ジュウ渓谷に生まれ、技術で歴史を拓いた軌跡。

19世紀の後半、スイス・ジュネーヴ郊外に位置するヴァレ・ド・ジュウに、 小さな時計工房が誕生した。 2人の時計師によって開かれたこのブランドは、以降、複雑時計を中心に 技術で自らの歴史を拓き、現在まで発展を続けている。 その軌跡をあらためて振り返った。

誕生

オーデマ ピゲが誕生したのは1875年のことだ。創業地ジュウ渓谷のル・ブラッシュは、腕時計の世界では知らない者がいない、複雑時計のゆりかごと呼ばれる特別な場所。その高級時計の聖地でジュール=ルイ・オーデマと、エドワール=オーギュスト・ピゲの小さな工房が産声を上げた。
時計職人の家に生まれた二人の才能は、住人の大部分に時計の仕事に関わる家族がいる“ヴァレ”でも際立っていた。1892年には、ミニッツ・リピーターの製作に成功。複雑時計の手腕は花開き、磨き上げられた。ジュネーヴから60kmほど離れ、フランスとの国境に近い標高1000m地帯で生まれた腕時計は、世界中の大都会で激賞されたのだ。
以降もオーデマ ピゲは、ル・ブラッシュを一度たりとも離れたことがない。創業家の手を離れたこともなく、家族経営が貫かれている。オーデマ ピゲは奇跡的なほど、ほかにない特徴をもった時計ブランドなのである。

ジュウ湖を囲むように草原が拡がるジュウ渓谷は、のどかな山間部の静かなコミュニティ。冬場は雪で閉ざされ、部品製造や組み立てを含む金属加工の家内手工業が盛んであったこの地は、独創的な複雑時計の精鋭たちが住む桃源郷となった。都会的なストレスとは無縁なこの場所は、叡智と集中力の賜物であるオーデマ ピゲの複雑時計に欠かせない、奇蹟の環境だった。 写真、右上:1920年代のアトリエ。すべての職人が光の射す窓に向かって仕事をするのは、ブラッシュのスタイル。 写真、左上:創業者ジュール=ルイ・オーデマと、エドワール=オーギュスト・ピゲ。 写真、右下:1922年頃につくられたサインボード。欧米4都市で販売される「複雑時計とあらゆるジャンルのマニュファクチュール」の表記に自信が窺える。写真、左下:初の腕時計としてのミニッツリピーター・ウォッチ、1892年製作。

現在

ムーブメントから自作する伝統的マニュファクチュールであるオーデマ ピゲは、いっぽうで未来志向のイノベーターでもある。1972年、初代モデルを世に出した「ロイヤル オーク」は、“ラグジュアリー・スポーツウォッチ”という概念を初めて打ち出し、八角形の斬新なフォルムとともに腕時計の新しいジャンルを切り開いた。
また、デザインだけでなく“炭素を鍛造する”フォージド・カーボンなどの先進的なマテリアルの開発でも、先駆者として走り続けている。その進歩性を象徴するのが、2000年に誕生させた新ファクトリー“マニュファクチュール・デ・フォルジュ”。この近代的な工房はスイスの高度なエコロジー基準をクリアしており、時計製作の主力とジュエリー部門 、精密機械工作部門が集結している。半面、1907年に建てられた歴史的な本社に今も技術部とアフターサービス部を置き、1875年の創業当時に工房として使われていた建物を、博物館と修復工房として保存する。オーデマ ピゲは、時を超えた価値をもつ時計ブランドである。

2.45㎜厚の自動巻き永久カレンダー(1967年)、5.5㎜厚という驚異の極薄の自動巻きトゥールビヨン(1987年)など、オーデマ ピゲは現代の機械式時計の中でも、最も高い難度の領域で記録を樹立してきた。連綿と続く歴史と伝統を持ちながら、前を向き続けるブランドがオーデマ ピゲである。 写真、上:超絶技巧の要求を粛々とこなす熟練したエキスパートの手作業なしには、オーデマ ピゲの最高品質は保てない。 写真、中:創業以来の部品を保管する部品棚。過去のどんな自社製時計も直す事ができるというのは、マニュファクチュールの矜恃である。 写真、右下:腕時計の概念を変えた傑作「ロイヤル オーク」は40年以上続くベストセラー。そのデッサンと製品化されたものを比較。いかにデザインの段階での完成度が高いかがわかる。英国王立艦船の船窓をモチーフとした八角形の印象的なフォルムは20世紀腕時計デザインの巨匠、故ジェラルド・ジェンタの代表作。写真、左下2点とも:腕時計界の先駆者、オーデマ ピゲの最新の拠点“マニュファクチュール・デ・フォルジュ”。近代的な設備と、窓の外に拡がる自然。時計づくりの精鋭たちに、ヴァレは最高の環境を与える。

問い合わせ先:オーデマ ピゲ ジャパンTEL 03-6830-0000