい。ここはものづくりの聖地”なのです。それをグランドセイコーの誕生60周年という節目に完成させることができて、大変喜ばしく思います」

2階のラウンジへと向かう途中にある窓からは、クリーンルームで作業している技術者の様子が見える。

「グランドセイコースタジオ 雫石」では、雫石高級時計工房で使用していた、岩手県の伝統家具「岩谷堂箪笥」の作業机を引き続き使用している。最新の工場ではあるが木のぬくもりや伝統工芸との融合が意識されているのだ。

実はこういった時計工房はかなり珍しい。スイスの時計工房では効率化を重視しており作業机も仕事環境も、かなり近代的になっている。建物自体は長閑な自然の中にあるのだが、四角い箱の中で仕事をしているのだ。しかしグランドセイコースタジオ 雫石は、もっと自然に近い印象を受ける。高級時計は必ず人の手から生み出されるのだから、働く時計技術者の心理状態も製品の質へと直結するだろう。スイスの高名な独立時計師は、精神を落ち着ける場所こそが時計製造に最適であると考えて山奥に工房を構えた。顔を上げれば美しい自然が飛び込んでくる場所こそが、細かい作業によるストレスを打ち消すというのだ。

それと同じ理念を、グランドセイコースタジオ 雫石にも感じる。美しい環境の中でしか、美しい時計は生まれないのだ。

エントランスに掲げられている、グランドセイコーの獅子のマーク。

2017年にブランドとして独立し、グローバルブランドとして着実な歩みを進めている「グランドセイコー」。しかし高級時計の世界は、製品の力だけで勝負するのではない。大切なのは製品が生まれる背景であり、どういう場所でだれがつくっているかという物語である。「グランドセイコースタジオ 雫石」はグランドセイコーのものづくりの精神と理念を世界中へと発信する場所になる。世界中から時計愛好家が訪問したいと考える聖地になる……。それは絵空事ではないだろう。それくらい魅力的な場所である。


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問い合わせ先/セイコーウオッチ お客様相談室
TEL:0120-061-012
www.grand-seiko.com

※「グランドセイコースタジオ 雫石」は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、当面の間、一般公開を見合わせています。