金沢21世紀美術館『大岩オスカール 光をめざす旅』展で、あふれる色彩や光に包まれる。

  • 写真・文:中島良平

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ブラジル・サンパウロに生まれ、東京、ニューヨークと拠点を移し作品制作を続ける大岩オスカール。豊かな色彩を駆使し、現実とファンタジーの入り混じる世界を描いたペインティングが人気を集める作家の個展が、金沢21世紀美術館で開催されています。

「第6章:希望をもって」と題された展示室で、『光をめざす旅』(2018)の前で佇む大岩オスカールさん。

2000年代初頭のものから最新作まで60点あまりを集めた大岩オスカールさんの個展『光をめざす旅』は、6章立てで構成されています。「第1章:波に包まれるニューヨーク市」では、2002年に東京からニューヨークに拠点を移す前後から手がけた作品を、「第3章:旅人生」では、いまでも来日するとよく顔を出すという北千住の居酒屋や、幻想的な海の風景を描いた作品などを展示。サンパウロから東京、東京からニューヨークへと拠点を移して活動してきた、大岩オスカールというひとりの人生の旅を追体験させます。今回、大岩さんが新たに挑んだ、金沢21世紀美術館の壁面への巨大なドローイングの様子から取材を始めました。

金沢で描いたのは、内面世界の森と2匹の動物。

金沢21世紀美術館の幅27メートルもの壁面に、10日間をかけて描かれたドローイング作品 『森』(2019)。

「明確な下絵は用意せず、ここに来てからまず構図になる線だけを壁に直接描いて、そこからディテールを考えていきました。自分の内面世界を森として表現して、そこに2匹の動物を描いています。黒い猫は闇を、白いウサギは光を表していますが、自分の中にある強さや弱さ、喜びや悩み、さらには世界の平和と戦争や幸福と不幸のような一般的な話まで、コントラストをこの2匹の動物に表現しました」

線や点の描き方、輪郭線を描いてからベタ塗りをする方法など、これまで各地で壁面ドローイングを行ってきた大岩の手法は、幼い頃に習得した技術をベースに確立したのだといいます。

大岩オスカール●1965年、ブラジル・サンパウロ生まれ。91年より東京を、2002年よりニューヨークを拠点に作品制作を続ける。今回は『大岩オスカール 夢みる世界』(2008年、東京都現代美術館)、『大岩オスカール』(2011年、ブラジル国立美術館)以来の大規模な美術館での個展となる。
1色のペンを使って手作業でドローイングを完成させるのは、「現代アートで忘れられてしまったような表現」にあえて挑むような意図もあるといいます。
細部に寄るとなるほど、「カケアミ」のようなマンガのテクニックが全体を彩っていることがわかります。

「サンパウロに住んでいた子どもの頃は、よくマンガを描いていました。父が手塚治虫の漫画が好きで『鉄腕アトム』や『ブラックジャック』が家にあったのと、ディズニーやマーベルのコミックもよく読んでいたので、そういうマンガをもとにしてインクと筆でモノクロの絵をよく描いていたんです。線の使い方やコントラストの出し方など、教室で習ったわけではなく、すべてマンガをまねしながら覚えました」

子どもの頃は兄弟と絵を描いたり、ものをつくったりして遊ぶのが好きだったという大岩さん。13歳の頃に地域の新聞社が主催する少年向けの絵のコンペに参加し、1等に選ばれたこともあります。

「そのコンペの賞品として、1年間無料で絵の学校に行ける機会がありました。毎週土曜日の朝、他のクラスメートは18歳とか19歳とかばかりで、自分には友達がひとりもできなかった。でも、絵は私が一番上手だったので、先生はいろいろと課題を出してきた。けれどもとにかく通うのが嫌で、絵の学校には絶対に行きたくないと思うようになりました」

壁面ドローイングを手がける時は、壁に寄ったり離れたりを繰り返し、全体のバランスを見ながら制作を進めます。

絵を描くことは変わらず好きで続けながらも、大学では建築を専攻しました。

「父が家を建てることになって、なにもない土地に家ができあがっていくのを見てすごく面白いと思ったのがきっかけです。学んだことの3分の1はエンジニアリングだったので、水や電気、温度に関するデータを分析したり、力の計算をしたり、建築を通して物事を分析することが学べました。それはすごくよかったですね」

その大学時代、3回にわたりサンパウロ ビエンナーレでアシスタントとして仕事をする機会がありました。日本人アーティストの作品の搬入などを手伝い、横尾忠則や川俣正、ドイツのアンゼルム・キーファーなどの展示を見ながら「自由に表現できる現代アートはカッコいい」と感じたといいます。




東京で始まり、イギリスで契機を得たアート活動。

『北千住』(2010) 「北千住に長年住んでいたんですが、そこの焼き鳥屋さんに今でも『昭和40年会(会田誠、松陰浩之、小沢剛ら、昭和40年生まれのアーティストの会)』の友だちと集まることがあります。自分の住んだ家や夏の焼き鳥屋のイメージなど、幾つものストーリーを1枚の絵に描きました」

「自分がこんなに旅行をすることになるとは想像もしていなかった」という大岩さんが、初めて日本に来たのは20歳の時。大学を卒業したらブラジルを離れて世界を見てみたいという思いがあり、またコロールという大統領の経済政策によって職探しが困難になったブラジルの情勢もあって、バブル期だった日本に行けばどうにかなると東京を目指しました。

「東京に住み始めたのは1991年、25歳の時です。建築事務所の仕事を見つけて、昼は建築の仕事をしながら夜と週末に絵を描く生活を始めました。小さな画廊で個展を開催しながら徐々にキャリアを積んで、30歳を過ぎる頃に美術館のグループ展から声がかかるようになったのが、地味なアート活動の始まりです」

画面左の『羊飼いの少女(ジャン=フランソワ・ミレー)』(2000)など、過去の名画を参照した作品から、美術学校に通わず美術史を学んだ大岩さんのアプローチが見て取れます。
『男木ハウス』(2016)シリーズより4点。瀬戸内芸術祭にも参加を続ける大岩さんの出品場所は男木島。

当時は東京の6畳のアパートでアクリル絵具で絵を描いていましたが、30歳で奨学金を得てイギリスで滞在制作をしたことをきっかけに、油絵を描くように。初めて住まいとアトリエを分けて生活を始めた頃で、さらにはイギリスでは古典絵画を見る機会も多く、時間をかけて大きな絵を完成させる油絵に惹かれていきました。

「大きな事件や小さな出来事が起きると、そこに自分はなにかを感じ、すべて自分にとってのインスピレーションになります。移動しながらでも自分の部屋にいても、入ってきた情報は頭の中でイメージが広がったりもするので、映画や本を探してそのテーマについて掘り下げます。その次のステップで、ビジュアルをネットで探したり、自分で写真を撮ったり、あとは足りない部分を自分でスケッチしてみたりしながらビジュアルを組み立てていきます。いろいろなイメージを組み合わせて、物語性のある絵をつくっていくわけです。それは日常の身近な話など個人的なテーマである場合もあれば、環境問題や国の問題など社会的なテーマの場合もある。それを自分の視点で絵にすることが、私の制作の方法です」


『ゴースト・シップ』(2014年)は、ハドソン川で見た港の廃墟からイメージを得て、「夜も動き続けて眠らずにどこに進んでいるのかわからない街」としてニューヨークを描いた作品です。
「第2章:まとまらないアメリカ」展示室にて。左から『希望』(2009年)、『美世界肉食公司』(2004年)、『ミート・マーケット(食べる)』(2005年)。

制作には、自分が受けた刺激やそこから生まれた感情をビジュアル的に翻訳して作品にする場合もあれば、筆のタッチや新しい色彩パターンを試す場合もあります。大岩さんは「最近は特に戦争や不景気をテーマにするよりも、光や自然を描いた明るい作品が多い」と語っていますが、初期の作品から見返しても、暗い色調に一縷の光が差しているなど、「光」が彼の作品において重要なエレメントとなってきたことは一貫していると言えるでしょう。

「コントラストが強い色使いをするのは、ブラジルで培われた色彩感覚だといえます。自分の作風は時間をかけて変わってきていると思いますが、『自分が生きるうえで目指したい光のイメージを絵に描けるか』というテーマは、長い間あまり変わっていない目的として、自分の中にあるのかもしれません」

LEDライト点灯時の『星座SP』(2018年) 人間の眼には昼間の強い光の下で色と形を認識する錐体細胞と、光が少ない時に高い感度で色なしで物の形を把握する桿体細胞があることを知った大岩さんは、桿体細胞も駆使して作品を鑑賞できる環境を実験的につくろうと試みました。

音楽家をゲストに迎えた展示空間。

「第4章:うまくいかない世の中」展示室にて。左『事故』(2013年)、右『見えない海』(2010年)など、不安を惹起するような作品が展示され、音楽家のチャド・キャノンによる交響曲が流れます。

大岩さんは2002年に東京を後にして、家族とともに生活拠点をニューヨークに移しました。東京ではアーティストとして安定した生活も見えていましたが、挑戦を続けたいという思いからの決断だったそう。ニューヨークでは1日のベストな時間を制作に充てるために、毎朝8時から夕方6時ぐらいまでアトリエで過ごし、夜7時には帰宅して家族で夕飯を食べるという規則正しい生活を送っています。「物価がすごく高くて住みにくい街だけど、本当の国際都市で、世界中からあらゆる人や物が集まってくる」ことに刺激を受けたと言います。


「大きな展覧会があると、ゲストアーティストとしてフォトグラファーなどに参加してもらうこともありますが、今回の展示では、チャド・キャノンという音楽家による楽曲を展示室に流しています。彼はハリウッド映画のサウンドをつくったりする作曲家なんですが、もっと自分の作品もつくりたいということで、私の絵を10点選び、そのインスピレーションを音楽で表現したいと相談してきました。興味深い提案だったので了解したら、壮大な交響曲を10曲つくり、フルオーケストラにコーラスと300人ぐらいでコンサートを実現したんです。すごいクオリティです。彼はロサンゼルスで30〜40人のオーケストラメンバーを集めてレコーディングもしたので、今回はその10作品のうちの3曲を『第4章:うまくいかない世の中』という展示室で流しています」

展覧会初日には、作曲を手がけたチャド・キャノンさんと大岩さんのトークショーを開催。「大岩さんの『見えない海』には、命の象徴を表現するような音をつけたいと思いました。深いところからリズムとなって命が生まれてくるような音楽です」と、流暢な日本語で話すキャノンさん。

これまでに大岩さんは、サイズが大きく、それも人物がほとんど出てこないような絵画を数多く手がけてきました。その背景には、「鑑賞者が画面に入るようにして、作品に描かれた世界を体験してほしい」という考えがあります。実際に作品を前にすると、描かれた光に包まれるような、森の湿度や海の潮風の匂いを感じられるような「体感型」の絵画作品だということが感じられます。今回のチャド・キャノンさんとのコラボレーションが実現した『第4章:うまくいかない世の中』の展示室では、地球上の深刻な問題を突きつけるように、あるいはその先に見えるかもしれない穏やかな世界への希望を感じさせるように音楽が絵画と結びつき、感情を強く揺さぶります。

「第4章:うまくいかない世の中」に展示された『ライト・ファクトリー』(2010年)。

「アーティストはいつの時代も、その時代の現実を感じながら表現を行なっています。私の場合はビジュアル・アーティストとしてそれをやっていて、チャドはそれを音楽で行なっている。作家だったら文を書くでしょうし、映画をつくる人もいます。人間が人間をどう思っているか、人間が地球をどう思っているか、それをなにかの形で表現しているわけです。私はそれを、アーティストの社会における役割なんじゃないかと考えています」

描き下ろしの壁面ドローイングや展覧会に向けた新作を含む近作を中心に、6章立てで構成した大規模な個展。大岩オスカールさんのアーティストとしての気概を感じるとともに、展示を見終えるころには、作品に描かれた光が自分の胸に入ってきたような温かい感情が生まれているかもしれません。

展覧会のメインビジュアルには、最新作のひとつである『光をめざす旅』を採用。

『大岩オスカール 光をめざす旅』

開催期間:2019年4月27日(土)〜8月25日(日)
開催場所:金沢21世紀美術館
石川県金沢市広坂1-2-1
開場時間:10時~18時(金、土は20時まで)
休館日:月(祝日の場合は翌平日)、5月7日、7月16日
入館料:一般 ¥1,200(税込)
http://kanazawa21.jp/