週末の展覧会ノート 08:水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催されている、山口晃の個展が面白い。ユーモラスで親しみやすい一方、どこか不可思議な「山口ワールド」をひと足先に体験してきました。
不思議な仕掛けは、展覧会のタイトルから。
山口晃は1969年東京都出身。東京藝術大学では油彩画を学んでいますが、一見、日本画のような作品を多く手がけています。輪郭をきちんととり、胡粉と膠で描いたような画面は古き良き時代の風景が描かれているのかと思うと、よく見ると馬の形のバイクだったり、サイボーグのような武士だったり、洋服を着た人と和服の人とが交ざり合っていたりと、時代を超えた奇妙な風景です。技法も日本画ではなく、油彩です。今回の個展のタイトルは浅井さんにとっても謎だそう。「僕なりの解釈ですが」という前置きつきで教えてくれました。
「前に行くときも一歩引いてみる、下を見るときも上から見るだけでなく、下からも仰いで見られていることを考えてみては…ということかと思いましたが」。
人によってそれぞれ違う解釈があるので、そのどれもが正解ということなのかもしれません。
「前に行くときも一歩引いてみる、下を見るときも上から見るだけでなく、下からも仰いで見られていることを考えてみては…ということかと思いましたが」。
人によってそれぞれ違う解釈があるので、そのどれもが正解ということなのかもしれません。
水戸芸術館の現代美術ギャラリーは細長い展示空間が特徴です。入り口を入ると、なぜかそこには空港などでよく見かける仕切りが立てられていて、絵がかけてある壁に近づけません。釈然としないまま先へ進むと小さなドアが。ドアが開閉することでまっすぐ進むルートと、それに交差するルートができます。交差するルートは一度奥まで行ってから、帰りに通ることになります。近づきたくても近づけない絵はそのときにようやく、近くで見ることができます。絵を見る角度や距離がコントロールされていて、もどかしさを感じます。そのもどかしい感じも含めて、展覧会のコンセプトになっているのです。
先へ進むと謎の機械がいっぱい取り付けられ、電線が何本も延びた電信柱が一部屋を占めています。これは山口さんによると「柱華道」という芸術のひとつなのだそう。電信柱は街の美観を損ねる醜いものとされていますが、それを逆手にとったアートです。壁にはいけばなのように、変圧器や碍子を配置する際の決まりごとが解説されています。
「この展示室は自然光が入るので、夕方になると電線から壁に影が落ちて、まるで壁に筆で描いたように見えるんです。一方の壁には実際に電柱と電線の絵が描かれています。三次元と二次元を行き来するインスタレーションです」と浅井さん。
「この展示室は自然光が入るので、夕方になると電線から壁に影が落ちて、まるで壁に筆で描いたように見えるんです。一方の壁には実際に電柱と電線の絵が描かれています。三次元と二次元を行き来するインスタレーションです」と浅井さん。
日本と西洋、ふたつの文化の狭間で。
細長い現代美術ギャラリーの一番奥にあるこの展示室には「紙ツイッター」や「食日記」が展示されています。「紙ツイッター」は文字通り、紙に書いたツイッター。アイコンも手描きです。フォロワーは1名とのこと。「食日記」は文字通り、日々食べたものを絵日記にしたものです。「日々のてならし 夫婦善哉」と名付けたシリーズは絵を描く前のウォーミングアップのようなスケッチです。
「制作にかかる前の準備体操のようなものですね。北斎もこういったスケッチのようなものを残しています。山口さんの頭の中にあるけれどまだ作品になっていないもの、あるいは作品にならずに消えてしまったものなどが見られます」
上段、下の写真の不思議な隙間は、奥のほうに座って下をのぞき込むと“下を仰ぐ”が実感できる装置です。どうなっているのかは、会場で実際に確かめてみてください。
「制作にかかる前の準備体操のようなものですね。北斎もこういったスケッチのようなものを残しています。山口さんの頭の中にあるけれどまだ作品になっていないもの、あるいは作品にならずに消えてしまったものなどが見られます」
上段、下の写真の不思議な隙間は、奥のほうに座って下をのぞき込むと“下を仰ぐ”が実感できる装置です。どうなっているのかは、会場で実際に確かめてみてください。
展覧会タイトルと同じ「前に下がる 下を仰ぐ」という題のついた絵には、パレットを手にした山口さん自身が描かれています。彼は合わせ鏡の間にいるようで、後ろ側には鏡像が描かれています。絵の中には電柱と電線や鳥瞰図のような街の風景、馬とバイクが合体したものなど、山口さんの絵にたびたび登場するモチーフが描き込まれています。
「山口さんは片足に靴を、もう片足に下駄を履いています。日本と西洋、二つの文化の間で“股裂き”になっているような、山口さんらしい絵だと思います」
明治維新によって欧米の文化がそれまでとは比べものにならない勢いで流入するようになった際、西洋の多くの美術や哲学用語が翻訳され、西洋の概念が翻案されました。美術の分野でもそれまでの日本の襖絵などとは違う、透視図法などを駆使して現実をありのままに写そうとする西洋絵画の概念が輸入されます。山口さんが学んだ東京藝術大学は明治期に、西洋絵画を教えるべく設立された学校でもあります。山口さんの絵には連続的に発展したのではない、複雑な日本の美術史が凝縮されているようです。
「山口さんは片足に靴を、もう片足に下駄を履いています。日本と西洋、二つの文化の間で“股裂き”になっているような、山口さんらしい絵だと思います」
明治維新によって欧米の文化がそれまでとは比べものにならない勢いで流入するようになった際、西洋の多くの美術や哲学用語が翻訳され、西洋の概念が翻案されました。美術の分野でもそれまでの日本の襖絵などとは違う、透視図法などを駆使して現実をありのままに写そうとする西洋絵画の概念が輸入されます。山口さんが学んだ東京藝術大学は明治期に、西洋絵画を教えるべく設立された学校でもあります。山口さんの絵には連続的に発展したのではない、複雑な日本の美術史が凝縮されているようです。
水戸芸術館のシンボルになっているタワーは三重螺旋で形作られたもの。映像ではこのタワーを下から上へと映し出していきます。その左側にあるモニターにはいろいろな部屋を横から撮った映像が。部屋の映像も下から上へと移動するカメラで撮られていて、まるで高層住宅の断面図のようです。もちろん映像はまったく別の建物の部屋を合成したもので、ごく普通のお宅です。水戸芸術館のきらめくタワーと、見ている私たちも「あるある」と思ってしまう日常的な風景との妙なマッチングが楽しい作品です。
あちこちに、潜んだ仕掛け。
こうして、行きとは違う仕切りやドアを通って最初の展示室に戻るとようやく、壁の絵に近づけるようになります。ここにはおもに大型の絵画作品が飾られています。ときどき絵にバーが取り付けられていたり、絵の周りに長さの違う木材が取り付けられていたり、2枚の絵の間の壁にそれらをつなぐような文様が描かれていたりします。それらに機能や意味があるのかどうか、それもよくわかりません。
日本美術の先達から“本歌取り”した作品もあります。「本歌 西本願寺 襖絵」とある絵は白一色に見えますが、光の加減でうっすらと絵柄が浮かび上がります。もう一つの「本歌 雲谷等顔」とある作品は勢いのある筆で描いた太い線で構成された作品です。ともに油彩画で描かれていて、あえて「オイル オン カンヴァス」、“油彩画”という意味のタイトルがつけられています。
絵の中には一度発表されて、また描き足されたものもあるとのこと。実は今回の展覧会が始まってからも少しずつ、加筆されている作品もあるのだそう。“完成”という概念がどこにあるのか、そもそもアートは完成していなければならないものなのか。私たちが常識だと考えていることを「それって本当にそうなの?」と言われてそういえば、と思う、そんな感覚を思い起こさせます。
日本美術の先達から“本歌取り”した作品もあります。「本歌 西本願寺 襖絵」とある絵は白一色に見えますが、光の加減でうっすらと絵柄が浮かび上がります。もう一つの「本歌 雲谷等顔」とある作品は勢いのある筆で描いた太い線で構成された作品です。ともに油彩画で描かれていて、あえて「オイル オン カンヴァス」、“油彩画”という意味のタイトルがつけられています。
絵の中には一度発表されて、また描き足されたものもあるとのこと。実は今回の展覧会が始まってからも少しずつ、加筆されている作品もあるのだそう。“完成”という概念がどこにあるのか、そもそもアートは完成していなければならないものなのか。私たちが常識だと考えていることを「それって本当にそうなの?」と言われてそういえば、と思う、そんな感覚を思い起こさせます。
水戸芸術館の現代美術ギャラリーには回廊のような細長いスペースがあります。山口さんが今回、このスペースに展示したのは「無残ノ介」というシリーズ。あまりの切れ味に自重で鞘を切って地面にめり込み、さらには持つ人を狂わせるという刀をめぐる物語です。面白いのはさまざまな技法による絵で一つのストーリーをつくっていること。カラーもモノクロも混ざっています。途中に4枚ほど、真っ黒な画面の絵もあります。これは、このあと描き足されていくことでストーリーが前後つながるようになるのだそう。はたして会期中に完成するのかどうかも気になります。
自在な構成で、空間を活かしたインスタレーション
会場の終盤にある「Tokio山水(東京圖2012)」は、東京を鳥瞰図の技法で描いたもの。現代の「洛中洛外図」のような趣です。2012年に銀座のメゾン エルメスで発表された際は会期が始まるまでに完成せず、会場でも描いていました。今回はこれで完成とのことですが、よく見ると下描きのような部分もあります。絵には現代の建物と昔の風景とが入り交じっています。高層ビルかと思いきや、和風の瓦屋根が載っているヘンな建物も。時空がモザイクのように組み合わされています。
「Tokio山水(東京圖2012)」の先にはさらにトリッキーな作品が展示されているのですが、それは会場で確かめてください。上の写真は、水戸芸術館の中庭に向かって掛けられたバナーです。4つの小さな丸に大きな丸と三角と「た」の文字が書かれています。いったい何と読むのでしょうか。“終わった”という説もあるのですが、真偽は定かではありません。最後まで狐につままれたような気分です。
展覧会の企画を担当した浅井さんも、山口さんのことをわかりづらいアーティストだ、と言います。
「理路整然としているようで矛盾を抱えている、ある意味ではとても日本的な作家だと思います。実は展覧会が始まる前は、絵をじっくり見せるようなものになるのかな、と思っていました。山口さんの画力は圧倒的ですから。ところがふたを開けてみたら絵はもちろん、空間構築の感覚も優れていることに驚かされました。いろんな要素が意外な形で組み合わされていて、空間が生きるインスタレーションになりました」
平面である絵画だけでなく、空間も自在に構成している今回の展覧会。絵との角度や距離が変わることで、絵も違って見えてきます。屏風を立てて左右から見ると違った景色が見えるのにも通じます。自然光が入る展示室では光が変化していくにつれて、作品も姿を変えていくのが楽しめます。あちらへ、またこちらへとそぞろ歩きしながら長居したい展覧会です。(青野尚子)
展覧会の企画を担当した浅井さんも、山口さんのことをわかりづらいアーティストだ、と言います。
「理路整然としているようで矛盾を抱えている、ある意味ではとても日本的な作家だと思います。実は展覧会が始まる前は、絵をじっくり見せるようなものになるのかな、と思っていました。山口さんの画力は圧倒的ですから。ところがふたを開けてみたら絵はもちろん、空間構築の感覚も優れていることに驚かされました。いろんな要素が意外な形で組み合わされていて、空間が生きるインスタレーションになりました」
平面である絵画だけでなく、空間も自在に構成している今回の展覧会。絵との角度や距離が変わることで、絵も違って見えてきます。屏風を立てて左右から見ると違った景色が見えるのにも通じます。自然光が入る展示室では光が変化していくにつれて、作品も姿を変えていくのが楽しめます。あちらへ、またこちらへとそぞろ歩きしながら長居したい展覧会です。(青野尚子)
山口晃展 前に下がる 下を仰ぐ
水戸芸術館現代美術ギャラリー
住所:茨城県水戸市五軒町1-6-8
会期:~5月17日(日)
休館日:月(5/4はのぞく)
開館時間:9時30分~18時 ※入場は閉館の30分前まで
入場料:一般¥800
TEL:029-227-8111
http://arttowermito.or.jp/