躍進を繰り返してきたサッカー人生を、大久保嘉人がメゾン マムのシャンパーニュで乾杯!

  • 文:久保寺潤子
  • 写真:堀隆太郎

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シャンパーニュづくりにおいて195年の歴史を誇るメゾン マムは、創業当初より一人ひとりの躍進に寄り添い、祝福の場をともにしてきた。今回ペンが提案する「Mumm Lounge」は特別な祝いのレストラン。招待されたゲストは、日々の躍進のエピソードとともにメゾン マムと特別な一皿で、自身の躍進を祝福する。今回は元サッカー日本代表の大久保嘉人さんをゲストにお迎えした。

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悔しさをバネに、1点のゴールが自信につながる

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1982年、福岡県生まれ。国見高校3年時に高校3冠を達成。自身もインターハイ、選手権で得点王に輝き、セレッソ大阪でプロキャリアをスタート。スペイン、ドイツなどの海外リーグ、国内では数々のクラブを経て2021年、古巣のC大阪に復帰。史上初、3年連続Jリーグ得点王、J1通算最多得点記録保持者。日本代表としてアテネオリンピック、FIFAワールドカップ南アフリカ大会、同ブラジル大会などに出場。国際 Aマッチ60試合出場、6得点。4男の父親でもある。

福岡県生まれの大久保嘉人さんがサッカーの道に本格的に歩むことを決意したのは、中学から単身、サッカーの名門・長崎県立国見中学へ越境入学したときだ。「親元を離れて一人、国見へ行ったときはプロになりたいという思いしかなかったんですが、中学の3年間はAチームにも入れず、うまくいかなかった。やめて地元に帰ろうと何度も思いましたよ」

高校に進学するも、大久保さんの学年は国見史上最弱と言われるほど成績が振るわなかった。「そんな悪評を覆すために、一人ひとりが朝5時から練習して放課後も自主練を続けました。悔しさをバネに頑張り続けた結果、僕は高校2年でやっとAチーム入りして試合に出られるようになって、初めての試合で4得点を挙げたんです。今までの自分は間違っていなかった、自分はもっと得点できるという自信を感じた瞬間でした」。レギュラーを獲得した大久保さんはそこからは勢いに乗り、次々にシュートを決める。3年時にチームはインターハイ、国体、選手権で優勝し、高校三冠という快挙を成し遂げた。

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フルーティでフレッシュな味わいのシャンパーニュ「マム グラン コルドン」。

高校卒業後は複数のクラブからのオファーがあったが、2001年、セレッソ大阪に加入を決めた。03年のJ1では24試合で日本人最多得点となる16点を挙げ、オールスターに選出。名実ともにストライカーとして注目される。「プロに入ってからは結果がすべてだと思っていたので、周りから注目してもらえるためにもフォワードしかないと思いました。フォワードって天国か地獄なのでプレッシャーはものすごいですよ。僕は基本的に他人のアドバイスは聞かない。同じミスするなら自分の判断でやってミスした方が後悔がないですから。メンタルを保つのは大変ですが、中高時代に鍛えられた経験も大きいと思いますね」

その活躍が認められ、04年にはスペインのRCDマヨルカへ期限付きの移籍が決定する。「当時のマヨルカは最下位で、チームを残留させるというのが僕に与えられたミッションでした。デビュー戦では得点をアシストして、最終的には奇跡と語り継がれる残留に貢献できたのは嬉しかったですね。海外での経験は大きな自信につながりました」

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10年には夢だったW杯南アフリカ大会に出場した。Photo by Stuart Franklin/Getty Images

10年には幼い頃からの夢だったW杯出場も果たした。「小さい頃はテレビでアメリカのW杯を見て、絶対この大会に出たいと思っていたので、南アフリカW杯に出場が決まったときは特別な感覚でした。ピッチに立って国家を歌ったときは、子供の頃に見たW杯のことを思い出してジーンとしましたね。今まで苦しいことをやってきてよかったと思えた瞬間です」

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挫折と栄光。自分らしいサッカーとの出会い

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大久保さんも「マム グラン コルドン」を味わい、その力強いフルーティさを堪能。

しかしW杯のあとはオーバートレーニングがたたり、燃え尽き症候群を発症。選手存続の危機に陥った。「18歳でサッカー選手人生を始めたときは、30歳で引退しようと思ってたんですよ。だからどこかで南アフリカのW杯で最後かな、という思いはあった。大会のあとは練習場行ってもサッカーをやる気が全く起きなくて。1ヶ月半くらい練習を休んで旅行に行ったりして過ごしました。するとだんだん、やっぱりサッカーしたい! って思いが湧いてきたんです。その気持ちがなければそのまま辞めていたと思う。その後はチームも受け入れてくれて復帰することができました」

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「マム グラン コルドン」は、371 BARおすすめのフードとも相性抜群。

当時在籍していたヴィッセル神戸では細かいケガはあったものの好調な成績を上げていたが、12年になるとコンディションが上がらず、クラブも降格。この年に退団を余儀なくされた。これでいよいよサッカー人生も終わりかと思った矢先の13年、唯一大久保さんに熱心なオファーをしたのが川崎フロンターレだった。「フロンターレで過ごした4年間は21年間のサッカー人生で、一番楽しい時期でした。戦力外だった僕に声をかけてくれたフロンターレで、なんとか結果を残さないといけない。この1年で終わるなら、周りからなんと言われようと自分の思い通りのサッカーをやろう、と決めたんです、それまではシュートを打てると分かっていても、周りに気を遣ってパスを出している自分がいた。そういう迷いを全て吹き飛ばしてシュートに専念したら1年で26得点を挙げていた。前の年には4点しか取れなかったのに。自分を信じてやったことで得られた結果です」

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2013年を皮切りに、その後3年連続でJリーグの得点王に。Photo by J.LEAGUE/J.LEAGUE via Getty Images

30歳に、サッカー人生のピークを迎えた大久保さん。自分らしいサッカーを取り戻したことでJリーグ史上初の3年連続得点王を獲得し、日本屈指のストライカーとして名を馳せた。しかしそんな栄光の時代にも翳りが訪れる。21年には15年ぶりとなるセレッソ大阪へ復帰。開幕戦からゴールをあげるなど活躍を見せ、J1リーグ通算得点記録を塗り替えていく。通算200ゴールを目前に控え、まだまだ現役を続けていくと誰もが思っていた矢先、突然現役引退を発表した。「練習からの帰り、車の中でふとやめようと決断しました。アスリートは誰でも第2の人生がある。だったら早めに次の人生に進んだ方がいいと思ったんです。今は芸能の世界で一から経験を積んで勉強しながら前へ進んでいきたい。見たことのない景色に刺激をもらって、サッカーを始めた時のように成長していきたいと思っています」

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371 BARの人気メニュー、和牛ホルモンのテリーヌ。

数々の試練と栄光を味わってきた大久保さん、この日Mumm Loungeではメゾン マムを代表するシャンパーニュ「マム グラン コルドン」を飲みながら、これからの未来について楽しそうに語ってくれた。このシャンパーニュに合わせたのは371 BARの人気メニュー、和牛ホルモンのテリーヌ。新鮮な和牛のホルモンを塩とハーブでシンプルに味付けし、アクセントにビネガーをきかせた前菜だ。「テリーヌのコクとフルーティなマム グラン コルドンがばっちり合うね」と大久保さん。

最後に、彼にとっての「躍進」とはなにか尋ねてみた。「苦しい時を味わった後の達成感ですね。21年間のサッカー人生は苦しみを乗り越えて目標を達成し、躍進する、その繰り返しでした。人生もまた同じことが言えるんじゃないかな」

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大久保嘉人さんのサイン入り「マム グラン コルドン」ボトルを抽選で1名様にプレゼント。応募は、Penオフィシャルツイッターアカウントから

371 BAR

〒160-0022 東京都新宿区新宿3-7-1 1F
TEL:03-3353-0371

ペルノ・リカール・ジャパン

TEL:03-5802-2671

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