バロックの時代を彩った巨人ルーベンス、その足跡をアントワープでたどる。【前編】

  • 写真:井田純代
  • 文:青野尚子

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2018年10月16日から国立西洋美術館で『ルーベンス展─バロックの誕生』展が開催されます。17世紀のアントワープを舞台に、数多くの作品を世に送り出したルーベンス。ゆかりの古都に遺された足跡をたどりながら、彼の偉業に迫ります。

『キリスト降架』。アントワープの中心、聖母大聖堂の祭壇を飾る、ルーベンスの代表作のひとつ。

数多くの作品を残した画家であり、4カ国語を操り外交官としても活躍したピーテル・パウル・ルーベンス。「王の画家であり、画家の王」とも呼ばれた彼は、当時の北ヨーロッパ画壇に君臨した、バロックを代表する画家の一人です。「バロック」とはルネサンスに続いて起きた絵画や彫刻のスタイルの一つですが、ポルトガル語で「歪んだ真珠」を現す「バロッコ」という言葉からきたもの。当初はあまりよい意味ではなく、「盛りすぎ」ぐらいのニュアンスでした。人体の筋肉や動き、明暗を強調したドラマチックな画面が特徴で、どちらかというと装飾過剰なところもバロックの典型的な傾向です。
2018年10月16日から、東京の国立西洋美術館で開催されているのが、『ルーベンス展──バロックの誕生』。その開催に先がけて、バロックの時代を拓いた巨匠ルーベンスの足跡を探しベルギーのアントワープを訪れました。


激動のヨーロッパを彩った、バロックという美意識。

『キリスト昇架』(部分)。ドラマティックな陰影、隆々とした肉体にバロック的な表現が現れています。

バロックの絵画でよく画題に選ばれたのは「メメント・モリ」、死を想えというもの。骸骨など直接的に死を連想させるもののほか、枯れかけた花や楽器などで人はいずれ滅びるといった教えを現します。また「カルペ・ディエム」、日々の果実を摘めとも言われました。現世で得られるものを最大限に楽しめ、といった意味でしょうか。激動の世を生きる人々の心持ちが伝わってきます。

1577年6月28日に生まれたルーベンスが生きた時代は複雑です。当時のヨーロッパはいくつかの王国に分かれて攻めたり攻め込まれたりする、ちょっとした戦国時代でした。またルターの宗教改革から半世紀あまり、ヨーロッパを支配していたキリスト教はカトリックとプロテスタントに分かれて対立します。イスラム教徒やユダヤ教徒も勢力を誇示しており、ルーベンスを始めとする画家や市民はそれらの勢力争いによって大きく影響を受けました。

生涯の大半をアントワープで過ごした彼ですが、生まれたのは現在のドイツです。彼の父母はもともとアントワープに住んでいましたが、カトリックとプロテスタントとの間の争いを避け、ドイツに移り住んでいたのでした。その後、父が亡くなったのを機に母子でアントワープに戻ります。まだ宗教戦争は続いており、社会的には安定しない状況の中、ルーベンスは工房で修業して画家となります。

21歳の時、アントワープを離れてイタリア・マントヴァに移り、貴族に仕えて多くの絵画を制作します。1608年、短期滞在のつもりで母を訪ねてアントワープに戻りました。が、すでに画家として有名になっていた彼にカトリック教会が絵画の制作を依頼します。イタリアは当時の美術の中心であり、イタリア帰りのルーベンスは最先端の動向を知るものとして重用されたのです。次々と舞い込む注文に応えるためルーベンスは結局、1640年に没するまでアントワープにとどまることになりました。

ルーベンスが活躍する少し前のアントワープは、交易によりヨーロッパでも一、二を争う豊かな国際都市でした。カトリック、プロテスタント、ユダヤ教、イスラム教など宗教を問わず、富をもたらすのであれば誰でも受け入れる開放性もありました。ところがフェリペ2世率いるスペインがアントワープを支配下に置き、カトリックを押しつけようとします。自由を謳歌していたアントワープ市民は締め付けを嫌ってアムステルダムやドイツに逃げていきました。その結果、17世紀オランダは繁栄し、黄金時代を迎えることになります。

ルーベンスの時代にはアントワープは経済危機に陥っていたにもかかわらず、アート・ビジネスは活況を呈していました。理由の一つはカトリック教会が信者を獲得しようと繁栄を装っていたこと。ルーベンスに注文が相次いだのは教会を彼の大作で飾ってプロテスタントに対抗し、力を誇示しようとする思惑も働いていたのです。

聖母大聖堂で、代表的な3つの祭壇画に出会う。

アントワープの中心に立つ聖母大聖堂。ベルギー最大のゴシック建築です。
聖母大聖堂前にある「フランダースの犬」、ネロとパトラッシュの彫像。石畳の布団をかけてもらってます。

ルーベンスに祭壇画を依頼した教会の一つが、アントワープでももっとも大きな聖堂の一つ、聖母大聖堂です。日本ではアニメ「フランダースの犬」のラストシーンに登場した場所として知られているこの教会は、アントワープでルーベンスの足跡をたどる際、まず訪れるべき場所と言えます。

聖母大聖堂の内部。中央の説教壇の奥に『聖母被昇天』が見えます。
代表作のひとつ『聖母被昇天』。聖母の真下、赤い衣の女性のモデルがルーベンスの妻と言われています。

ここでは巨大な祭壇画が3つ、訪れた人を迎えます。中央、説教壇の後ろにあるのは『聖母被昇天』。聖母マリアが天使に支えられて天に昇って行くところを地上で人々が見上げています。面白いのは絵の上部で浮き彫りになった神とイエスが聖母のために冠を持って待っていること。中央には鳩の姿をとった精霊から光が放射されています。絵と、その上の彫刻が一体化しているのです。

ルーベンスがこの絵を描いていたとき、アントワープではペストが流行していました。当時は死を意味した病気を避けてルーベンスはいったん、市外へと逃れます。が、この絵の納期が迫っていたため、戻ってきて制作を続けました。そうしているうちに友人だけでなく、妻もペストで世を去ってしまいます。ルーベンスの嘆きは一際深いものだったらしく、悲しみを訴える手紙が残っています。この絵でも中央、こちらを向いてうつむく赤い女性の姿には妻の面影が投影されている、との説も。

ルーベンスは妻の死後、寂しさをまぎらわすためか外交官の仕事に打ち込みます。各国を飛び回っていれば思い出の詰まった家にいなくても済む、と思ったのかもしれません。スペインやイギリスの国王と交渉し、その仕事ぶりが評価されたのか、両国から貴族の称号を贈られるほどでした。妻を失ったとき彼は49歳。53歳のときに友人に「再婚したい」という手紙を出し、16歳の女性と結婚します。そして63歳で没するまでに5人の子を得ました。

聖母大聖堂の内部。奥にルーベンスの『キリスト昇架』が見えます。

この祭壇に向かって左側に『キリスト昇架』があります。これはもともと、別の教会の依頼で描かれたものですが、1800年代初めにこの聖母大聖堂に移されました。三幅対の中央にはイバラの冠を頭に載せ、十字架に磔にされたイエスを屈強な男たちが抱え上げる場面が描かれ、左側には嘆き悲しむ女性たちが、右には一緒に刑に処される罪人たちを十字架に磔にするローマ軍の兵士たちが描かれています。体を大きくのけ反らせる女性にしがみつく幼児、目を見開いてイエスを見つめる老婆、十字架の重みを受け止めようと全身に力をみなぎらせる男たち。荒々しい肉体の描写に磔刑というドラマを巡る人々の激しい感情が渦を巻いています。

三幅の『キリスト昇架』

この絵では左側の暗い空が右側の青い空と対比されています。が、右の青空でも黒い月がオレンジ色の太陽を覆い隠そうとしています。聖書には「イエスが十字架につけられたとき、空が暗くなった」と書かれているのですが、これは日食の記述だろうとされています。

各パネルの構図にも注目してみてください。中央は左上から右下に、右パネルでは右上から一度左にカーブしてまた右下に、左パネルでは右上から左下に直線的に降りてくるラインをひくことができます。こうして中央のイエスに視線を集中させているのです。

なお、「フランダースの犬」のネロが最後に見たのはこの絵だとされています。イギリスの女流作家、ウィーダの原作には「イバラの冠をかぶったイエス」と書かれており、もうひとつの『キリスト降架』ではイバラの冠は下に置かれているからです。

『キリスト降架』。下の人々から絵の大きさがわかります。
『キリスト降架』の左パネル裏側。この屈強な男性が「聖クリストフォロス」です。

その『キリスト降架』は『聖母被昇天』の左側にあります。こちらも三幅対ですが、ここではまず左パネルの裏側を見てみましょう。子供を背負っている屈強な男性は聖クリストフォロスという聖人です。彼は子供に頼まれてその子を担いで川を渡り始めたのですが、途中でどんどん重くなっていくのに気付きます。子供は聖クリストフォロスに「あなたは今、世界を背負っているのだ」と告げます。そこで彼は、自分が背負っているのは救世主であることに気づくのでした。聖クリストフォロスはアントワープのギルド(職業別組合)の守護聖人でもあります。

『キリスト降架』中央パネル部分。左右に大きく広げたイエスの手が構図の中心になっています。

表側の中央パネルでは人々が十字架からイエスを降ろしているところです。青白い体に血がしたたる、苛烈なリアリズムが見るものの心をうちます。イエスの体を降ろすために用意された白い布がイエスの体だけを暗い背景から浮き上がらせます。絵の中で一際目立つ赤い衣を着てイエスの体を受け止めているのは福音記者ヨハネ。ここでもその布や体を支える人々の姿が群像劇の一コマのようにドラマティックに表現されます。

『キリスト降架』左パネル部分。イエスを宿した聖母マリアが描かれます。
『キリスト降架』右パネル部分。お宮参りのシーン。

左右のパネルにはこの悲劇に先立って起こった、もっと平和なシーンが描かれています。左は聖母マリアが従兄弟のエリザベツを訪ねる、「ご訪問」と呼ばれる場面です。マリアのお腹にはイエスが、エリザベツのお腹には後にイエスに洗礼を授けるヨハネが宿っています。右パネルはいわゆる「お宮参り」のシーン。ユダヤ教では生後40日を迎えると教会に行く慣習がありました。赤ん坊のイエスを抱える司祭は彼が救世主であることを悟って、上を見上げています。「ご訪問」でもマリアもエリザベツもお腹にいるのは救世主であることを知っています。

この4つの絵に共通するのはすべて、誰かがイエスを支えている場面だということ。聖クリストフォロス、聖母マリア、福音記者ヨハネ、司祭らがそれぞれに救世主を抱えています。現在では絵を見せるためにパネルは開いたままにされていますが、本来は閉じてあって聖クリストフォロスが見えるようになっています。この聖クリストフォロスが、中のパネルに何が描かれているかを予告しているのです。日本の展覧会では、これらの巨大な祭壇画を4K映像で再現したコーナーも設置されます。実際の教会では絵まで少し距離がありますが、こちらでは間近に見ることができるのも楽しみです。高精細な大画面からは、筆をとるルーベンスの息づかいまで聞こえてきそうです。

ルーベンス好みが表れた、イタリア様式の教会。

『聖母被昇天』の模写が置かれた、カルロス・ボロメウス教会。
カルロス・ボロメウス教会の鐘楼。フロアごとに異なるスタイルのファサードが積み上がっています。
カルロス・ボロメウス教会鐘楼の天使像。

前述したとおり、イタリア帰りのルーベンスは最新のトレンドを身につけた画家として引っ張りだこでした。また当時は画家にもよりますが、絵画だけでなく彫刻や建築などを手がけることもよくありました。カルロス・ボロメウス教会の鐘楼は、ルーベンスがデザインしたもの。3層に分かれていますが、その1フロアごとにイタリアのいくつかの教会のデザインを組み合わせています。1階のファサードで十字架や碇を持つ天使のぷくぷくした体つきはいかにもルーベンス好みのものです。

カルロス・ボロメウス教会。鐘楼と反対側にある外観。
「カルロス・ボロメウス教会」、「IHS」の紋章の周囲はルーベンスのデザイン。

鐘楼の反対側の外壁につけられた、IHSの文字を組み合わせたイエズス会のシンボルマークのまわりの装飾もルーベンスがデザインしたもの。花や果物をたっぷりと“盛る”のは典型的なバロックの造形です。

ルーベンス作品を模写した『聖母被昇天』。

教会の内部には裕福なシスターたちが寄進した礼拝堂があります。ここに飾られている『聖母被昇天』はルーベンスの絵を19世紀に模写したもの。オリジナルはウィーン美術史美術館に収蔵されています。この絵の準備素描(スケッチ)を見ると、ルーベンスがヴェネチアで見たティツィアーノやティントレットの絵を参照していることがわかります。絵の上にはこちらも彫像の神が天使に囲まれて、絵の中の聖母マリアに手を伸ばしています。この絵の下にあるオルター(大きな祭壇画の下に描かれる小さな絵)はアンソニー・ヴァン・ダイクの弟子によるもの。この教会は火災に遭い、多くの絵画が失われてしまいましたが、ルーベンスやヴァン・ダイクらそうそうたる画家たちが競って内部を飾っていました。

ルーベンス『エジプト逃避行の聖家族』。この画題ではよく、彼らが乗ったロバも登場しますが、この絵では聖家族三人と神のみが描かれます。

もうひとつの祭壇画『エジプト逃避行の聖家族』は一時、行方不明になっていましたが、240年ぶりにこの教会に戻ってきたルーベンス作品です。修復を終えて最近、公開されました。この絵は、救世主が生まれたことを知ったヘロデ王が王座を奪われるのを恐れて、2歳以下の幼児をすべて殺せと命令したため、エジプトに逃れるイエスと聖母マリア、父ヨセフの姿を描いたものです。上部では天から神が見守っています。


ムチ打たれたキリストと、聖母子像を収めた「聖パウロ教会」。

聖パウロ教会の門。街中に突然、こういう建物が現れる風景は、日本人である私たちにはあまりなじみのないものです。
聖パウロ教会内部。外部はゴシック形式、内部はバロック形式となっています。
聖パウロ教会の内部に飾られた『聖マリアとキリストの生涯』。複数の画家が聖母子の物語を描きます。

聖パウロ教会は、ドメニコ会修道院の教会として建築が始まったもの。ここに入るとまず目に入るのが祭壇に向かって左の壁の上部にずらっと並んだ『聖母マリアとキリストの生涯』。マリアとイエスの生涯から選んだ物語が30枚ほどの絵に描かれています。ルーベンスが担当したのはこのうちの『キリストの笞打ち』。十字架につけるために逮捕したイエスを笞で打つ場面です。笞を構えた男の盛り上がる筋肉の描写はルーベンスならではのものです。

ルーベンス『キリストの笞打ち』。イエスの背中は打たれて赤くなっています。
ルーベンス『聖母子像』部分。イエスから放たれる光が聖母マリアや周囲の人々を照らします。
ルーベンス『聖体の論議』。カトリック対プロテスタントの議論を描きます。

この教会では他に、ルーベンスは聖母子像を描いています。ちょっと面白いのが『聖体の論議』。右側にプロテスタント、左側にカトリックの僧侶たちが集まって、中央にある白いパン(聖体、ホスティアス)をイエスの肉体と信じるか否かを議論しているのです。聖書の解釈を巡って対立していたカトリックとプロテスタントのやりとりが描かれた、興味深い一枚です。

聖パウロ教会の外壁にある彫刻。

この教会の外壁にはルーベンスの作ではないのですが、面白い彫刻が彫られています。上からイエスの磔刑、ピエタ(イエスの亡骸を抱いて嘆く聖母マリア)、埋葬のシーンが現されているのです。崩れかけた洞窟のような表現はイエスの時代のエルサレムの荒野を模したもの。当時はイエスの墓があるエルサレムまで巡礼に行くことが流行していましたが、もちろん誰もが行けるわけではありません。そこでここに彫刻でエルサレムを再現し、遠くまで行かなくても“巡礼”できるようにしたのです。日本でも富士信仰が盛んだった時代に、各地にミニ富士山である「富士塚」が造られたのと似ているかもしれません

さて、ルーベンスの足跡を巡る旅はまだ続きます。次回は「ルーベンス」の家をはじめ、アントワープで彼の暮らしのあとを辿ります。

2018年10月22日公開の【後編】へ続く

『ルーベンス展─バロックの誕生』

開催期間:2018年10月16日(火)〜 2019年1月20日(日)
開催場所:国立西洋美術館
東京都台東区上野公園7-7
TEL:03-5777-8600(ハローダイヤル)
開館時間:9時30分〜17時30分(11/17をのぞく金曜、土曜は20時まで。)※いずれも入館は閉館30分前まで
休館日:月曜日(ただし12/24、1/14は開館)、12/28〜1/1、1/15
入場料:一般¥1,600(税込)
www.tbs.co.jp/rubens2018

バロックの時代を彩った巨人ルーベンス、その足跡をアントワープでたどる。【前編】

  • 写真:井田純代
  • 文:青野尚子

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