速水健朗の文化的東京案内。【渋谷篇①トレンディドラマと渋カジ族のスペイン坂】

  • 文:速水健朗
  • 写真:安川結子
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スクラップ・アンド・ビルドを繰り返す東京を、ライターの速水健朗さんが案内。過去のドラマや映画、小説などを通して、埋もれた歴史を掘り起こします。第2回は渋谷エリア。駅周辺の大規模開発が進む渋谷は、これまでも時代によって印象を大きく変えてきました。今回は「渋谷は子どもの街か、大人の街か」という切り口でひも解きます。

速水健朗(はやみず・けんろう)●1973年、石川県生まれ。ライター、編集者。文学から映画、都市論、メディア論、ショッピングモール研究など幅広く論じる。著書に『東京どこに住む?』『フード左翼とフード右翼』などがある。

昨今ではハロウィンの騒動など、子ども(若者)の集まる街というイメージを抱かせる渋谷。そんなことをよそに速水さんは、「実は渋谷はトレンディドラマの舞台として描かれるなど、大人の街として捉えられていた時期もあるんですよ」と語ります。

最初に向かったのは、渋谷駅からセンター街を抜け、雑貨店やカフェで賑わうスペイン坂です。まずはこの場所の歴史を振り返りつつ、果たして渋谷は子どもの街か、大人の街か、検証していきます。

背伸びして大人のアメカジを纏った「渋カジ族」の出現。

東京を象徴する景色のひとつである渋谷のスクランブル交差点。1973年、渋谷パルコのオープンなどによりセンター街にも若者が集まり始めたことで、スクランブル化された。

子どもの街か大人の街か。渋谷は、その両方に揺れる街である。フジテレビのトレンディ路線ドラマ第1作目にあたる『君の瞳をタイホする!』は、80年代の渋谷を大人の街として映し出す。

オープニングでは、スペイン坂や公園通りといった場所が使われている。街をバックに陣内孝則、柳葉敏郎、三上博史らが巨大化したビリヤードの玉から逃げ回る。CGではない合成が時代を感じさせる。刑事ドラマといっても、軽薄で気取り屋の3人組が署内恋愛を繰り広げ、合コンに出かけるコミカルなドラマである。いまのスペイン坂は、決してお洒落なカフェやレストランが集まる場所ではない。イメージとしては、修学旅行生向けの観光地である竹下通りなどに近い場所だ。昔からそうだったのだろうか?

若者で賑わう現在のスペイン坂。写真左のビル1Fに入っていた「オクトパスアーミー」は1986年にオープンし、現在では閉店している。

当時のスペイン坂には、どんなショップが入っていたか。センター街、井ノ頭通りの側から入った坂のすぐ左手にショップ「オクトパスアーミー」があった。若者向け、値段の安いカジュアルウエアショップ。このオクトパスアーミーが”渋カジ族”発祥の店という説もあるが、当時のリアルな渋カジ族はこの店で服は買わなかったはずだ。本格的なヘビーデューティーなアメカジショップとしては、オルガン坂の老舗「バックドロップ」があったからだ。こちらは10代のお小遣いではなかなか手が届かない価格帯のものが大半だった。

渋カジ族は、1988〜89年頃にピークを迎えたファッショントレンドで、主体は有名私立大付属高校の高校生たちというごく小さな領域で生まれていたのだ。当初は、83年に公開されたフランシス・フォード・コッポラの『アウトサイダー』のようなアメリカ青春映画のスタイルが参照されていた。とはいえ、渋カジという言葉は、新しい流行として注目され、しだいに広まっていった。87〜88年までは、アメリカンカジュアル志向で、その後はキレカジと呼ばれる変化を見せる。だがその頃には全国区化し、もはや渋谷とは無縁のものになっていた。大人の着るDCブランド、モードファッションが強調される『君の瞳をタイホする!』とは真逆のスタイルだ。

背伸びして紺ブレやチノパンなどを身に着けた高校生や大学生が渋谷に現れ、”渋カジ族”と呼ばれた。写真:ACROSS編集室「定点観測」(左)1990年10月・(右)1991年2月
『オクトパスアーミー シブヤで会いたい』という映画が、東幹久主演で1990年に公開されている。主題歌をフリッパーズ・ギターが担当。明らかなミスマッチだが、渋カジ族と音楽の渋谷系が図らずも交錯した瞬間である。『オクトパスアーミー シブヤで会いたい』(監督:及川中 1990年 TBS 制作、販売元:パイオニアLDC) 

スペイン坂の入り口から少し歩いて右手にある「人間関係」というカフェバーは、1979年オープンとこの辺りでは突出して古い店だ。昔から待ち合わせなどに使われた。同じ並びに2015年まで中国雑貨専門店「大中」もあった。奥へ進み、突き当たりのカーブした階段を上った左手にあったのは1986年開館の「シネマライズ」。この映画館で92年日本公開の『ポンヌフの恋人』を観た記憶がある。他にもシネマライズといえば、96年『トレインスポッティング』や2001年『アメリ』が公開されていた。単館系映画作品の流行は、渋谷発という流れがあったのだ。シネマライズは、16年に閉館し現在はライブハウスの「WWW(ダブリュダブリュダブリュー)」となった。

「人間関係」はオープン時から変わらぬスタイルで現在も営業中。日中はコーヒー、夜はワインとつまみと、イタリアのバールのような雰囲気だ。

子どもたちに破壊される都市を描いた『AKIRA』

スペイン坂の奥の階段を上るとパルコ跡地が現れる。左に見える建物が、ライブハウスの「WWW」。2016年までは単館系作品を上映する映画館「シネマライズ」だった。

シネマライズのあった場所について、知らない時代まで遡ると、かつては「ホテルオリエント」というラブホテルが立っていたという。そのことを泉麻人がエッセイで記している。「まだパルコがパート1ひとつだけだった頃までは、この裏方の坂道のあたりは人気のない寂しい界隈で、ラブホテルのような物件が機能したのである」(『青春の東京地図』泉麻人 筑摩書房)。渋谷についての古いエッセイなどを読んでいると、よくこの辺りがラブホテル街だった話に行き当たる。サエキけんぞうも、「公園通りの両脇の路地を入れば、連れ込み旅館&連れ込みホテル(ラブホテルといういい方はなかった)が軒を連ねる元遊郭回りの超巨大発情都市なのであった」と語っている(『さよなら!セブンティーズ』サエキけんぞう クリタ舎)。そんな場所に突如としてパルコができたのだ。スペイン坂は子どもの場所と大人の場所を、時代により行き来してきたといえる。

渋谷パルコの仮囲いをアートウォールに見立て3期にわたり描かれた『AKIRA』のイラスト。計50mを超える長さとなったが、7月より順次撤去されている。

取材時、工事中のパルコの仮囲いには漫画『AKIRA』のイラストがペイントされていた。『AKIRA』は1982年から『週刊ヤングマガジン』で連載され、88年に劇場版アニメーションが公開された。東京が2度にわたって壊滅する話である。一度壊滅した都市を復興させようとオリンピック開催を目指す世界が描かれる(偶然にも2020年の東京五輪は現実のものとなった)。破壊するのは、子どもたちだ。主人公の金田や鉄雄、さらには超能力をもつアキラやキヨコといった登場人物たちも破壊する側。大人は都市を形成し、それを守ろうとする。復興のためのオリンピックを子どもたちが台なしにする。古いビルが取り壊され新しい商業施設になるまでの間というのは、すぐに忘れられてしまうものだが、パルコが取り壊されていた期間は実に長く、本当に破壊された都市の跡地のようだ。その光景は、『AKIRA』のペイントとともに後の時代まで記憶されるかもしれない。

大友克洋によるSF漫画。圧倒的な画力とリアルな描写は後の多くのクリエイターに影響を与えた。最近では新アニメ化プロジェクトも発表され話題に。『AKIRA』(作:大友克洋 1984年 講談社)