日産自動車、伝説の名車を振り返る。【R91CP編】

  • 写真:谷井功
  • 文:清水雅史(モンキープロダクション)
  • 協力:日産

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日本車のヴィンテージを語るときに欠かせないメーカーといえば「日産自動車」だろう。戦前の「フェートン」からレーシングカー「R91CP」まで7台の「伝説の名車」を紹介する。

ニッサンR91CP 年式:1991年 型式:R91CP 全長:4800mm 全幅:1990mm 全高:1100mm ホイールベース:2795mm トレッド(前/後):1600/1560mm 車両重量:930kg以上 エンジン:VRH35Z V型8気筒DOHCツインターボ 排気量:3496cc 最高出力:500kW(680PS)以上/7200rpm 最大トルク:784N・m(80.0kgm)以上/5200rpm サスペンション(前/後):ダブルウィッシュボーン / ダブルウィッシュボーン ブレーキ(前/後):カーボンベンチレーテッドディスク / カーボンベンチレーテッドディスク タイヤ:25.5-12.0-17 / 28.5-14.5-18

「速さ」と「燃費」を両立した、国産のグループCカー

ル・マンで最も長い直線「ユノディエール」。グループCマシン時代は、ここでの最高速が400km/hに届こうかという戦いだった。だが同時に「燃費性能」を争うレースだったことを関係者から聞くとそのギャップに驚く。1982年にFIAのモータースポーツ車両規定が変更され、屋根つきレーシングカーが新たに「グループN・A・B・C」と区分された。グループCは最も自由、かつ最高性能なカテゴリーで、マシンは「スポーツプロトタイプカー」とも呼ばれた。

このレギュレーションは、レースごとに使用できる「燃料の総量」を規制した点が新しい。以前は上限が決められていたエンジン排気量・気筒数・回転数が自由に設定できるため、得意分野を生かして燃費と速さを競うべく数多くの自動車メーカーが参戦。世界的な盛り上がりを見せる人気カテゴリーになった。

24時間の長丁場を戦うためには、マシンにはもちろんドライバーにも負担をかけないことが重要だ。警告灯を多用しメインのメーターは回転計、ブースト計、燃料計に絞ることで、マシンの状態を把握しやすくした。

「デイトナ24時間」で、 速さを証明したマシン

「F1ではなく、市販車の姿が重なる屋根つきレーシングカーで世界の頂点に立つのが、四輪車メーカーとしての本懐」。そう考えていた日産はグループCへの本格参戦を決め、83年から複数のマシンを開発する。そして84年と85年にはシャシーをマーチに統一し、翌86年には「ニッサンR85V」と「R86V」の2台体制でル・マン24時間レースに初参戦。R85Vは総合16位で完走した。

その後もマシンの開発は進む。89年にはシャシーをローラに切り替え、新開発エンジンを搭載した「R89C」がデビュー。翌年には「R90CP」へと進化し、90年のル・マンでは日本車初のポールポジションと総合5位という好結果を残した。しかし、ここで大きな決断をする。純日産製シャシーにスイッチした「R91CP」をデビューさせるのだ。R91CPは91、92年の全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権を連覇し、グループCに近い「IMSA -GTP」規定で競われていた伝統のレース、デイトナ24時間に出場。2位に大差をつけ総合優勝する。すべてを自らの手で開発し、かつてない完成度に達したマシンで、日産が登りつめた世界の頂点だった。

ところでR91CPが登場した91年は、ル・マンにおいてマツダ787Bが日本車初の総合優勝を遂げている。前年に5位という結果を残した日産は、R91CPでル・マンに挑むはずだと多くのファンが期待していたが、世界スポーツカー耐久選手権への参戦を休止し、その1戦となるル・マンへも姿を見せなかった。もしR91CPがサルテ・サーキットを駆け抜けていたら…… 日本車同士の激しいトップ争いに胸を熱くしたかったモータースポーツファンは少なくなかったに違いない。

R91CPは新設計のカーボンモノコックと自社開発のシャシーを組み合わせる。ピットアウトの際に広い視野を確保できるフェンダー一体の左ミラーと、空気抵抗を低減するコンパクトな右ドアミラーの採用が特徴的。これは右回りのサルテ・サーキットを想定した仕様で、やはりル・マンへの出場は想定されていたのである。

こちらの記事は、Vマガジン Vol.02「世界に誇る名ヴィンテージ こんな日本車を知っているか?」特集からの抜粋です。気になった方、ぜひチェックしてみてください。アマゾンで購入はこちらから。