『ノルウェイの森』で描かれた新宿駅西口の地下通路は、副都心計画のカギだった。【速水健朗の文化的東京案内。西新宿篇③】

  • 文:速水健朗
  • 写真:安川結子
  • イラスト:黒木仁史
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ライターの速水健朗さんが、過去のドラマや映画、小説などを通して東京の埋もれた歴史を掘り起こす。新宿副都心計画で最初に進められたのは、意外にも超高層ビルではなく広場だった。いまの西新宿を形成した広場の歴史をひも解くと、そこから激動の時代の痕跡が見えてきた。

速水健朗(はやみず・けんろう)●1973年、石川県生まれ。ライター、編集者。文学から映画、都市論、メディア論、ショッピングモール研究など幅広く論じる。著書に『東京どこに住む?』『フード左翼とフード右翼』などがある。

西新宿篇の最後に速水さんが訪れたのは、小田急百貨店や京王百貨店と連結した、新宿駅の西口地下に広がる「新宿駅西口広場」だ。駅や百貨店をつなぐ連絡通路にしか見えないが、都市計画の上で重要な場所であり、政治的な意図により名称が書き換えられた歴史があることを知っているだろうか。西新宿に配置された、広場の秘密を明かしていこう。

原っぱから始まった、西新宿の都市計画。

1964年の新宿駅西口バスターミナル。京王百貨店は建設中で、小田急本館もまだ立っていない。駅の東口まで見通すことができる。写真:新宿歴史博物館

街に新しいビルができると、そこにはなにがあったのか気になってくる。西新宿の高層ビル街はもともとどんな場所だったのか。駅前にはタバコの専売局の工場があり、超高層ビル群の辺りには浄水場があった。あとは、住宅と原っぱである。

新宿駅西口が描かれているのは、恋人である直子からの長い手紙を受け取る重要な場面の直前だ。『ノルウェイの森』(村上春樹著 講談社 1987年)

村上春樹の『ノルウェイの森』には、1969年の新宿駅西口についての描写がある。主人公のワタナベトオルは、深夜営業の喫茶店で相席になった女の子ふたり組と朝から酒が飲める店を探す。しかし当時の新宿でそんな場所は思い当たらない。コンビニもない時代、彼らは自販機で日本酒を買って西口の原っぱに行く。

69年の新宿駅西口にはまだ超高層ビルが立っていないが、工場や浄水場はなくなっており、彼らが酒を飲むような原っぱは残されていた。まさにこれから開発が本格化しようという時期である。この新宿副都心計画は、戦後の東京における最大規模の開発計画である。裏を返せば、東京の中でも真空地帯のような場所が新宿駅の西口に広がっていたのだ。

新宿副都心計画の建設風景(1966年)。写真の中央奥には京王百貨店が見える。造成中の道路は、都庁舎の間を通る現ふれあい通り。写真:新宿歴史博物館

新宿駅西口が描かれた場面は『ノルウェイの森』を読んだことのある人にとっても、とりたてて重要と思えないだろう。だがその様子は、奇妙なほど正確性を込めて描かれている。村上はそういう作家である。奇妙なほど書き込んだかと思えば、69年を舞台にしながら学生運動についての具体的な記述があまりなかったりする(意図的だろう)。書かれた細部と、書かれない大情況。このような読み込みを必要とするのだ。

原っぱで朝っぱらからふたりの女の子と酒を飲む主人公は、小田急デパートの上をカラスの群れが飛んでいく光景に出合う。そして、女の子のひとりが長野の実家に帰ることになり、電車を見送りに新宿駅西口広場を通りかかる。

なにげない印象の西口広場。JR線や小田急線、京王線、東京メトロなどを利用する歩行者が行き交っている。

ここで登場する新宿駅西口広場の完成は1966年。広場というほどおおげさな印象は受けない、なにげない場所だ。鉄道の改札を降りた歩行者のための空間。だが、この新宿駅西口広場は、副都心計画における最重要施設だったのだ。

西口広場は、広場と地下駐車場、百貨店が一体となっている。一見すると地上からはスロープの下が見えず、広場がどこにあるのか気づかないユニークな場所だ。

新宿駅西口広場の基本思想は、広場と駐車場施設の2層化だった。さらにその上に商業施設が重なる。搬入用トラックと駅利用者の出入りを並行して確保するためには、施設の立体化が必須だった。それを実現するために、国鉄、小田急、京王、首都高速の4社による協定(1961年)が結ばれた。施設の設計・施工を担当したのは土地をもっていた小田急。小田急がデベロッパーとなった上で、新宿駅西口広場および地下駐車場、そして小田急本館(当初は「新館」)の建設工事が進められたのだ。

西口広場に面する新宿スバルビル地下の壁に設けられたこのオブジェは「新宿の目」。1969年に彫刻家の宮下芳子が制作した。

手がけた建築家は、前川國男の紹介でル・コルビュジエのもとで働いた坂倉準三。西口広場は、地下駐車場の二重らせんのスロープ、小田急百貨店、駅舎などを一体とした施設。そのようなデザインとして捉えると、モダニズム建築の勇壮な姿が浮かび上がってくる。

『ノルウェイの森』の主人公は、西口の原っぱから小田急百貨店を眺めながら、まだ珍しかった立体交差するこの建築を眺めていたのだろう(直接描写を避けてはいるが)。ここでの関心の寄せ方に、作者の駅舎好きがよく表れている。村上の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋 2013年)の主人公は駅舎の建設デザイン専門家として描かれている。

1969年、毎週土曜に行われ、新宿駅西口の名物となっていた「反戦フォーク集会」。ベ平連の若者たちに観衆も加わり、盛り上がる当時の熱気が伝わってくる。写真:毎日新聞社

1969年は、学生運動が頂点を迎えた年である。この年から、確実に退潮も始まっていた。運動は市民からの支持を失っていき、主体となった学生たちもそれを自覚し始めていた。新宿駅西口では、そのことを象徴する事件が起きている。当時の西口広場では毎週末、ベ平連(「ベトナムに平和を!市民連合」の略称)による反戦フォークゲリラが開催され、多くの若者が集まっていた。そして1969年6月28日、機動隊がフォークゲリラに突入。これを機にこの場所は“広場”ではなく、“通路”と書き換えられ、集会が禁じられる。“通路”であれば、集会を開くのは通行人の邪魔になる、という屁理屈のような理屈である。

現在の西口広場には、“イベントコーナー”の文字が。古本市や衣料品のバーゲンセールなど、日によってさまざまなイベントが開催されている。

このエピソードにより、単なる通路のようにも見える西口広場は、逆に“広場”として知られるようになったかもしれない。そして現在、この場所はどうなっているのか。“広場”でも“通路”でもなく“イベントコーナー”と、一角ではあるがでかでかと書かれている。なんとも皮肉なネーミングだ。“広場”としてここを設計した建築家にとって、“イベントコーナー”と書かれてしまうことは屈辱ではないか。また、ここを政治的に“通路”と塗り替えた誰かの意図も軽々と乗り越えてしまっている。

西口広場の対極に位置する、「水の広場」とは。

京王プラザホテル横の中央通りを歩く。オフィスの昼休み以外の時間帯は人通りも少なく、静かな場所である。

さて、西新宿はなにもない原っぱから計画的に街がつくられた場所である。いかにも計画都市といった見た目を備えており、その都市計画がどのようなものか俯瞰して見てみよう。西新宿の大動脈にあたるのが中央通りである。西口広場と新宿中央公園の入り口「水の広場」を結んだ通りだ。この通りの両脇に、前回案内した京王プラザホテル、三井ビルディング、住友三角ビルといった初期メン超高層ビル群が並んでいる。都庁もここに連なっているが、85年に移転が決まり、やって来たのだから副都心計画よりもかなり後付けである。91年に都庁舎ができた際にその下の地下通路が開通し、96年に「動く歩道」が設置された。

中央通り地下通路に設置された「動く歩道」の長さは約300m。時間により進行方向が変わり、土、日、祝日、年末年始は運行を休止している。

広場と広場を結ぶ大動脈、中央通りの一端が西口広場。それではその逆端に置かれた水の広場はどういった場所なのか。新宿中央公園も副都心計画の一環として68年に開園したのだが、この場所を舞台にした小説がある。1995年に刊行された『テロリストのパラソル』だ。著者の藤原伊織は、今作で江戸川乱歩賞および直木賞を受賞している。新宿中央公園の水の広場で爆弾テロ事件が発生し、多数の死傷者が出る。そこに居合わせたのは、主人公のバーテンダー島村である。島村は昼間からウイスキーを飲みにこの場所にやって来るのが習慣。彼はアルコール中毒だった。

小説内で爆弾テロ事件の現場として設定された「水の広場」では、実際に2002年に同様の事件が起きている。写真は水の広場の目印である「ナイアガラの滝」。

ニュースで事件の被害状況が伝えられ、島村は被害者の中に学生時代の仲間である桑野誠がいたことを知る。さらに、かつての同棲相手、園堂優子がいたことにも気づく。どうやら爆弾テロ事件と無関係ではないようだと感じる島村。この事件は“あの時代”と結びついている可能性がある。

乱歩賞&直木賞を史上初めて受賞したハードボイルド小説。1996年には萩原健一主演でテレビドラマ化された。『テロリストのパラソル』(藤原伊織著 文藝春秋 1995年)

“あの時代”というのは学生運動の時代のことである。『ノルウェイの森』のワタナベトオルと同様、島村たちも学生運動世代なのだ。島村と桑野、優子の3人は派閥に属していない、いわゆるノンセクトラジカルだが、同時期に東京大学で運動に参加していた。そして、それは決して過去の思い出ではない。島村は、バーテンダーとして生きているが、警察から手配を受けている現役のテロ活動家でもある。20年前にある爆破事件を引き起こし、逃亡中なのだ。

ちなみに、20年間地下で潜伏する話は、左翼運動家の世界ではあり得る。もと左翼の有名評論家が同志の逃亡費用を50年ほど払い続けているという話も聞いた。ただ、新宿酒場でのみ伝わる都市伝説ゆえ、事実なのか酔っ払いのつくり話なのか定かではないが。

超高層ビル群に囲まれながらも自然のあふれる新宿中央公園。写真でバックに見えているのは、パークハイアット東京だ。

“あの時代”から20年が経っているのだから、『テロリストのパラソル』の舞台は1990年代の前半だ。優子の娘である塔子は島村が母親の元彼だと知り店を訪れ、その後相棒として活躍する。島村が塔子に借りたパソコンで過去の新聞記事を検索したり、携帯電話を初めて使ったりする場面もある。島村は40代のおじさんだからデジタル機器の取り扱いに慣れていない。というより、まだパソコンも携帯電話も誰もが使って当たり前ではなかった頃だ。小説内に「インターネット」という言葉は出てこないが、当時ならそうだろう。インターネットの国内利用開始が93年。GPSを使って後をつけられる場面もある。そんなことができるのかと島村は驚くが、GPSの民間使用も同じく93年から。

1968年の開園以来、親しまれてきた新宿中央公園。公園自体は変わらないが、そこから見える景色は70年代から徐々に別物へと変わっていった。写真:新宿歴史博物館

さて、作中で新宿中央公園の水の広場が爆発事故の現場に設定された理由は、小説内で明かされる。ネタバレになるので触れないが、“あの時代”に生まれ、変わらず残るこの公園が、当時と現代を接続させる舞台としてふさわしかったのは間違いない。

『ノルウェイの森』と『テロリストのパラソル』。どちらも政治の時代としての新宿が描かれている。計画的につくられたことから無機質な街と思うかもしれないが、これまでの原稿を通して見えてきた西新宿のキーワードは「広場」と「政治」のふたつだ。政治の季節に生まれた西口広場や水の広場は、50年経っても姿を変えることなく、そのままの形を保ってはいる。だが、その周囲はびっしりと超高層ビルやタワーマンションに埋め尽くされてしまった。景色の変わったいまの西新宿には、朝や昼から酒を飲むような場所がちょっと見当たらない。

今回足を運んだのは、オフィス街のイメージが強い新宿駅の西側だ。

東京のランドマークのひとつである東京都庁(①)が、丸の内から西新宿に移ってきたのは1991年のこと。超高層ビル群の中ではまだ新しめのビルといえる。

そんなビル群の中で最初に立ったのは、71年竣工の京王プラザホテル(②)。伝説的ドラマ『太陽にほえろ!』では、当時唯一の超高層ビルだった京王プラザホテルが映し出さている。

74年に竣工した通称“住友三角ビル”(正式名称は新宿住友ビル)(③)は、2020年6月のリニューアルに向けて改装工事中だ。70年代で時が止まったかのような展望フロアや地下商店街は閉鎖され、いまや見ることができない。

その隣に位置する新宿三井ビル(④)は現在も変わらず、地下から吹き抜けの「新宿三井ビル55ひろば」をもつ。煉瓦敷の床に椅子と丸テーブルが並び、周辺のオフィスに勤める人々の食事やお茶の場として親しまれている。

超高層ビル群が計画的に建設された西新宿だが、副都心計画における重要施設としてビルより先に進められたのは、ふたつの広場だ。

ひとつは、新宿駅西口広場(⑤)。69年に毎週末開催されていたベ平連ら反戦フォークゲリラに、機動隊が突入する事件が起きた。

もうひとつは、西口広場から東京都庁に向かった先にある新宿中央公園(⑥)だ。ハードボイルド小説『テロリストのパラソル』では、学生運動の盛んな時代から変わらないこの公園が舞台として選ばれている。

超高層ビル群が目立つ西新宿だが、都心計画の基盤にあったのは広場であり、学生運動世代によって政治がもち込まれた街なのである。