TRIP TO THE MANUFACTURE

ROYAL OAK DOUBLE BALANCE WHEEL OPENWORKED

Le Brassus

自然あふれる環境が、インスピレーションを刺激する。

ジュネーブからクルマで1時間ほどのジュウ渓谷ル・ブラッシュに本社はある。標高約1,000mで人口7,000人に満たない山間部であり、豊かな自然が取り巻いている(写真上)。森林の緑は時計師の疲れた眼を癒やし、夜空を飾る月や星々が永久カレンダーなどを発想させたという。写真右は2000年竣工の新しい工房「マニュファクチュール・デ・フォルジュ」。

時計ファンや関係者にとって、ジュウ渓谷=ヴァレ・ド・ジュウという地名は特別な響きをもつ。機械式時計の華ともいえるコンプリケーションの聖地として知られているからだ。
渓谷にあるル・ブラッシュで1875年に創業したオーデマ ピゲは、当初からパーペチュアルカレンダーや、ミニッツリピーターなど音で時間を告知するソヌリなどの複雑時計を活発に開発。現在にいたるジュウ渓谷の名声を築き上げてきた代表的存在だ。とはいっても、現地は静かな山間部なのだが、この自然豊かな環境が時計づくりの「ゆりかご」になったのである。

過去を大切にしながら、未来に向けて歩む。

かつては瞑想するための静寂を求めて修道僧が住み着いたといわれるが、14世紀頃に鉄鉱床が発見され、やがて高品質のナイフや金属工具をつくるようになり、この技術が18世紀半ばから時計に応用されていった。冬場は半年近くも雪に閉ざされるため、農家の副業として発達してきたといえるだろう。
創業者のジュール=ルイ・オーデマ、エドワール=オーギュスト・ピゲの2人とも時計職人の家に生まれたが、それまでと大きく違ったのは完成品までつくれる会社を立ち上げたことだ。冬に製作したムーブメントや時計を雪溶けの春にジュネーブの会社まで徒歩で納品していたが、やがて自らの会社をル・ブラッシュに設立したのである。この時にエドワールは1万スイスフランを、ジュールは資金代わりに18本の懐中時計を拠出したというから面白い。
「創業後10数年間に製造された時計の半分はミニッツリピーターなどのソヌリ。複雑機構だけでなく、小型化も伝統的に得意としていました。新作の『スーパーソヌリ』もそうしたDNAが生み出した成果なのです」と、時計開発に携わるジュリオ・パピは言う。
そんな歴史が克明にわかるのは、傑作モデルはもちろん、工具を備えた修復工房を併設するミュージアムを設置するほか(今年7月に一時閉館して、現在建築中の新ミュージアムに移転される予定)、創立後に製作された時計はすべて台帳に記録されているからだ。
その中には「世界初」が冠されたモデルも少なくないが、過去の栄光に満足することなく、常に極限に向けた革新を続けてきたことがオーデマ ピゲの本質的なDNAといえるだろう。
パピが率いるオーデマ ピゲ・ルノーエ パピは世界を仰天させる超複雑機構を専門的に開発。2000年操業の新工場「マニュファクチュール・デ・フォルジュ」では最先端の設備を導入して、高精度な自動巻きムーブメントから伝統的なグランドコンプリケーションなどの複雑時計を製作する。
ブランドの哲学を発信するクローディオ・カヴァリエールはこう言う。「高度な複雑時計に最高の装飾を施すという哲学は創立時からなにも変わっていません。これを維持・継承するために、いかなる資本グループにも属さない独立企業であり続ける意味があると思います。すべてを自ら考え、自分たちで決断する。それを実行できるだけの方法と手段と実績を私たちはもっているからです」

Philosophy

140年前から変わらない、
コンプリケーションへの挑戦。

創業は1875年。それ以前からコンプリケーションを手がけてきた。ムーブメントをジュネーブの会社に供給していたが、それでは満足できずに時計を最後までつくり上げる会社を設立した。当初に製作された1500本の懐中時計の80%が1つ以上の複雑機構を搭載していた。写真上は創業者による卒業制作のパーペチュアルカレンダー。

Legacy

ブランドの価値を高める、修復と記録という伝統。

古い時計の専門的な修復工房をもつオーデマピゲ。創業以来のムーブメントすべてがパーツに分けて保管されているため、それを参考にして欠損部品も新規につくり直すという。また、1882年以降に製作されたすべての時計は台帳に記録(写真右)。こうした修復と記録を通して、ブランドの価値が継承されていくのである。

Craftsmanship

絶え間ない改革と熟練の積み重ねが、芸術品を生み出す。

アーカイブと修復工房を併設したミュージアムを設置して伝統を尊重する半面で、進取の気風もオーデマ ピゲのDNAだ。最先端のコンピューターシステムや機械設備の導入だけでなく、製作工程の効率化にも取り組んできた。こうしたバックボーンがあるからこそ、ハイエンドな複雑機構や技巧を凝らしたアートピースが生まれるのである。