スイス、山々や湖と優れたデザインが響き合う国。(前編)

  • 文・写真:土田貴宏
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デザインジャーナリストの土田貴宏さんが訪れた、デザイン先進国・スイス。Pen Onlineでは、その旅を2回に分けて紹介します。前編で訪れるのは、レマン湖に面した美しい街、ジュネーブとローザンヌ。

レマン湖とともにあるジュネーブの暮らし。

ジュネーブのレマン湖畔にある、国際連盟が発足した当時に使われていた建物の周辺からは、湖越しにアルプスの山々が見える。
ジュネーブは、スイス西部のレマン湖西岸に位置する人口20万人ほどの都市。さまざまな国際機関の本拠地であり、国外からも多くの人が訪れるため、世界最小の国際都市と呼ばれることもあります。早朝、ジョギングする人も多いレマン湖畔を散策すると、アルプスに連なる山々からゆっくりと朝日が上ってきました。

水辺には遊歩道が整備されていますが、湖の水は飲料水として使われるため、環境への配慮が行き届いています。湖に面したホテルや飲食店も多く、ボートに乗って対岸へ移動するのも日常的なこと。ジュネーブの人々の暮らしとレマン湖は、きわめて近しいようです。時計の見本市や国際的なモーターショーが有名なジュネーブですが、実際に訪れると自然と都市との関係性の豊かさを実感せずにいられません。
湖水浴場、バン・デ・パキ(Bains des Paquis)の入り口。この日の早朝も無料の音楽会が開かれていた。
レマン湖畔にはいくつかの湖水浴場があり、人々が憩う場所になっています。高級な湖水浴場もある一方、バン・デ・パキ(www.bainsdespaquis.ch)はジュネーブに住む一般の人々に親しまれているリーズナブルな定番スポット。ヨットハーバーと並ぶように、知らなければ通りすぎてしまいそうな控えめな入り口があり、通路を渡った先に湖水浴場やカフェなど一連の施設が並んでいます。

バン・デ・パキの歴史は古く、1932年に夏季のみオープンする水浴場として始まり、当時の施設がそのまま使われてきました。1980年代には取り壊しが計画されましたが、市民の間で反対運動が盛り上がり、計画は中止に。現在は早朝に入場無料の音楽会が開催されたりと、コミュニティスペースのような役割を担っています。ちなみにジュネーブはフランス語圏の都市で、地元の人々向けの表示は基本的にフランス語です。
バン・デ・パキは、湖畔を散歩するついでにカフェとして利用するのもおすすめ。湖の向こうに旧市街の建物が見える。
バン・デ・パキの施設はコンクリート造で、1930年代の時代性を反映し、ところどころがアールデコを思わせるモダンな姿をしています。遊泳エリアはコンクリートの柵で周囲の湖と仕切られていますが、景色を遮るような壁はないので、ここからのジュネーブ市街の眺めもまた格別です。

カフェのテーブルや椅子は上等なものではないけれど、かえって寛いだ味わいが。メニューは充実していて、朝食から夕食まで、食事を目当てに訪れる人もいるようです。暖かい季節なら、日光浴する人々を横目にビールやコーヒーを飲むだけで、地元の空気に浸ることができます。もちろん水着の用意があれば、タオルをレンタルして水浴を楽しむこともできます。

ジュネーブで注目される現代アートの胎動。

ジュネーブ現代アートセンター(Centre d'Art Contemporain Genève)は、現代アートに関する機関が複数入っている複合施設、現代アートビル(Bâtiment d’Art Contemporain)の中にある。
スイスはヨーロッパでは比較的小さな国ですが、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語という4つの公用語があります。首都のベルンやスイス第一の都市であるチューリヒがドイツ語圏なのに対し、ジュネーブやローザンヌの人々が話すのはフランス語。ドイツ語圏とフランス語圏では街の雰囲気や人々の気質も異なり、こうした多様性が小国の文化を活気づけているようです。

ジュネーブの現代アートセンター(www.centre.ch)は、スイスのフランス語圏のアートシーンをリードする施設として1989年にオープンしました。所蔵品を持たず、ユニークなキュレーション力を発揮した企画展を次々に行っています。知名度の低いアーティストの発掘にも積極的で、彼らが世界的に評価されるきっかけをつくることも。同様の活動をするドイツ語圏の施設にクンストハレ・チューリヒがあり大きな影響力を持っていますが、そのフランス語圏版に位置づけられます。以前は工業地帯だったバン地区にある建物は、外観が以前からの姿を留めていて、エントランスが少々わかりにくいのでご注意を。こんな素っ気なさも、ひとつのスイスらしさではあるのですが。
建物が工場として使われていた時代の趣を残す、ジュネーブ現代アートセンターの印象的なフローリング。
ジュネーブ現代アートセンターは、工場だった建物をリノベーションして活用しています。木の小口を見せるようにレンガ状に並べたフローリングは、作業で使う油が床に染み込みやすくするための工夫で、昔の状態が残されてきました。古い建物をアート施設にリノベーションするのは欧米では一般的ですが、ここまで往時の様子を残したものは限られるでしょう。

2フロアにわたる展示スペースは床面積約1000㎡、上映施設やアーティスト・イン・レジデンスの設備も備えています。今夏に開催されていたのは、デンマーク人アーティストのヨアキム・コースターの個展。コンセプチャルな写真作品や、映像を組み合わせたインスタレーション作品などを観ることができました。これまでにスイス出身のピピロッティ・リストやウゴ・ロンディノーネのほか、ヨーゼフ・ボイス、マウリツィオ・カテラン、河原温、ナン・ゴールディンら数々のアーティストの作品が展示されています。
バン地区にあるスケートパークは、子どもから大人まで多くの人が集まる。周囲には公園が広がりサーカスなどのイベントが開催されることも。
ジュネーブ現代アートセンターのある市内南西部のバン地区は、この施設のオープンをきっかけに現代アート系のギャラリーが増えました。さらにジュネーブでは2012年からアートジュネーブという国際的なアートフェアがスタートし、ドイツ語圏のバーゼルやチューリヒを追いかけるように現代アートの存在感が増しています。

バン地区の一角で数年前に新たに整備されたスケートパークも、新しい世代のカルチャーが根づいているのを感じさせるスポットです。ジュネーブには、中心部の旧市街を中心に歴史と風格のある建物が並ぶイメージもありますが、ここでは若者を中心にさまざまな人々がスケートボードや自転車に興じています。この広場の周囲の建物には、アーティストが制作したイルミネーションが設置されたものもあります。同じジュネーブでも、レマン湖沿いの商業地の建物が高級時計のイルミネーションで飾られているのとは対照的なシーンをつくっているのです。

ル・コルビュジエの建築と、名物の“大噴水”。

ル・コルビュジエが1932年に設計したクラルテ集合住宅(2-4, rue Saint Laurent Geneve)の外観と共用部の吹き抜け。市街中心部の東側に位置し、周囲には自然歴史博物館がある。
建築家のル・コルビュジエは1920年代からパリを拠点に活躍しましたが、まぎれもなくスイス出身の建築家。スイス紙幣にも彼の肖像が使われており、その初期作品の多くはスイスに残っています。しかし彼が世界的に注目されてから、スイスで完成させた建築はごくわずかでした。ジュネーブ市内にあるクラルテ集合住宅は、そんな貴重なル・コルビュジエ建築のひとつ。1932年に設計されたもので、後に彼が手がけた有名な集合住宅、ユニテ・ダビタシオンの原型と言われることもあります。傷みが激しかったため一時は解体が検討されましたが、1986年に州の歴史的建築物に指定され、2000年代に入って竣工当時の様子に忠実に修復されています。

「クラルテ」とは透明や輝きを意味する言葉で、その名前が象徴するように建物にはガラスが多用してあり「ガラスの家」とも呼ばれます。8階建の集合住宅であっても、一戸建てと変わらない明るさや開放感を目指したのでしょう。一方で日差しを適切に遮ることができるように、木製のシャッターや布製のブラインドも設えられています。また建物内部で特徴的なのは、共用部分の床がガラスブロックでできていること。これはトップライトで階下を照らす工夫です。

現在も全48戸のうち大半が住居として使われており、ル・コルビュジエ自身でデザインしたという室内を見られないのは残念ですが、モダンな色使いで緻密に構成された外観に目を凝らすだけでも、訪れる価値は十分にあります。
レマン湖からジュネーブ中心部へと流れ出るローヌ川にかかる橋から、名物の大噴水を眺める。
ジュネーブのシンボルとして最も有名なのは、レマン湖の水面から上空140mほどまで吹き上げている大きな噴水かもしれません。この噴水は1886年に現在の場所よりも陸地に近い場所につくられたものがルーツで、当初は工業用水が不要になる週末に、圧力を調整するために水を噴き上げていました。つまり鑑賞のためのものではなかったのです。しかし間もなく噴水として人気を博するようになり、少し場所を移して現在のように湖の中に新設されて、やがて世界的な観光名所になりました。

レマン湖の湖畔から見えるだけでなく、市街地からもしばしばその姿が視界に入ります。ただし冬期は吹き上げた水が風に舞い、近隣の住宅や駐車したクルマなどを凍りつかせてしまうため、噴水が止まることもあるそうです。
レマン湖を縦断してジュネーブ市内の対岸に渡るボートの中でも、大噴水のある風景をカメラに収めようとする人は多い。
一般に有名な噴水というと、刻々と吹き出し方が変化したり、壮麗な装飾が施されていたりします。しかしこの大噴水は、ただ真上へと水が吹き出し、風に吹かれながら落ちていくだけです。このシンプルさ、潔さ、そして例のないスケールの裏側にある技術力の高さに、スイスの国民性を感じることができます。

夜間はライトアップされることもありますが、天候や時間によって虹が浮かんだり、夕焼けに染まったりする景色のほうがいっそう印象的です。観光で訪れる人々にとってはもちろん、ジュネーブ市民にとっても、この噴水のある風景はいつまでも見飽きることのないものに違いありません。

ローザンヌの環境と結びついたSANAAの名建築。

一部が宙に浮いた巨大な平屋のようなロレックス・ラーニング・センター。この浮き上がった部分から敷地の中に入るとエントランスがある。
ジュネーブから電車で1時間弱、ルマン湖の北岸を東に進んでいくとローザンヌに着きます。スイスでは5番目に大きな都市で、人口は約13万人。高低差の大きい市内は、赤い屋根の古びた家々が折り重なるように立ち独特の風景をつくっています。街の高台にあるローザンヌ大聖堂や湖に近いオリンピック・ミュージアムが主要な観光地です。

一方、この街はスイスのデザインや建築の中心地としての顔も持っています。近年、注目される多くのデザイナーを輩出しているローザンヌ芸術デザイン大学(ECAL)やスイス連邦工科大学ローザンヌ校(EPFL)が、ここに位置しているからです。ローザンヌを訪れたら、決して見逃すべきでないのがEPFLの一施設であるロレックス・ラーニング・センター。権威あるプリツカー賞を受けた日本を代表する建築家、SANAA(妹島和世+西沢立衛)が設計して2010年に竣工しています。
床下から、丸い穴状の部分を見上げたところ。完全な丸ではなく、わずかに歪んだような形状をしている。
ロレックス・ラーニング・センターは真上から見ると長方形で、121.5✕166.5mという大きさ。巨大な平屋とも言える1層構造で、上下にうねるような形をしています。郊外の平地にあるので全貌をとらえるのは難しいのですが、実際に訪れるとダイナミックな美しさに圧倒されてしまいます。それは、まったく新しい建築体験と言っていいレベルです。

地上から持ち上がった部分は下を人が歩くことができ、椅子やテーブルが置かれたオープンスペースになっています。建物を貫くように開けられた大小さまざまの円形の穴は、とてもSANAAらしい形。この部分は断面が窓になっていて、採光や換気の機能を担うとともに、構造的には広大な天井を支える役目を果たしています。窓ガラス、ブラインド、カーテンレールも穴の形に合わせてつくられているわけで、設計から竣工までに要した緻密な作業を考えると気が遠くなるほどです。
建物の中もゆるやかな高低差があり、多様な空間の使い方に対応している。最も高い部分で約10mの高さがある。
大学の施設であるロレックス・ラーニング・センターがこの名前で呼ばれるのは、計画の主要なスポンサーが時計ブランドのロレックスだったかからです。誰でも自由に使える場所として開放されており、時間帯によってカフェやレストランもオープンしています。学生にとっては巨大な勉強室なので静かにしなければいけませんが、あまり気を使うことなく建物の中に入ることができます。

この建物がうねるような形をしているのは、壁によってではなく高低差によるゾーニングを意図しているからです。中でも目を引くのは、建物のコーナーの特に床が高くなっている部分。小山を登るような感覚なので、自然とそこに来る人は少なく、ひときわ静かな空気が漂います。ゆっくりと思索にふけるのにちょうどいい場所になっているようでした。
日没後、床下のオープンスペースからはかすかにレマン湖が見えた。建築の輪郭が風景を美しく切り取っている。
実はロレックス・ラーニング・センターからも、遠くにレマン湖や対岸の山々を眺めることができます。現代の高度な建築技術の粋を集めたような建築ですが、この独特のフォルムは環境と見事に調和しているのです。このように大規模な施設を日本人の建築家がスイスで手がけることになったのは、2つの国の人々が共通する美意識や価値観を持っている証に思えます。精巧さ、簡潔さ、自然との結びつきなどに価値を置くという点で、日本とスイスが似ているのは確かです。一方で異なるのは、スイスの人々のほうがより柔軟に幅広い創造性を受け入れる点でしょう。EPFLでは今後、ロレックス・ラーニング・センターと広場を挟むように、建築家の隈研吾が設計する新しい施設をつくることが計画されています。

2014年、日本とスイスは国交樹立150周年を迎えました。これからも両国の人々がヴィジョンを共有し、手を組むことで高度な創造性を発揮する動きに期待せずにはいられません。(後編へ続く)

関連リンク:日本・スイス国交樹立150周年記念 特設ウェブサイト  http://swiss150.jp

スイス、山々や湖と優れたデザインが響き合う国。(後編)