横浜美術館で3月24日まで開催されている詩人・最果タヒさんの個展が、SNSで話題になっています。最果さんにとって、美術館で個展を行うのは今回が初。彼女は自らの詩をどのように捉え、表現しているのでしょうか。会場でのインタビューを通して探ります。
『氷になる直前の、氷点下の水は、
蝶になる直前の、さなぎの中は、
詩になる直前の、横浜美術館は。
――最果タヒ 詩の展示』
タイトルまでもがそんな詩になっている最果(さいはて)タヒさんの初個展が、横浜美術館で開催中です。アートギャラリー1、美術情報センター、Café小倉山という館内の3つのスペースで展示されているのは、もちろん彼女の詩。それぞれに見せ方も異なり、自由に言葉に出合える空間がそこにはあります。
「詩を読むには本という最適なものがあるのに、あえて美術館で詩を展示する意味や価値を考えなきゃと思いました。展示作品としてクリエイティブなもの。そうして、モビールというアイデアが出てきました」
そう語る最果さんの言葉を交えながら、展覧会を楽しんでみましょう。
読んだ人がなにかを感じて、詩が完成する。
メイン会場のアートギャラリー1に足を踏み入れると、視界を埋め尽くすのは白と黒の紙。約65個のモビールに吊り下げられた紙は300枚以上もあります。それらの表と裏に記されている言葉は、すべて最果さんの詩の断片です。
「しにたいような、消えたいような、」
「わたしは、美しくなりたいけれど。」
「苛立ちが混ざっていてもいいと思った。」
あちらを向いてもこちらを向いても言葉が目に入り、気がつくと夢中になって読んでいます。
「詩集を読む時、書かれている通りに読むしかないと思い込んでいる人も多いんです。誰もが自分の想いを交えながら読んでいるはずなのに、読むという行為を受け身なものとして捉えてしまう。読む人が無自覚でいた『読む』ことの自由さを、今回の展示では際立たせようと思いました」
ここは詩を、詩とは意識せずに読むことができる空間です。どの言葉と出合うかは偶然によるからこそ、自分の心が動く言葉や、その瞬間に気付きます。
この展覧会では、詩を読むという行為そのものが主役です。楽しくなったり、ドキッとしたり、訪れた人の中にはたくさんの感情が積み重なっていきます。「詩は、読んだ人がなにかを感じることで完成すると思っています」と最果さん。
「氷になる直前の、氷点下の水は、
蝶になる直前の、さなぎの中は、
詩になる直前の、横浜美術館は。」
展覧会のタイトルでもあるこの詩からも、最果さんの想いが読み取れます。
「私が書いているのは、詩になる直前の別のなにか。iPhoneでアプリのアイコンを長押しすると、アイコンが震えますよね。私が書く詩はそんなイメージ。この震えが止まるのは、誰かが読んだ瞬間です。会場にある言葉たちも、すべて詩になる直前のもの。そこに誰かの読むという行為が加わって、初めて詩として完成するんです」
しかし、こんなにも大胆に自分の詩をバラバラに解体し、解釈を読み手に委ねるのは、詩人としてとても勇気のいる試みのようにも思えます。期待した反応が、読み手から得られるとは限りません。
「いまの時代、一方通行的な発信はとても古い感覚のように思えるんです。インターネットはなにかを発信するとすぐに反応があって、どんな人がどう受け止めているかがわかります。受け止め方はそれぞれ違うし、そこから新たに生まれるものもあるから、発信する人と受け取る人との境界がほとんどない状態です。だから私は、自分が最初の発信者であることにあまり価値がないと思っています」
モビールに吊り下げられた紙片は、静かに揺れ動きます。表と裏には違う言葉が記されているから、同じ場所に立っても同じ言葉が目に留まるとは限りません。言葉と言葉の組み合わせは変わっていきます。いま、ここでそれらを切り取るのは自分だけです。
自由に目を泳がせて心に引っかかる言葉と出合ったら、カメラを向けたくなることも。「ある言葉を選んで撮った写真は、その人がいたからこそ生まれた作品と言えます」と最果さん。このスペースでは、撮影もSNSへの投稿も自由です。
本の背表紙を追っていると、突然詩が始まるという体験。
蔵書が約11万冊ある館内の美術情報センターも、展示会場のひとつです。ここでは、書棚の一部をジャック。会場内の3カ所に、背表紙、つまり本のタイトル部分に最果さんの詩が1行ずつ書かれた本が並んでいます。背表紙を追っていると不意に詩が始まり、それを順に読んでいくと一篇の作品になっているのです。
それはどこにあるのでしょうか。書棚に並ぶ本の背表紙を追いながら探すのも、ユニークな体験です。詩を見つけるという行為はこの空間でしかできません。こうした展示のあり方にも、最果さんらしさが感じられます。
展覧会の展示デザインを手がけたのは、最果さんのこれまでの詩集をはじめ数々の企画でタッグを組んだ佐々木俊さん。
「私の頭の中にあったモビールや背表紙といったふわふわとしたアイデアが、佐々木さんのデザインによってダイナミックな存在に生まれ変わりました。佐々木さんのデザインは詩の呼吸を大きなリズムに変えてくれるようで、いつも驚かされます。文字の大きさやフォントなどのデザインによって、詩の読み心地も全然違ってくるんです」
誤解されることも、詩を書く大事な要素になる。
カフェスペースのCafé小倉山では、テーブル10卓に小さなモビールを設置しました。椅子に座ってほっとひと息つく場に、すんなりと詩が溶け込んでいます。ここでは、コーヒーを飲みながら、なんとなく目にした詩に心を奪われることがあるかもしれません。詩集を開いて読むという行為はどこか改まった気持ちを伴いますが、これならもっと自然に詩と出合えます。
カフェの壁に投影されるのは、デジタル時計のような詩の時計『いまなん詩゛?』。3つの文節に区切られた言葉が、時間の経過とともに入れ替わっていきます。目の前でパタパタと言葉が変化する様に、最初は慣れることができません。「あれ?」と思っているうちに言葉は次々と入れ替わり、メッセージはガラリと変化するのです。ここでも最果さんの詩は、時間によって解体されていきます。
「言葉には誤解がつきもの。日常の会話も9割は誤解で成り立っていると思っています。お互い誤解し合いながらもうまく話せたという雰囲気だけを味わっていて、あとで、この前話したことを相手は全然わかってなかったのかと気づくけれど突っ込めない。そんなことってよくありませんか?詩を書いていると、そういう誤解も言葉の大事な要素なのだと思えるんです。自分の書いたものを、正しく読み取ってほしいと思うことはありません。読み手にも人生があって、それぞれの思いとともに言葉に向き合っているから」
誤解も含めて、言葉の受け止め方を読み手に委ねる最果さんだからこそ、あらゆる解釈を生む言葉をこんなにも自由に扱えるのです。
「美術館というのは、アナログの極みみたいな場所」と最果さんは言います。
「デジタルでコピー&ペーストが自在にできる時代に、世界に一枚しかない絵を鑑賞するために、わざわざそこまで足を運びますよね。だから私もこの展示では、そこに立つことで成立するなにかをつくりたいと思いました」
でも、それは簡単なことではありません。詩を書くこと、それを詩集にまとめることとはまるで違った作業です。
「最初に展覧会のお話をいただいた時、やばいもんきた、と思いました。やりたい、でも怖い。だけど、そんな気持ちになった時ほど逃げないことを大事にしているんです。今回のような企画をいただくと、“プロジェクト最果タヒ”みたいになるんです。プロデューサーとしての自分が、客観的に状況を判断しながら物事を進めていく。今回は、私がこれまでやってきたことを、美術館という場に適した形にアップデートさせる感じでした。そうすることでちょっとした修行感もあって、自分の世界が広がっていく。結果的に言葉もさらに自由になる気がして面白いんです」
3つのスペースで、さまざまな詩との出合いを楽しむことができる最果さんの展覧会。ぜひ横浜美術館に足を運んで、詩が完成する瞬間を味わってみて下さい。
『氷になる直前の、氷点下の水は、
蝶になる直前の、さなぎの中は、
詩になる直前の、横浜美術館は。
ーー最果タヒ 詩の展示』
開催期間:2019年2月23日(土)~2019年3月24日(日)
開催場所:横浜美術館 アートギャラリー1 / Café 小倉山 / 美術情報センター
神奈川県横浜市西区みなとみらい3-4-1
TEL:045-221-0300
開館時間:11時~18時(3/2は20時30分まで) ※Café 小倉山は10時45分から
休館日:木(3/21は開館)、3/22
入場料:無料
https://yokohama.art.museum