3カ月の休業を経て、TRUNK(HOTEL)の野尻佳孝がたどり着いた答えとは。

  • 写真:齋藤誠一
  • 文:久保寺潤子
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新型コロナウイルスの影響で大きな打撃を受けているホスピタリティ業界や観光産業。そのような状況に屈せず、TRUNK(HOTEL)は独自の魅力をブラッシュアップさせている。オーナーの野尻佳孝さんに、休業から再開後の取り組みまで話を聞いた。

「マニュアルのない運営」や「年末年始休業」など、ユニークな取り組みでホスピタリティ業界にイノベーションを起こしてきたTRUNK(HOTEL)。今回のコロナ禍では、他社に先駆け営業自粛を決断するなど、いち早く対応してきた。

3カ月の休業期間中、大事にしていたことはなんだったのか? ホテルに求められることは今後変わっていくのだろうか? 7月1日に再開を果たしたTRUNK(HOTEL)の取り組みについて、オーナーの野尻佳孝さんが語る。

いち早い休業のわけと、スタッフに生まれた変化。

1階のラウンジにはさまざまな種類のグリーンを配置。椅子も間引き、リラックスした演出でソーシャルディスタンスを確保している。

「TRUNK(HOTEL)は3月中旬には休業を決め、3月30日に休業しました。不安定な環境下で、現場の社員が不安を感じながら働いていること、正直私自身も不安を感じていたこと。自分たちの気持ちに対して誠実に向き合って判断しました。

当時はコロナ禍により世の中ではリモートを推奨する風潮がありました。ただリモートで業務ができない業種や職種ももちろんたくさんあり、リモートで働く方々の生活もそうした人たちによって支えられています。そういったことを世の中がもっと理解すべきだと思いました。

私たち、ホスピタリティ業界もそうした業種のひとつ。当時、ホテル業ではまだ休業の動きは見られませんでしたが、業界に対してもTRUNKの等身大の考え方、運営方法を提示できればと考えました」

野尻さんは当時の状況を振り返る。宿泊客やレストラン、ウェディング、イベントまで含めると、予約客は1000人超。ひとりひとりに事情を説明し、3月30日、期限を設けずに休業へと踏み切った。国が緊急事態宣言を発令したのは、その約1週間後の4月7日だった。ホテルは休業要請業種に当てはまらなかったが、社員や家族たちの不安を回避することを優先した形だ。

野尻佳孝⚫1998年、ブライダル事業を行う株式会社テイクアンドギヴ・ニーズを起業し、2001年、ナスダック・ジャパン(現・ジャスダック)に上場、06年に東証一部指定。16年に株式会社TRUNKを設立。17年、日本で初めてソーシャライジングをコンセプトにしたブティックホテルTRUNK(HOTEL)を渋谷に開業。

休業期間中は、それまで多忙を極めていた社員たちがいったん立ち止まり、自分と仕事を深く見つめ直す絶好の機会になったと野尻さんは言う。

「もともと今年は“Deep Understanding”を社内のテーマに掲げ、会社の理念と戦略を理解し、深く考える年にするつもりでした。ひとりひとりに対して、自分が本当にやりたいことはなにか? 仲間とともに会社の中でそれが実現できているか? 会社は自分にとって理想のパートナーか? そういったことを皆にじっくり考えてもらいたかった。個々人の理解したことや考えを仲間と語り合うことで、互いの思考の質が高まっていきます。
そうすると仲間たちの言動の質も相乗的に上がっていき、結果自然とアウトプットの質が高まると考えるからです。

今回のこのコロナ禍における取り組みは、普段接することのない仲間たちとの相互理解を深めることに適したいい機会だったんじゃないかなと思います。営業再開後、思考の質が高まった仲間たちによる質の高いアクションが早くも見られるようになってきているのも事実です」

ラウンジのソファには、「ソファ」に引っ掛けて“NOT SO-FAR”の文字が。館内にはいたるところに新たなグラフィックが配されていて、細やかな心遣いが感じられる。
館内のデザインはすべて社内のクリエイティブチーム、TRUNK Atelierが制作。コロナ関連の新聞記事をコラージュした上に、“Don’t Spread”(感染拡大させないで)のコピーがグラフィックで表現されている。

TRUNK(HOTEL)は、もともとマニュアルを設けない会社ゆえ、ステイホーム期間中は社員からさまざまなアイデアが飛び出した。自然発生的にできたオンラインのプラットフォームでは、普段顔を合わせる機会の少ない他部署の社員がお互いのスキルをシェアし始めた。

「フローリストチームによる大田花市場のバーチャルツアーやバーテンダーによるカクテル講座、その他にもファイナンシャルプランニング講座など、仕事の空き時間に皆が気軽に自身のナレッジを発信していましたね」

いっぽう、日々の業務としてはスキルの幅を広げるため、他部署へのジョブローテーションを実施した。

「たとえばレストランのホールで働いている社員が販売促進チームの仕事を体験することで、いままで見えなかったものが見えてくる。全体が見えてくると、仕事に主体性が生まれます。いまでは全員がマルチ能力をもち始めています」

エレベーターには感染防止を呼びかけるアイコンが。新たな日常に向けての新しいエチケットを提案。

特別なキャンペーンはせず、TRUNKらしさを深めていく。

TRUNK(HOTEL)再開後のコンセプト"What a Wonderful World Being With You"(あなたが一緒の世界はすばらしい)というメッセージからは、ゲストにハッピーを届けたい、というホテルの思いが垣間見える。休業中、社員は仕事への思いを確認し、新たな気持ちでスタートを切った。

さまざまな職種が存在するホテルでジョブローテーションを体験し、視野を広げた社員たちは、“新しい生活”に向け、さまざまな取り組みに着手し始めた。入り口近くにあるショップのガラス窓にウォールペイントを描いてメッセージを発信し、ラウンジにはソーシャルディスタンス対策を兼ねて大量のグリーンを設置して、ジャングルのような雰囲気を演出。エレベーターにはマスクの装着を促すアイコンをさりげなくデザインするなど、ウィットに富んだ前向きな姿勢がいたるところから感じられる。

バーでおなじみのリキュールのボトルに見立てたハンドサニタイザー。ラベルのロゴまで、遊び心を欠かさない。
キャッシャーのトレイには「空間的な距離を取っても、心は寄り添って」とのメッセージ。スマートに思いを伝えるために、デザインが効果的に使われている。

「再開にあたっては、ターゲットを変えて売り上げを確保するための特別なキャンペーンを打つことは一切しません。目先の売り上げは上がるだろうけど、従来のターゲットのニーズに合わないことはやらない。コロナ禍であっても『やっぱりTRUNK、面白い!』と常連さんに感じてもらいたいですから」

実際、こうしたホテルの取り組みはSNSで広がり、ラウンジやレストランは賑わいを取り戻し宿泊予約も徐々に回復してきているという。オープン以来、宿泊ゲストの9割が欧米人だったが、インバウンドがストップしたことで、これまで宿泊できなかった邦人ゲストが予約可能になったのだ。

「インバウンドが戻るのはまだまだ先ですが、ここは我慢です。コロナ禍だからといって戦略を変えるのではなく、TRUNKらしさをより深めていきたい」

コロナ禍だから戦略を変えるのではなく、自分たちの本当にやりたいことを深堀りすることが大切、と野尻さんは語る。

休業中は社員に対して毎日メッセージを発信し続けていたという野尻さん。リストラを余儀なくされたホテルもあった中、今回のコロナ禍で社員との関係性は向上したと感じている。

「観光は世界で見ても第3位の基幹産業。いまは消費が落ち込んでいますが、平常に戻った時は旅への需要はいっそう高まるでしょう。僕らは従来のターゲットである感度の高いゲストの多様なニーズに応えられるよう、これからもイノベーションを起こし続けていきます」

マニュアルやガイドラインに従うだけでは真の意味でのホスピタリティは育たないと野尻さんは言う。ボトムアップで企業を変えていくTRUNK(HOTEL)の働き方は、今後多くの企業にとって大いに刺激になるだろう。

エントランス脇にあるショップのガラスに描かれたグラフィティ。入館時には検温や健康状態の申告、個人情報までチェックするなど、感染拡大防止対策も徹底して行いながらも、渋谷らしいヒップなパフォーマンスも忘れない。

TRUNK(HOTEL)

東京都渋谷区神宮前5-31
TEL:03-5766-3210
https://trunk-hotel.com