未来を夢見て生まれた、3台のスーパーカー【マツダRX500編】

  • 撮影:谷井功
  • 文:藤原よしお

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1996年のホンダNSXまで、ミッドシップの日本製スーパーカーは夢だった。70年代から脈々と続く、技術とデザインの挑戦を3台のクルマで振り返る。



【1970年 マツダ RX500】「コスモ・スポーツ」の後継を目指した習作。

1970年の第17回東京モーターショーで一般に公開されたスポーツカーのスタディ。コスモ・スポーツの次世代を担うミッドシップ・ロータリースポーツとして68年に課外活動的に開発がスタート。設計部部長の松井雅隆をリーダーとし、ボディデザインを福田成徳、インテリアデザインを内田亮、シャシー設計を濱家照夫らが担当した。自製の鋼管フレームに491㏄×2の10Aロータリーユニットをミッドに搭載。ショーの後、世界各地で展示されたが帰国時に破損。本社倉庫にそのまま放置されていたものの、08年にレストアされ、現在はヌマジ交通ミュージアムに展示されている。 エンジン:水冷直列2ローター491㏄×2 最高出力:250PS | サイズ:全長4330mm×全幅1720mm×全高1065mm

 「これは単なるショーカーではなく、ミッドシップのロータリースポーツカーというコンセプトで、『コスモ・スポーツ』の後継を目指した試作車です」と証言するのは「マツダRX500」のデザイナーである福田成徳だ。

大阪万博に沸く1970年の第17回東京モーターショーは、オイルショックを迎える前の自動車界にとってピークともいえるショーであった。会場には「トヨタEX7」「日産270X」「126X」「いすゞベレット1600MX」とウエッジシェイプデザインのスーパーカーがひしめいていたからだ。

その中にひときわ異彩を放つ黄色いスーパーカーの姿があった。その名はマツダRX500。ロータリー・エンジンの実用化で名を挙げた自動車メーカーのマツダが、創立50周年を記念して製作したミッドシップ・スポーツである。

 「当時、設計部の部長だった松井雅隆さんが“オフライン5:5”というのを提唱されたんです。成功率50%でよい、半分は捨てる覚悟でよいものをつくろうという考え方ですね。社内では65年くらいから海外の動きを見て、ミッドシップをやらなければという気運がありました。そんな時にコスモの後継ぎをどうしようという話になって、ミッドシップはやらなきゃねと、わりと軽く言われた気がします。でも表立ったプロジェクトじゃないから有志でやろう、となる。手を挙げたのは私を含めた5人くらいでした。作業はすべて時間外。昼間は『ファミリア』をやりながら、すべて残業時間にやったんですよ」

戦闘機のキャノピーのようにラウンドしたウインドー。このフォルムを崩さないように跳ね上げ式としたドアの設計が最も苦労した部分だという。左右のミラーに開けられたインテークにも注目。

ガルウイング式に開くエンジンカウルの開けられたルーバーはデザイン上のダミー。福田はリアをカーゴスペースにしたスポーツワゴンにしたかったが、スペースの都合で断念せざるを得なかった。

テールのイメージは、『2001年宇宙の旅』。

ワゴン風のスタイルは、空気抵抗の低減を狙った結果だった。

「ショーの時の印象ですか? 他のメーカーと似てなくてよかった、ぐらいかな(笑)。このクルマはショーの後、世界のディーラーを巡る旅に出ています。そこで少々ダメージを受けたので綺麗にしようと、今のシルバーに塗り直したんですね」

しかし、その後RX500やこの流れを汲むようなミッドシップ・スポーツが世にでることはなかった。最大の理由として「コスモ・スポーツに比べて大きすぎること」を福田は挙げる。マツダ自身、日本のメーカーではいち早く65年に「R16A」というミッドシップのテストカーを完全自社開発しているパイオニア的存在ではあったが、コンパクトにまとめ量産化できるまでの最適解は見つけられなかったということなのだろう。そしてこの後に世界を襲うオイルショックがすべてを変えてしまった。

衝撃のデビューから来年で50年。RX500を目の前に福田は当時のデザインを振り返った。

「イメージはレーシングカーと飛行機のデザインのミックスでした。よく見ると“キャノピー”とか“エアアウトレット”とか、“アフターバーナー”とか飛行機っぽいモチーフが多いでしょう。テールランプも未来カーにしたくて。法規的には成り立たないけど、ブレーキングを始めた時には黄色、止まる時には赤、高速で順調に走っている時はグリーンに光るようになっています。テールのイメージは映画『2001年宇宙の旅』の宇宙船。自動車離れしたイメージにしたかったのです」

確かにスペースエイジの申し子のようなRX500の視覚的なインパクトはいまでも色褪せない。しかしよく見ると、細部に至るまで実に繊細で凝ったラインで構成されているのがわかる。特にドアからリアのインテークへとつながるラインは実に複雑な表情を見せる。

「これこそ我々がベルトーネの教育を受けてきた証明ですよ。微妙で繊細な曲線、ラインを入れて、単調な線にしていない。このクルマはほかにも負圧の一番高くなるフェンダーミラーにインテークを開け、室内にフレッシュエアを導いたり、色々できたので面白かった」

来る2020年はマツダの創立100周年にあたる。果たしてRX500のインパクトを超える100周年記念モデルが姿を見せることはあるのだろうか?

リアエンドで存在感を放つマフラーは、大きく開いたスペースを埋めるためにデザインされたもので、実際には中央のルーバーも右のマフラーエンドも機能していないダミーだ。

内田亮の手で急遽デザインされたというコックピット。半円形のメーターは針が振り切れると、別の針が現れるという凝ったつくり。本来は全機能を集中させたひとつの円形メーターを採用する予定だった。ギアボックスは4速MT。

エンジンは、公式的には12Aとされていたが、実際にはペリフェラルポートをもつレース用の10Aが搭載されていた。リアアクスルはマツダ初のFFとなったルーチェ・ロータリークーペのフロントアクスルを反転させたもの。全長4330mm、全幅1720mm、全高1065mm、ホイールベース2450mmとコスモ・スポーツよりふた回りも大きい体躯となったのは、安全性と重量バランスを鑑みてコックピットの背後に100ℓの燃料タンクを配した結果だ。

当時、福田の手で描かれたデザインスケッチの一部。「私としては屋根をすっと削ってもっと軽いデザインにしたかった。結果としてはこれもよいかと思いますが、コスモに比べたら話にならないほど大きいのが、スポーツカーをつくった人間としてはちょっと納得がいかない部分です」

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