記憶を継承し、未来をつくる。建築家・田根剛が語る「弘前れんが倉庫美術館」【ケンチクのこれから VOL.1】

  • 文・写真(ポートレートのみ):山田泰巨

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青森県弘前市に開館した「弘前れんが倉庫美術館」は、およそ築百年のレンガ倉庫をリノベーションして生まれた同市初の公立美術館だ。設計はパリを拠点に活躍する建築家の田根剛。場所の記憶を継承して建築に挑む彼が、弘前で考えたこととはなにか。人と街、そして記憶を繋ぐ建築に迫った。

2020年7月11日、新型コロナウイルスの感染拡大防止から開館を延期していた「弘前れんが倉庫美術館」がついにグランドオープンした。写真は同館前に立つ建築家の田根剛。

2020年7月、「弘前れんが倉庫美術館」がグランドオープンした。青森県弘前市の中心部に立つレンガ造りの美術館は、長く市民に愛されてきた建物を美術館として再生、継承したものだ。設計はパリを拠点に活躍する建築家の田根剛である。

青森県はいま、国内有数のアート発信地だ。2001年、青森市に安藤忠雄の設計によりアーティストたちが滞在制作を行う国際芸術センター青森が開館して以降、同県には次々と著名建築家の設計による美術館が開館している。青森市には青木淳による青森県立美術館、十和田市には西沢立衛による十和田市現代美術館があり、弘前れんが倉庫美術館はそれに名を連ねることとなる。2021年には先ごろ開館した京都市京セラ美術館の設計者の一人である西澤徹夫が浅子佳英とともに進める八戸市新美術館(仮)も開館を控える。開館日、完成を祝う人々の姿に安堵する田根に思いを聞いた。

先人の挑戦をなぞりながら、建物と土地の記憶を継承する。

右が美術館棟、左がカフェ・ショップ棟。カフェ・ショップ棟は入り口のある壁面のみが残されており、解体も検討されたが再生案が採用された。©Naoya Hatakeyama

1907年に酒造倉庫として建てられた吉野町煉瓦倉庫。これが、美術館棟とカフェ・ショップ棟からなる「弘前れんが倉庫美術館」の原点だ。

これまでも「場所の記憶」を掘り起こし、建築を通じて未来へ繋げていく「記憶の継承」を実現してきた田根剛。代表作の「エストニア国立博物館」では、負の遺産とされていた旧ソ連時代の軍用滑走路を国家の歴史を語り継ぐ場へと生まれ変わらせた。日本では初めての公共建築となるが、今回も建築のアイデンティティを成すのはやはり「場所の記憶」と「記憶の継承」である。では、この土地の記憶とはいったいなんなのだろうか。

美術館棟はL字を描く。 正面エントランスの矢切(屋根の形状にあわせた三角形状の壁部分)はレンガを新しく積んでいる。©Naoya Hatakeyama

もともとここは明治初期に栽培が始まったリンゴ農園の一部であった。それが電力会社の敷地となり、さらにそれを譲り受けた実業家の福島藤助が日本酒醸造の工場と倉庫を建設したのは1907年のことだという。事業の本格化に伴って工場が増設され、1923年頃には「弘前れんが倉庫美術館」の基となる棟が建てられた。

福島は当時の新しい技術や設備を取り入れた頑強な建物をつくるため、専用のレンガ工場と採石工場を建設するほど、計画に力を入れていた。田根は、「福島は『もし事業が失敗しても、建物が街の将来のために遺産として役立てばよい』と語ったといいます」と話す。

戦後、この建物を受け継いだのが吉井勇だ。吉井は朝日麦酒(現アサヒビール)を共同出資主として朝日シードルを設立し、日本初の大規模なシードル工場として操業を始める。1960年にシードル事業はニッカウヰスキーに引き継がれ、ニッカウヰスキー弘前工場として再スタート。しかし工場の移転で稼働が止まると、1997年まで政府による米の保管用倉庫として活用されることとなる。田根はこうした歴史を継承しようと、建物の再生を計画の主軸に置く。

既存のレンガ積みを活かすため、積まれたレンガに穴を空けて鋼棒を打ち込むことで補強。安全面を確保して再生を行った。©Naoya Hatakeyama

「記憶をどう継承するか。それは人類の壮大なテーマであり、僕自身が探求するテーマです。建築には場所を未来へ繋ぐ力がある。建設とともに多くの人が関わり、それを起点に人々の人生が交差します。そこから新たな記憶が始まり、未来に繋がっていく。今回、改築にあたってわかりやすく新旧を対比させる計画では未来を見いだせないと感じました。現在の日本ではレンガ組積造の建物を新たに建設することができない。だからこそ、修繕して建物の精神を『延築』することによって記憶を継承したいと思ったんです」

弘前れんが倉庫美術館はイギリス積みを採用したレンガ組積造の建築物だ。近代化とともに日本へ導入されたレンガ組積造だが、関東大震災で耐震性が問題視され、以降の日本では鉄筋コンクリート造が主流となった経緯がある。改修前の建物では現行法の耐震基準を満たさず、美術館という公的空間に再生するためには高い耐震性能が求められた。レンガ組積造の再生計画では新たな構造体で壁を支え、レンガを仕上げ材と見なすことで問題の解決を図ることが多い。

しかし田根は、「それでは煉瓦が構造ではなく仕上げ材になってしまう」として別の解決案を提案する。既存の煉瓦壁に深さ9mの穴を空けて12mの鋼棒を打ちこみ、コンクリートを流すことでやわらかい組積造を固い壁とする高度な耐震補強を採用した。

エントランス部分はレンガの風合いから新たに積まれたことがわかる。独自のアーチ状に組まれ、これを「弘前積みレンガ工法」と名付けた。一度組まれたものの、より高い完成度を求めてレンガ職人が組み直したという。©Daici Ano

「西洋建築の技術が定着していない明治期に、イギリス式レンガ積みの建物は、神戸、横浜、函館などの港町でしか見られませんでした。ただ建物を改修するだけではなく、弘前でその建設に挑んだ先進性を引き継ぎたかった。技術を持たない先人が煉瓦工場までつくり、一つひとつ積み重ねてきた場所。僕たちはもう一度煉瓦をつくって積み上げ、思いを継承していく必要がありました。先人の記憶を未来に届けたいと思ったのです。新たな美術館として運営していくために、過去の技術の継承、最新の技術への挑戦の両面が必要だったんです」

たとえばエントランス上部の山型をした壁は新しい煉瓦によるものだが、それに気づく人は少ないだろう。館内でも壁の破損した煉瓦を新規の煉瓦に差し替えているが、ひと目見ただけで見分けることは難しい。新造する煉瓦は、既存煉瓦の燃焼温度や土の分析を経て再現した。そうしたなかで唯一、煉瓦の新しい表情を感じられるのが蛇腹状に積んだエントランスのアーチだ。既存の煉瓦壁に合わせて色むらやゆがみを出してはいるが、その独特の積み方は日本の煉瓦積み職人とともに挑んだもの。ヨーロッパの教会建築で見られるヴォールト様式を思わせるが、田根はこれを「弘前積みレンガ工法」と名付けた。

サイトスペシフィック、タイムスペシフィックな美術館を目指して。

シードルのゴールドを引用したチタン製の屋根。耐候性が高く軽い材のため、構造への負担も少ない。淡いゴールドは太陽の光を受け、さまざまな色調に表情を変える。©Daici Ano

一方、煉瓦とともに新たな美術館を象徴するのがシードル(りんご酒)を色でイメージしたシードル・ゴールドの屋根である。ここは限りなく過去の意匠を踏襲した本施設の設計において、田根独自の意匠を明快に見いだせる箇所だ。シードル工場としての記憶を次代へ継承することを目指している。

13,000枚ものチタン金属板による菱葺き屋根は、天候や時間で色合いが変化する。単調な金色ではなく、空の淡いブルーやピンクを拾い、晴れた夕暮時には泡立つシードルのような琥珀色を描く。ゴールドという提案から周辺風景との調和が取れないと反発も多く、実現は難航した。田根は平坦な金色ではなく、光を受けて淡い表情を描くものとして何度も交渉を重ねたと振り返る。

既存のレンガを残しつつ、ヘリンボーンに組んだ床材には新しいレンガも。建物自体が補修や増築で年代の異なるレンガを使っており、随所にその痕跡が見られる。©Daici Ano
コールタールの黒い壁を活かした展示室。ホワイトキューブの展示室も設けながら、建物が本来もっていた素材感を継承した新しい展示室のあり方を提示している。©Atelier Tsuyoshi Tane Architects

館内でも、随所に時間のレイヤーを感じることができる。

「煉瓦壁の漆喰を剥がすとより古い層が出てくるわけですが、そこには当時の煉瓦が経年変化せずに残されていました。フローリングも手張りされたヘリンボーン床で小割に分割しています。手仕事でつくられた当時の空間は情報量が多く、馴染ませるために細部まで仕上げに気を使っています。古い建物は解体して初めて問題が露呈する箇所も多く、現場に通い続ける必要がありました。けれど長く続いた建築への絶対的な敬意をもち、手を抜かずに神経を尖らせて自分たちのつくるべきものをつくることが重要でした。気を抜くと違和感が出てしまう。もちろん館内すべてに手を入れていますが、どこを修繕したのかわからないようにしたかったんです」

田根は既存の煉瓦壁の状態をつぶさに確認し、ひび割れ、黒ずみ、白化などの破損状況にあわせ、高圧洗浄や磨き、新たに製作した煉瓦の埋め戻しなどを丁寧に行っている。通常はホワイトキューブで構成される展示空間をそれのみとせず、毒性の残留などを確認したうえでコールタールが塗られた黒い壁をあえて残し、メインの展示室を黒い空間とした。ほかにも時間の堆積を感じられる展示室をいくつか設けている。

ナウィン・ラワンチャイクンの『いのっちへの手紙』(中央)、尹秀珍の『Weapon』(左上)が展示された館内展示室。15mの吹き抜けをもつ巨大な空間が今後どのような展示を生み出すのか期待が高まる。©Daici Ano

開館記念展「Thank You Memory ―醸造から創造へ―」では、館内にある大小5つの展示室で8人の作家が作品を展開する。15メートルの巨大な吹き抜け空間をもつ黒の展示室では、ナウィン・ラワンチャイクンが全長13メートルの扇形絵画『いのっちへの手紙』が展示される。弘前市民へのインタビューをもとに、弘前の歴史や記憶を作品に仕上げたものだ。

「美術館の新設時に要求される水準は70項目に及び、これに応えることだけを念頭に置くと煉瓦の建物に関係のない建築になってしまいます。今回は、サイト・スペシフィック(場所性)とタイム・スペシフィック(時間性)で美術館の新たな可能性に向き合いました。展示空間は、作品と対話するサイト・スペシフィックなものでありたい。展示室もホワイトキューブのみでなく、プログラムや作品が置き換わることで多様な伝え方を持つものとしたかったんです。1階から2階へと歩き回ることで、作品の見方が変わることも意図しました。展示自体も、部屋別に長期のプログラムや短期のプログラムなどが行えるものとし、それらの関係で新たな体験を生むタイム・スペシフィックな展示を狙っています。寒さが厳しい冬には来場者も減少してしまう。そんな時期には長期滞在のレジデンスとして、この大きな空間を制作に使ってもらえたら。他にない展示が生まれる……そんな企画が今後実現することを願っています」

ロフト状になった2階展示室より吹き抜け方向を見る。©Daici Ano

田根はキャリア初期からダンスカンパニーやオペラの舞台美術、美術館での展覧会の会場構成を数多く手掛けてきた。それは今回の設計で活かされたのか。

「たしかに建築家として劇場や美術館のバックヤードの経験は豊富かもしれません。ユーザーとして使いにくさにストレスを感じることもありましたが、ただ使いやすいだけの平均的な空間では特別な体験は生み出せません。もちろん今回は、動線を考え、搬出入の経路、可変性、自由度を担保する複合的な視点で設計を行っています。現在の美術は、音、光、パフォーマンスなど、幅広い表現が考えられます。そうした要素からどう空間を成り立たせられるか。完成してみて自分で使うとなると、使いにくい部分もあるようにも思います。けれど、だからこそいろいろと考えてもらえる。こう使ったら面白いんじゃないかという使い方が、次の展示への可能性として発展していくように思います」

いかにして記憶を継承し、弘前の未来へと繋いでいくか。

エントランスに設置された奈良美智の『A to Z Memorial Dog』。2006年の「YOSHITOMO NARA + graf A to Z」展をサポートした地域のボランティアのために制作、奈良から弘前市に寄贈された作品。©︎Yoshitomo Nara ©Daici Ano

今回の計画は、この地がもとより市民に親しまれていたことが大きな意味をもつ。弘前市出身の美術家、奈良美智が吉野町煉瓦倉庫を使い、2002年、2005年、2006年と3度にわたって開催した展覧会が、市民の記憶に深く刻まれた。開催に多くのボランティアスタッフが参加し、有志の手で建物内部も修繕が行われた。県内外から多くの来場者が訪れ、展覧会後にボランティアのために制作された立体作品『A to Z Memorial Dog』はいま、美術館の入り口で来館者を迎える。

「奈良さんの展覧会が美術館を設立する原点となりました。多くの市民がアートに触れた記憶を持っていたことは大きいでしょう。開館記念展もまた、記憶に焦点をあてた展示を構成しています。コレクションがないところからスタートする弘前れんが倉庫美術館は、さらにコンセプトを深め、アイデアを集めていくことが求められます。未来を見るために、古く遠い文化の記憶を探り、起源を探る。記憶とは人々の集合が生むものです。そして、それが人の未来を掻き立てていく。展覧会の記憶が、弘前の新しい未来を生み出していきます」

美術館棟2階にはライブラリーコーナーを設けた。撮影:小山田邦哉
山岳信仰の場所として親しまれる岩木山とともに美術館を見る。シードルゴールドの屋根はギラつくのではないかとの懸念もあったが、実際には淡く落ち着いた風合い。街を散策していると時折その色が輝くのに気がつく。©Daici Ano

「本質的に、建築が個人の記憶を継承することは非常に難しい。個人が持っていた記憶は何代かすると忘れられてしまうことがほとんどです。けれど、建築は記憶をとどめ続けることができます。ここではりんごの価値を高める加工品としてシードルが製造されました。しかし、アイデアで課題を乗り越える知恵があったことも語り継がれなければ忘れ去られてしまいます」

いまから一世紀前、この地で煉瓦を積んだ職人はやがて倉庫が美術館になるとは夢にも思わなかっただろう。けれど歴史のなかで積み重ねられた人々の想いが、この場をつくりだした。これからは美術館を訪れた人々の記憶が積み重なり、街、そして土地の時間と記憶が未来をつくる。津軽を象る記憶を貯めていく倉庫として、美術館は新たな歩みを始めたばかりだ。

弘前れんが倉庫美術館

⻘森県弘前市吉野町 2-1
TEL:0172-32-8950
開館時間:9時〜17時(⾦⼟は各スタジオ、市⺠ギャラリー、ライブラリーは21時まで)
休館日:火 
www.hirosaki-moca.jp
※開館記念展『Thank You Memory ―醸造から創造へ―』は9月22日(火・祝)まで。入場料一般 1,300円

記憶を継承し、未来をつくる。建築家・田根剛が語る「弘前れんが倉庫美術館」【ケンチクのこれから VOL.1】

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