2019年3月のジュネーブショーで発表され、世界的な注目を集めた「マクラーレン・スピードテール」。いよいよデリバリーが開始され、うち1台が日本上陸を果たした。驚異のスペック、そしてそれを支える最新のテクノロジーとは。
メーカー自身が「究極のロードカー(市販車)」と呼ぶ「マクラーレン・スピードテール」が、日本に上陸した。2020年9月14日に東京でお披露目されたこの英国製ハイパーGTは、まるでクルマとは思えないような、劇的なシルエットが特徴。空気の抵抗がきわめて低そうなボディは、美しいだけでなく、実際に最高速度が時速403キロという驚くべきものだ。
見るものの心を捉える美しさと、圧倒的な運動性能を併せもつこのクルマは、一体いかなるものであるのか。搭載されたユニークかつ革新的なテクノロジーをひも解きながら読み解いてみよう。
人類が追い続けたきた技術のひとつの到達点。
航空機と同様、クルマも空気と戦ってきた歴史をもつ。スピードテールを一目見るなり、新しくかつ懐かしい印象を受けたのは、このクルマが実は、(ややおおげさにいえば)人類の追い続けてきた技術のひとつの到達点だと思えるからだ。
古くは1930年代、ドイツの自動車メーカーが開発に血道を上げた歴史がある。走行中の空気抵抗を減らして、速度の限界に挑戦するために数多くの車体が設計された。彼らの言葉でいう”Stromlinienautos"、英語だとストリームライナーは、フランクフルト近郊の片側5車線のアウトバーンなどで最高速に挑戦していた。
50年代、米国と当時のソ連による宇宙進出競争に端を発し、プロダクトデザインにまで大きな影響を与えた、いわゆる”スペースエイジ”の時代にも、米国の自動車メーカーは、戦前のドイツとはちがうかたちで、空気との戦いを車両デザインに取り込んだ。
よく知られているのは、リアトランクの両脇に飛行機でいうバーティカルスタビライザーのような大きな突起物を設けたテールフィン・デザインだ。さらに、市販されなかった習作のなかには、ベル社が1940年代に完成させ、その後のマーキュリーやジェミニといった宇宙計画に端緒をつけた音速機「X-1」を思わせる車体のものまである。
2019年3月にスイス・ジュネーブで開かれた自動車ショーで、スピードテールが発表されたときの衝撃はいまも強くおぼえている。理由のひとつは、上記のとおり、感傷的なフラッシュバックがあったこと。もうひとつは、マクラーレンらしく、他社が採用していない最新の技術をふんだんに盛り込んだ革新性ゆえだ。
とりわけ驚かされたのは、全長5137ミリのボディのテールエンド(車体後端)の”エルロン”だ。左右で一対ある。リアスポイラーといわず、航空機と同じエルロンと呼ぶからには、その働きも同様か。つまり高速走行時に車体が傾かないよう、左右が独立して動き、空気抵抗をうまく使いながら姿勢を安定させる働きなのだろう。過去にこのアイディアが実用化されたことは、おそらくないはずだ。
しかも、このエルロンのデザインに瞠目させられるのは、格納されているときは、まったく存在がわからないことだ。作動時は、「このクルマのために開発された」と発表時にマクラーレンジャパンの代表が話してくれた、薄い特別製のカーボンファイバーの外皮がめくれる。持ち上がるとかでなく、まさにボディがめくれる。
マクラーレンのデザインを統括するロブ・メルビル氏とかつて話したとき、世のなかの何にも似ていない同社のプロダクトのデザインは、モチーフを自然物にしている、と教えてくれた。「たとえば波のかたち、水のしずく、鳥の羽。それらの美しさは、大いに参考になります」。軽いロンドンなまりのメルビル氏は語った。
スピードテイルにもそのデザイン哲学があてはまるだろう。だから、クルマ好きの胸を打つような、衝撃的な造型美なのだ。そして有機的デザインの行き着いた、ひとつの到達点が、作動していないときは車体と完全に同化してしまうエルロンではないだろうか。
そんなことを考えさせるところに、工業製品よりアートに近い、と評されるマクラーレン車の真骨頂があるともいえる。アートのようなデザインを実現するために、マクラーレンの技術者は、通常の「3Kカーボン」でなく「1Kカーボン」を選んだ。通常は3000本の炭素繊維を編むが、1000本にすることで、造型の自由度が高まるところに注目したのだ。
ただし、メルビル氏が説くマクラーレン車のデザインポリシーは、「Everything For A Reason」。あらゆる造型には理由がなくてはならない、というものだそうだ。これも自然界に似ている。自然の造型は、理由の解析に時間がかかることもある。おなじように読み解く楽しみを与えてくれるのがマクラーレンといってもいいだろう。
技術的な内容にも、みるべきところが多い。ひとつは、プラグインハイブリッドのパワートレインだ。4リッターV型8気筒エンジンに、1647キロワット時という超がつく高性能のバッテリーとインバーターとモーターからなるシステムの組み合わせ。パラレルハイブリッド形式となるパワートレインの合計出力は1070馬力、最大トルクは1150Nm。にわかに信じられない数値が発表されている。
モーター単体の出力は230kW。マクラーレンによると、電気自動車のフォーミュラレース、フォーミュラEで培った技術を活かして開発した高出力パワーユニットだという。「現在のいかなるスポーツカーで使われているものより高効率で高出力」と同社ではプレスリリースで謳っている。
モーターで高出力をねらうには、なにより大事なのはシステムの冷却だ。スピードテイルは一見、フロントに開口部をもたないが、マクラーレンのエレクトリックドライブテクノロジーチームは、すぐれた冷却システムの実現に成功したという。
“究極のマクラーレン”と呼ばれる理由。
もうひとつ、プラグインハイブリッドとしてスピードテイルの注目点は、充電方式だ。なんと(と言いたくなる)非接触充電を実現しているのだ。駐車場では、車体の下、所定の位置に電気ざぶとんのような充電器を置けば充電が開始される。CHAdeMOにはじまるコネクターをつなぐ充電方式は採用されない。ほんとトンガっている。
マクラーレンのプラグインハイブリッドとしては、かつて限定で375台だけ販売された「P1」(2013年)に継ぐもの、といえるが、技術内容ははるかに進んでいる。代表例がクルマの要(かなめ)となるシャシーだ。
マクラーレンのスポーツカーの大きな特徴が、人体でいえば骨格にあたるシャシーだ。iPhoneでもオーディオアンプでもテレビモニターでも、みなシャシーが大事なように、マクラーレンは、カーボンファイバーを惜しみなく使って、強固で軽量な(そしてかなり高価な)センターモノコック構造を作っている。
スピードテイルの場合は名づけて「マクラーレンモノケージ」。まるでF1マシンのような、このシャシーがあるから、ボディのほかの部分を軽くでき、操縦性がよく、高速で安定し、安全なボディ構造が実現しているのだ。
1981年から2011年まで宇宙と地球を往復したスペースシャトルの着陸にNASAがつかう、米フロリダ州ケイプカナベラルのケネディスペースセンターの滑走路で、時速403キロという最高速を何度もマークしたスピードテイル。その安定した高速走行を支えたのも、シャシーの性能によるところが大きい。
スピードテイルで、もうひとつ感心させられるのが、超がつく高速走行のためのボディ設計だ。かつて時速400キロ超えを達成したスーパースポーツカーは、車体の浮き上がりを防ぐためのダウンフォースが上から強い力で抑えつけるためタイヤが破裂するのを防ぐ必要があった。そこで航空機の技術で特殊なタイヤを開発する必要があった。
スピードテイルのタイヤは「専用」のピレリPゼロと発表されているものの、それ以上、特別なことはプレスリリースに記されていない。おなじ銘柄であっても”フツウ”のスポーツカー用のPゼロとはあらゆる点で異なっていることは想像できるとはいえ、軽量ボディと徹底した空力のコントロールで、タイヤへの負担を抑えつつ、時速403キロの最高速を達成しているのだ。
スペシャルさでいうと、1プラス2ともいえるシートアレンジが注目に値する。ドライバー席は中央。その左右にパセンジャーシートが据え付けられた3人乗りの乗員配置だ。天才的といわれた英国人F1設計者のゴードン・マレイが設計した「マクラーレンF1」(94年)なるスーパースポーツカーを彷彿させるレイアウトである。
理論的にいうと、ドライバーが中央に座れば、重量の片寄りもない。クルマをプラン(上面図)でみたとき、左右対称に可能なかぎり近いメカニカルレイアウトが望ましいのは、F1のようなフォーミュラマシンがいい証左だ。
シート表皮は専用に仕上げたレザーを張り、ディヒドラル(二面角)ドアと名づけられた上にはねあげ式のドアからドライバーがコクピットに乗りこむときは、滑りやすくしているそうだ。かつ、いちどシートに収まってしまえば、しっかりホールドすると謳われる。あらゆるところに配慮が感じられる。これが、究極とマクラーレン車が形容されるゆえんだ。
「生産台数はわずか106台。今回、ジャーナリストに披露したのは、日本のオーナーの方が発注した車両です。あと何台、日本向けに届くか言えませんが(注:つねに3パーセントという話を聞いたことがある)、アートとサイエンスが融合したたぐいまれなGTを所有できるなんて、すばらしいことだと思います」
マクラーレン・オートモーティブ・アジア日本支社代表の正本嘉宏氏は、東京・西麻布の発表会会場でそう語ってくれた。
ちなみに価格は税別で175万英ポンドから(から!)と発表されている。1ポンド=135円として、2億3625万円となる。所有しても、オーナーは公道ではほとんど乗らないだろうし、レースなんて絶対にでない、と言われるので、まぼろしの名車、になるかもしれない。