北海道・十勝の自然に囲まれた「メムアースホテル」を、地球を旅する写真家・石川直樹が訪れる。

  • 写真:後藤武浩
  • 文:小川 彩

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十勝平野から太平洋を臨む、北海道大樹町芽武(めむ)に2018年11月にオープンしたサステイナブル住宅による宿泊施設「メムアースホテル」。大自然の中に佇むユニークなコンセプトのホテルに、世界の極地から街まであらゆる土地を旅する、写真家の石川直樹さんが訪れた。

今年の夏から宿泊可能になった、平原の中の「HORIZON HOUSE」に立つ石川さん。室内にいながら地平線をぐるっと眺められる、開口部を360°取った建物だ。

メムアースホテルの主役は、かつてサラブレッドを育ててきた牧場の広大な平原に建てられた宿泊施設としての実験住宅と、豊かな自然。訪れたゲストは、「国際大学建築コンペ」で最優秀に選ばれ、実際に建てられた前衛的な作品に滞在することができる。ここは地域の資源を生かし、寒冷地における持続可能な暮らしを研究する「MEMU MEADOWS」を前身として、実際に地域におけるサステイナブルな暮らし方を体験する宿泊施設として2018年にコンバージョンした。自然とともに現代建築を体感できる唯一無二のホテルを、世界中を旅してきた石川さんはどのように感じただろうか?

前衛的な建築に滞在する魅力。

石川直樹● 1977年、東京都生まれ。写真家。人類学や民俗学など幅広い領域に興味を持ち、世界のあらゆる場所を旅し、作品を発表し続けている。最新刊に、ヒマラヤの8000m峰に焦点をあてた写真集シリーズの6冊目となる『AmaDablam』(SLANT)、水戸芸術館や初台オペラシティなど全国6館を巡回した個展のカタログ『この星の光の地図を写す』(リトルモア)など多数。10月2日から鹿児島県霧島アートの森で企画展『「島は、山」 island ≒ mountain』を開催中。

「時間が許せば、気になっていた現代建築を旅先で訪ねることもあります」という石川さん。普段意識することが多いのは、作品集『VERNACULAR』で撮影したような、世界各地で生活する人々の日常の家や生活の様子だと言う。牧草保管用倉庫を建築家・伊東豊雄がリノベーションし、レセプションとレストランにした「スタジオメム」にチェックインした石川さんは、「北海道の農家や酪農家の農場でポピュラーなD型倉庫を活用しているんですね」とコメント。北海道を旅する時にも、開拓民の歴史や、農場の風景を身近に感じていることがうかがえる。

2018年のオープン時から稼働している「Même」。メムアースホテル全体の建築の監修も担当している隈研吾建築設計事務所による設計は、中央に囲炉裏を置くなどアイヌの伝統建物「チセ」の構成を踏襲している。真っ白な建築が青い牧草地に浮かび上がる風景は、民話のワンシーンのようだ。

点在する施設のうち、メムアースホテルを象徴する隈研吾設計の「Même(メーム)」からさっそく見学へ。屋根から壁まで同じ素材で建てるこの地域のアイヌの伝統建築「チセ」の構法に倣った建物だ。白い膜材で中空をつくった壁に、地熱や囲炉裏の輻射熱を取り入れて断熱効果を高めるなど、心地よい生活に必要なエネルギーをサステナブルに回す仕組みがユニーク。視線を低く置きたくなるこの住宅のために旭川の職人に特注した座椅子に落ち着いた石川さんは、「ここでは床に寝転んでくつろぎたくなりますね」とリラックスした表情を見せた。

Mêmeで囲炉裏の前に座る石川さん。内外ともに光を通す特殊な壁素材によって、室内はいつもやわらかな光に満たされている。
布でリビングダイニングと仕切られた寝室。低く切った窓の景色を、ベッドに寝そべったまま楽しめそう。
「INVERTED HOUSE」。居間や寝室など室内にあるはずの空間を壁で覆わず、大自然に向かって開放したつくり。石川さんが座っているスペースはなんと寝室。
INVERTED HOUSEの居間に座る石川さん。RC打ちっ放しのマッシブな躯体に囲まれながら、思いがけない開放感を体験できる実験住宅に、実際に滞在したらどのように過ごせるか興味津々の様子。

石川さんが「ここは面白い!」と最も興味をもった「INVERTED HOUSE(インバーテッド・ハウス)」は、ノルウェーのオスロ建築デザイン大学による作品。居間や寝室など居室の外壁を取り払い、大自然に向かって生活を剥き出しにした設計は、厳寒期にマイナス20℃以下になる大樹町の冬に滞在することを想像するとかなりアグレッシブな住宅とも言える。ところが極地に通い続けている石川さんから「雪山の装備でぜひ厳寒期の宿泊に挑戦してみたい」と意外な感想が。極北の地の学生が「寒さを楽しむ」をテーマに生み出した建築は、発想のユニークさだけでなく、RCの躯体のダイナミックな構成も美しい。滞在体験は想像をはるかに超えたものになるにちがいない。

今夏から宿泊可能になった慶應義塾大学設計の「BARN HOUSE(バーン・ハウス)」。馬の寝床である納屋と人間が過ごす空間とが一体になった建物は、馬のそばで過ごしてみたい方にお薦め。馬糞を発酵させた熱エネルギーを生かす、次世代サステナブル住宅を目指している。
石川さんに近づいてきたのは生後5カ月(撮影当時)のサラブレッド。ホテルの敷地内には、馬やポニーを放牧するパドックがあり、散策の途中に触れ合うことができる。今後、乗馬体験もアクティビティのひとつに加わる予定だ。
まるで小さな古墳のようにランドスケープに溶け込む、九州大学設計の温浴施設「Colobockle Nest」。内側の階段を上ると天井が開いた、すり鉢状の浴槽が現れる。入浴した石川さん曰く、「空に浮かんでいるような気分」になれるそう。

地平線を見ながら、内省的な時間を過ごせる場。

「RETREAT IN NATURE」をテーマにした「HORIZON HOUSE」はハーバード大学デザイン大学院による作品。牧柵として使われている地元の針葉樹を外壁に使うことで、建築も景色と一体となるよう設計されている。

今回、石川さんが宿泊したHORIZON HOUSEは、「外観がシャープで、洗練されていますね」という第一印象のように端正な木造の実験住宅。その名の通り地平線の眺めを意識した建築で、地上1mの高さまで床を上げ、そのレベルから360℃窓を切っているため、積雪しても地平線のパノラマビューが楽しめる。建物はコンパクトだが、ラウンジチェアで静かなひとときを過ごしたり、階段に腰掛けて外を眺めたりしていると、建築を超えて十勝平野と一体になったような不思議な広がりを体感できそうだ。

HORIZON HOUSEの室内。エントランス、キッチン、薪ストーブのあるリビングから2階寝室まで、起伏をつくったひとつながりの空間で、さまざまな居場所を発見できる。
石川さんにとって、旅には書籍が不可欠。室内に設けられたライブラリーコーナーに立ち、ラインアップをさっそくチェック。滞在中は長編の紀行文を読み耽けながら、音楽に耳を傾けるのにふさわしい空間の心地良さが印象に残ったそう。
ルームウエアはアウトドアブランドの「アンドワンダー」によるオリジナルデザイン。ベッド上の「ホースブランケット リサーチ」のブランケットなど、手触りのよい上質な素材をプリミティブなモチーフやカラーリングに落とし込んだアイテムが、簡素な建物の空気感に寄り添う。
ルームキーには、地元の木工家・高野夕輝さんによる木彫りの熊のオリジナルキーホルダーが。伝統的な八雲町の木彫りの熊を参考にしたオブジェをはじめ、手触りのよいアイテムに囲まれて過ごすことができる。

HORIZON HOUSEに一泊した石川さんは、「ゆっくりとした時間を過ごしました。仕事や本をもち込んで集中したり、音楽を聴いて過ごしてもいいですね」と、自分と向き合える内省的な時間が流れる空間に魅力を感じた様子。フォークロアを意識したデザインや、質の良い素材で仕立てたベッドリネンやルームウエアも、メムアースホテルならではの滞在の印象をより深めたようだ。

レセプションやレストランの機能を兼ねる「スタジオ メム」のショップコーナー。高野さんの木彫の熊のオブジェのほか、スタッフも愛用するブランドストーンのサイドゴアブーツはじめ、アウトドアで活躍するアイテムが揃う。

夕食と朝食は、スタジオメムにあるオープンキッチン前のダイニングで。十勝平野の野菜や畜産の生産者、そして広尾町はじめ豊かな海産物の水揚げを誇る近隣の漁業関係者とホテルのスタッフがコミュニケーションを深め、日々届くようになった素材の背景を聞きながらいただく食事は、この風土がより身近になるひとときだ。夕食は十勝地方の食材を使った料理をコースで。朝食は炊きたての道産米を新鮮な卵、塩鮭、醤油漬けのいくらなど、地元で調達したさまざまなご飯のお供とともにゆっくりと楽しめる。

K2とガッシャーブルムというヒマラヤへのハードな遠征や、アラスカ州ユーコン川下りの取材から帰国して間もない石川さん。「生命力あふれる素材に彩られた食卓は、僕にとって何よりのご馳走です」。
晩夏のディナーコースのひと皿「鰯と夏野菜」。海も山も近い大樹町の立地を生かし、腕を振るうのは沼田元貴シェフ。ワインはその日の食材や調理法に応じて、フランスのナチュラルワインを中心に薦めてくれる。
夏は青草、冬は夏の間に収穫した自家飼料を食べ、なるべくストレスのない環境で牛を育てている地元畜産家、坂根さんの「35ヶ月グラスフェッドビーフ “ランイチ”」。2年熟成させた味わいの濃いジャガイモのローストとともに。

自然の中、風土を知るひとときに浸る。

大樹町から太平洋に流れ込む清流・歴舟川でのアクティビティを楽しみにしていた石川さん。ネイチャーディレクターのひとり、原田裕人さんと一緒に上流まで移動しながら、毛針を使う「テンカラ」釣りのポイントを探す。

石川さんが楽しみにしていたのが川でのアクティビティ。メムアースホテルでは「ネイチャーディレクター」と呼ばれるスタッフが、十勝平野のアウトドアの過ごし方のナビゲーターとして、地元の自然を満喫できるさまざまなアクティビティを紹介している。大樹町を流れる歴舟川では釣りはもちろんのこと、天候に恵まれればカヌーで川下りをしたり、地元の方に案内してもらいながら素潜りをすることも可能だ。

カラフトマスやサクラマスなど、清流を遡上する生き物を身近にできる歴舟川の支流に立つ。アイヌ語で「泉の湧き出るところ」という意味の「芽武」の清流に惹かれ、移住する釣り好きも多いとか。
「ふた夏連続して旅したアラスカ州のユーコン川ではルアーフィッシングで、テンカラはあまり経験していない」という石川さんに、旅をしながら出合った川で気軽に釣りができるテンカラ釣りの魅力を語る原田さん。

さまざまなテーマで世界各地を旅し、撮影し続けている石川さんが10代の頃から追いかけているテーマのひとつが「川」だ。「昨年に続き、この夏もアラスカ州のユーコン川を下ったばかり。通いながら上流から下流まで4万5千㎞の川沿いに生きる人の暮らしや自然の姿を、ファインダーを通して記録しています」と、アラスカと川の旅への憧憬を語った。かつてアラスカと群島を通じて人々が移動していた北海道の風土にも魅了され、道東から知床まで近年足繁く通っているそう。今回のメムアースホテル滞在をきっかけに、ここ十勝平野も石川さんの旅の地図に加わったに違いない。

晩夏の十勝平野の川は水温も低く、しっかりとウェーダーを着てテンカラ釣に挑戦。増水した川での釣果ははかばかしくなかったものの、石川さんの北海道の旅に、毛針と釣竿はマストアイテムになったかもしれない。

「北海道各地を旅して気づくのは、開拓者の方々が築いたある意味単調なスタイルの建築が多いことです。そのようななか、メムアースホテルのそれぞれの棟は現代建築のよい意味でとがった特徴があります。建築文化を広々とした自然の中で体感できる魅力的な場だと思いました」。
建築家や、建築家を目指す学生の思考が形になった実験住宅の数々。石川さんはその空間に滞在した体験をこう振り返った。
オープン以来、北海道を車で旅する家族連れ、建築好き、そしてアウトドアを満喫する各地からのゲストが増えているというメムアースホテル。十勝の文化が育つプロセスに参加する感覚で、滞在したいホテルだ。

石川さんが撮影した、夜更けの牧草地に浮かび上がるHORIZON HOUSE。メムアースホテルは、鑑賞だけでなく現代建築に滞在する楽しみをこの地に伝える存在として、石川さんの記憶に残った。写真:石川直樹

メムアースホテル

北海道広尾郡大樹町芽武158-1
TEL:01558-7-7777
料金:Mêmu/HORIZON HOUSE¥50,000~/人、BARN HOUSE/INVERTED HOUSE¥40,000~(税別・シーズンにより変動)
http://memu.earthhotel.jp